一挙三得?「おむつ発電所」

世界でただ一つの「おむつ発電所」が、ドイツにある。その名も「おむつヴィリー」(Windel-Willi) というこの発電所は、南ドイツのボーデン湖に近い小さな町、人口1万3000のメッケンボイレン(Meckenbeuren)で、5年前に誕生した。高さ11メートルの特別仕様の火力発電所、ヴィリー君は、現在、年間3800トンの使用済み紙おむつを燃やして1240キロワットのエネルギーを生み出している。「このエネルギーで毎日8トンの洗濯をするクリーニング工場に熱湯を提供し、社員食堂で毎日3000食をつくり、8つの温室(延べ面積、9万6000㎡)の暖房をするなど、生み出されたエネルギーは100%利用されています」こう話すのは「おむつヴィリー」の生みの親、技師のマルコ・ナウエルツさんだ。ヴィリーは年間4200トンのおむつを燃やす能力があり、今年中には、フル稼働する見通しだという。

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静岡からのお土産 その2

「お茶のセシウム制限値は500Bq/kgですが、このお茶の場合は下回ります。でも他に飲む物があるならばこのお茶は飲まないほうがいいでしょう」と告げられ、電話が切れました。ベクレルとかセシウムと聞くと何か不安を感じます。私達は経験を重ねて危険を見分けるようになります。例えば子供がアイロンを熱いと感じるのがそうです。見えない、臭わない、味もしないセシウムの害は観念的で漠然としていて、そうはいきません。チェルノブイリ原発事故以来、常に耳にする単位ベクレルですが、具体的に何を表すのか、体にどのような害があるのでしょうか。それを説明できるのは友人のFだと思い、環境都市として有名なフライブルグへ彼を訪ねたのはプラムケーキの美味しい季節でした。Fは物理学者で、放射線科医としてフライブルグ大学病院に勤めて、放射線による癌治療をしています。

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靴底が生み出す電気

ホモサピエンスが二本足で歩きだし、道具を使うようになってから、人類の技術の進歩はとどまるところを知らなくなっています。技術の進歩によって、人類が原点に戻り、健康な体を使ってエネルギーを自発できる時代が到来しそうです。

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日本の首相交代劇

去年6月、菅直人が日本の新首相に就任したとき、ドイツの主要新聞は「市民運動家出身」「工業大学で学んだ自然科学者」「名門政治家一族の出身ではなく、自民党内でキャリアを積んだ訳でもない、日本では異色の政治家」などと書いた。そこにはなにがしかの好感、期待感がうかがわれた。それから1年あまり後の日本の首相交代劇について、ドイツのマスメディアがどう伝えているか。あまり大きく報道されてはいないが、ラジオやテレビのニュース、新聞記事では最近の日本の首相が極めて短命であることが強調されている。この2年間で3人目の首相とか、5年間で6人目の首相、あるいは6年間で7人目の首相とか、示されている数字は異なるが、日本の各首相の任期が1年にも満たないことが印象に残る。

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振興工業経済地域への原発輸出を狙う国々

脱原発に切り替えたドイツは、再生可能なエネルギーを作り出す環境技術で輸出増大を図ろうとしています。その一方で、原子力技術を新興工業経済地域への輸出の中心に据えようとしている国々があります。ヨーロッパ最大の週刊誌「シュピーゲル」(DER SPIEGEL)が8月9日に配信したオンライン版のニュースの内容をかいつまんでお知らせしましょう。フランス、ロシア、アメリカにおける技術開発の話ですが、アメリカでの開発プロジェクトには日本の企業が技術協力していることが伝えられています。

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ドイツの長い反原発運動の歴史

ドイツ初の原子炉は研究用として1957年にミュンヘン郊外のガールヒングに建設された。初の商業用原子力発電所は1962年にマイン川沿岸の小さな村カールに完成している。当時、ドイツ経済は急成長を遂げており、原子力発電は大いに歓迎され、第二の産業革命を生むとまでも言われた。1960年代末までに西ドイツで運転を開始した原子力発電所は 6カ所に及んだ。

1973年のオイルショックは原発建設に一層の拍車を掛けたように見受けられた。1970年代に西ドイツで運転を開始した原子力発電所は11カ所となっている。1980年代には新たに13カ所で発電が開始されている。殆ど全てが1970年代に計画されたものである。

しかし一方で、放射能の危険に対する知識が国民の間に次第に広まっていくと、原発に対する不安も徐々に出てきた。

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