宗教の長い夜
ドイツには、「博物館の長い夜(Lange Nacht der Museen)」や「学問の長い夜 (Lange Nacht der Wissenschaft)」など、日常的にあまり馴染みのない分野に人々の関心を向けるべく、夕方から深夜まで街中の関連施設を人々に開放する「長い夜」というナイトイヴェントがある。ベルリンでは、2012年から「宗教の長い夜」が毎年夏に開催されており、開催日は市内の様々な宗教団体が夜まで門戸を開き、宗教施設の案内をしたり、訪れる一般の人々が投げかける質問に答える。
今年は、難民問題に加えて、右翼ポピュリズムの台頭、イスラーム過激派によるテロ事件など、様々な社会問題が深刻な形で表れた年であり、「宗教の長い夜」のプログラムも、これらの社会問題を意識した内容となった。
私はこの日、夜九時からトルコ系のモスクで行われたパネルディスカッションに参加した。このパネルディスカッションには、イスラーム、カトリック、プロテスタント、シリア正教、ユダヤ教の登壇者に加え、ベルリン市政府でかつて内務相をつとめた社会民主党(SPD)のエアハルト・ケルティング氏も議論に加わった。
議論のテーマは、「宗教団体は社会の統合にどのように貢献することができるのか」という問い。中心的に議論されたのは、難民支援についてだった。押し寄せる難民の波に国の手が回りきらない中で、とりわけキリスト教系とイスラーム系の福祉団体は、足りない部分を補う形で難民支援に積極的に乗り出している。
印象的だった登壇者のやりとりを、断片的に紹介したい。
自らと異なる真理を持つ人の生き方を受け入れることについて
エアハルト・ケルティング氏(SPD):
「私たちは目下シリアからの難民の波に直面しているが、それだけにはとどまらない。南半球から北半球へと、人々はこれからますます移動してくることになるだろう。新たにやってくる人々と、どのように共生していくことができるか。これは、私たちの社会が、最も真剣に取り組まなければならない危急の課題の一つだ。人々の共生に不可欠だと私が考えることの一つは、自らの真理とは異なる真理を掲げる人を受け入れること。自分の真理と同じように、他者の真理を真剣に受け止めること。口で言うのは簡単だが、そういうことが私たちには出来ていない」。
ユダヤ教徒の登壇者として参加したミヒャ・ブルミック教授:
「(ケルティング氏の発言に対して)『寛容(Toleranz)』というのは、『(異なるものを)積極的に肯定する』という意味合いの概念ではなく、『自らの脅威にならない限りにおいて、(異なるものを)我慢する』という消極的な意味合いに過ぎない。私たちが今目指さなければならないのは、そうした薄っぺらな統合ではなくて、中身のつまった統合だと思う。中身の詰まった統合というのは、つまり、あらゆる社会の構成員が共通した価値観を持つことによって始まる。難民をめぐっては、このところドイツ語の習得など表面的なことが真っ先に問題になっているが、そういうことよりも、もっと価値について私たちは議論する必要がある」。
ムスリムとして社会の一部であること
エンダー・チェティン氏(会場となったモスクの代表):
「2001年9月11日以降、イスラーム圏からの移民の背景を持つ人々は、ドイツ社会において、ムスリムとして捉えられることが多くなった。そしてまた、周りから宗教を通して認識され、宗教を理由に非難されるようになった人々の多くが、社会に対する抗議の意味合いでイスラームを自らのアイデンティティとして強く意識するようになった。イスラームは、つまり、社会の統合という観点において、ネガティブな意味合いを帯びてきた。しかし、今、難民の波がドイツに押し寄せる中で、難民支援に取り組むことをムスリムが社会の一部として責任を果たす、そのことの証として捉えようとする機運が高まってきている。そういう機運をなんとかつぶさないように、皆さんの理解と支援をお願いしたい」。
プロテスタントの登壇者として参加したウルリーケ・トラウトヴァイン氏:
「難民問題をめぐっては、『歓迎の文化(Willkommenskultur)』ということが盛んに言われたけれど、それを可能にするためには、まず『歓迎の構造(Willkommensstruktur)』が必要だと思う。イスラーム団体が難民支援に積極的に取り組んでいることは確かだし、キリスト教系の福祉団体が国の助成を得ているように、イスラーム団体も難民支援の財政基盤を支えるための助成を受けられるようにするべきだ」。