原発事故跡を観光地に!?『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』

みーこ / 2013年9月15日

今、日本で話題になっているベストセラー『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』を読んだ。「福島での原発事故を風化させないため、周辺を観光地化してはどうか」と提唱する作家らが、参考のためにチェルノブイリに実際に取材に行った報告記である。

実を言うと、この本を読む前「こういう本が日本でベストセラーになっているらしい」と、「みどりの1kWh」の仲間たちに話したところ、もっぱら否定的な反応が返ってきた。「福島とチェルノブイリはまったく違う」「まだ事故は収束していないのに観光地化だなんて早すぎる」「必要もないのに事故跡地に行くなんて危険だ」「被災者のためにやるべきことは、もっとほかにあるはず」などが、その反応だ。私としては、そういった否定的反応に、本の中で執筆陣がどう答えているのか、そして自分自身がどう感じるのかに関心があり、読み始めた。

この本を手に取ってパラパラとめくった瞬間、私はいっぺんに、本のビジュアル的側面が気に入ってしまった。表紙写真は現在のチェルノブイリ原子炉。カバーをめくると、同じ原子炉のかつての写真(建設中のところ?)があり、比較できるようになっている。1ページ目には、SFに出てくるような金色の壁の長い廊下の写真があり、何やら不穏な旅の始まりを予感させる。本の後ろのほうには、チェルノブイリ原発周辺を撮った本格的写真集のようなコーナーがある(撮影:新津保建秀)。「原発事故跡地観光地化」という趣旨に賛成できない人でも、これらの写真を見るだけでこの本を手に取る価値はあると思う。また、チェルノブイリ事故後の歩みを示したグラフ、福島との比較地図など、グラフィック面でも大いに工夫がされていて、編集スタッフの「本気」を感じた。第1部の「観光する」は、写真の力もあり、取材陣と一緒にチェルノブイリを訪れたような気持ちになれる面白いルポだった。

本の中にキリル文字が時折混じっているのを、私は最初「日本人でキリル文字を読める人なんて、ほとんどいないだろうに。ビジュアル面でアクセントをつけるため、デザイン的に入れているのかな」と思っていたのだが、そうではなかった。「インターネット検索でキリル文字を使えば、日本語や英語では決してたどりつけないような豊富な情報にたどりつけるから」という編集部注記を読んで、これまた「本気」を感じた。執筆・編集陣は、自分たちと同じように、読者にも本気になってほしいのだ。編集後記で編集長・出版社代表の東浩紀さんが、「もともと自分の会社は人文書を出すために作ったもので、海外取材やビジュアルに凝った本を作るノウハウはなかったが、この本では思い切り頑張った」というようなことを書いているが、その心意気は十分伝わってきた。

「心意気」と言えば、私は、この本を作ったメンバーの年代、そして、このプロジェクトの支援者たちにも引き寄せられた。執筆者一覧を見ると、編集長の作家・東浩紀さんが1971年生まれ、主力執筆者のジャーナリスト・津田大介さん(津田さんはベルリンでおこなわれた東日本大震災関連の日独シンポジウムに来たこともある。下記の関連リンク参照)と、フリーランス編集者・ライターの速水健朗さんは1973年生まれ、社会学者・開沼博さんは1984年生まれ、観光学者・井出明さんは1968年生まれだ。私は実は、津田大介さんや速水健朗さんと同じ1973年生まれなのだが、チェルノブイリ事故のときはまだ中学1年生だった。中学時代に、ロックバンドのブルーハーツやRCサクセションの反原発ソングがリリースされ、「そうか、アーティストは、こうやって自分の政治意識をアピールすることができるのか。かっこいいな」なんて思ったものだ。その私と同じ世代がリーダーとなり、上の世代や下の世代を巻き込み、20〜30年後くらいを見据えて、福島の原発事故後の日本のことを考えようとしている。とても感慨深かった。

またこのプロジェクトは、クラウドファンディングで、728人から609万5001円もの寄付を集めている。クラウドファンディングとは、インターネット上で不特定多数の人から資金・寄付を集めることを指す。クリエイターや起業家が計画したプロジェクトに共感した人や応援したい人が、オンラインでお金を送るシステムだ。寄付文化があまり根付いていない日本で、これほどの額を集めたのは快挙だと思う。クラウドファンディングで支援した人や本を買った人の多くは、おそらく本の執筆陣と同じくらいか、少し若い世代なのではないだろうか。東浩紀さんも津田大介さんもインターネット上での活躍が目立つ人で、20〜30代のファンが多いという印象だが、ネット世代が「東日本大震災後の復興」という現実社会のヘビーな課題に向き合いつつあることに私は感動したし、期待したいと思った。

さて、本のビジュアル面や執筆陣の世代のことなど、内容にあまり関係のないことばかりを書いた。では、「原発跡地を観光地化する」という提言に自分が賛成したくなったかというと、実はそれについては、本を読み終わった今でもあいまいなままである。読む前は、「福島を観光地化だなんて」という「みどりの1kWh」の仲間たちの否定的反応に反して、私自身はこの提言にわりあい好意的だった。「チェルノブイリの強制避難区域に勝手に住みついたり、研究や観光目的で入り込む人がいるという現実がある以上、何十年後かに放射線量をきちんとコントロールしたオフィシャルなツアーを立ち上げるのもありえるだろう。悲劇の現場から何かを学ぶというのは意義のあることだし。例えばドイツでも、ナチスの強制収容所跡など、ダーク・ツーリズムの場所は数多く、行くととても勉強になる。福島がそういう場になり、かつ地元経済を潤すのであれば素晴らしい」と思っていた。

読み終わった今も、その考えは基本的には変わっていないのだが、さらに確信に至ったかというと、そうではない。どちらかと言うと、賛成の気持ちが揺らいでしまった。なぜ揺らいだかは自分でもはっきりとはわからないのだが、おそらく「ウクライナ人に訊く」という章が原因だと思う。チェルノブイリ観光に関わる6人のウクライナ人へのインタビューだが、率直に言うと、ここに登場する人の一部から、何となく山師的な匂いを感じてしまったのである。「この人の言うことを額面通りに取っていいのかな……」と思わせるものがあった。逆に言えば、それだけリアルなインタビューということなのだが……。あるいは、私自身が、自分の信じたいことしか信じられないような視野の狭い人間だから、そのように感じたのだろうか? 読み終わった今でも、どう考えればいいのかまだ揺らいでいる。

最後のほうは、何となく歯切れの悪い感想になってしまったが、原発跡地観光地化への是非はともかく、この本自体は私はとても興味深く読んだし、勉強になる本だと感じた。「原発跡地を観光地化だなんて」と眉をひそめる人も読んで損はないし、むしろ、観光地化に反対する人こそ読む価値がありそうだと思う。また、フクシマ以降に日本で立ち上がってきた若手言論人たちの動きを知るという意味でも価値のある本である。

なお、この本を読んでいるさいちゅうに、「福島第一原発で汚染水漏れ」「汚染水漏れ、レベル1からレベル3へ」という報道がドイツでも大々的になされた。「汚染水をまったく制御できてないのか……。観光地化への道は遠いな」と暗澹たる思いになると同時に、「圧倒的な物理的事故の前には、(少なくとも事故の収束ということについては)言論人や思想家が出来ることは少ないな」という失望感にもとらわれてしまった。

 

関連リンク:
クラウドファンディング「キャンプファイヤー」
日独シンポジウム「東日本大震災と新旧メディアの役割 日独における地震報道に関する比較の視座」(2011年7月7日、ベルリン日独センターで開催。津田大介さんも参加)

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