30年以上前に脱原発を決めたオーストリア

永井 潤子 / 2012年9月16日

この夏私はオーストリアで10日間、すばらしい休暇を過ごした。なによりもオーストリアの自然、アルプスの高い山々と湖のある美しい風景が、印象に残った。とくにすばらしかったのは、ザルツカンマーグート地方にある絵のように美しい湖畔のハルシュタットの風景で、古くから岩塩の発掘で潤ったというこの小さな可愛らしい街は、1997年以降ユネスコの世界遺産に登録されている。こうした美しい街や由緒ある温泉保養地に泊まりながら各地の夏の音楽祭でオペラ やオペレッタを7つも見た。私の人生ではじめての贅沢な旅で、オペラファンとしては夢のような毎日だったが、この旅行で思い出したのは、オーストリアが 30年以上も前に脱原発を決めたことだった。そのいきさつを改めて思い起こし、現在のオーストリアのエネルギー事情についてお伝えする。

 

オーストリアでは早くも1960年代から反原発運動が活溌になっていたという。その一方、右派のオーストリア国民党(ÖVP)政権は1969年、 ウィーン近郊のニーダーエスターライヒ州ツヴェンテンドルフに最初の原発を建設することを決定した。同州の医師会議などは原発の健康に及ぼす危険性を指摘 して反対を表明したが、その後政権の座についたオーストリア社会党(SPÖ)のクライスキー首相のもとで、1972年、原発の建設が開始された。しかし、 当時の与党の社会党内部にも原発建設に反対する人たちが少なくなく、保守系の自然保護団体、キリスト教関係者など、政治的立場を超えた幅広い反原発運動が生まれた。さらに1977年、地震学者がドナウ河畔のこの原発建設地で地震が 発生する危険があると警告したことなどもあって、国民議会は1978年春に完成したツヴェンテンドルフ原発(出力723メガワット)の稼働を認めるかどうかの国民投票を実施することを決定した。

この国民投票が当時大きな議論を巻き起こしたのは、クライスキー首相が稼働を否決されたら辞任する意志を表明したこと、原発賛成派と反対派が、左右両陣営で入り乱れていたことなどが原因だった。例えばオーストリア社会党と密接な関係にあった労働組合総連合は経済界などと同じように原発稼働に賛成していたが、そもそも最初に原発建設を決めた保守の野党、オーストリア国民党はそのころは稼働反対に変わっていた。国民投票で反対票が多ければクライスキー 政権を倒せるという政治的思惑からだった。

こうした複雑な政治的背景のなかでオーストリアは第2次世界大戦後初の国民投票を1978年11月5日に実施した。結果は原発稼働賛成45. 5%、反対55.5%という僅差だった。オーストリア国民は、52億シリング(3億7790万ユーロ、377億9千万円)という当時としては莫大な費用をかけて完成 したツヴェンテンドルフ原発の稼働を拒否したのだ。クライスキー首相はこの国民投票の結果を受け入れて原発を稼働させなかったため、辞任にはいたらず、かえって国民の人気を高め、1979年の国民議会選挙ではこれまでで最高の勝利をおさめた。

オーストリア国民ないし政治家たちが偉かったのは、ツヴェンテンドルフ原発の稼働拒否だけにとどまらなかったことだ。同年12月には「オーストリアにおけるエネルギー供給のための核分裂の使用禁止」に関する法律が制定された。1986年のチェルノブイリ原発事故を経て、さらに1999年には「原子力のないオーストリア」と名づけられた法律が制定された。この法律は連邦憲法と同じ重みを持ち、第一条には「オーストリアにおいては核兵器を製造、保有、移送、実験あるいは使用してはならない」と記され、第2条には「核分裂を通じたエネルギー生産を目的とする施設はオーストリアでは建設してはならない。現在すでに存在している施設は稼働させてはならない」と記されている。オーストリアは脱原発だけではなく、核兵器も拒否する脱原子力政策を法律に明記 したのだ。

完成したものの1度も稼働されず“廃墟“となったツヴェンテンドルフ原発は、以来“警告の記念碑”としての役割を果たしている。原子炉は一般に公開されており、実際面ではドイツの同じ型の原発3基に部品を提供したり、ドイツなど他国の原子力技術者の養成に貢献したりしてきたが、今では敷地内に大規模なソーラー施設が設けられ、2009年6月から操業開始、年間平均180メガワット時の電力を供給しているという。敷地内にはエネルギー研究所や太陽光発電研究センターなども設けられている。

原発を拒否したオーストリアでは1979年から1988年までの間に石炭による火力発電所5基が建設され、現在電力需要の約25%をまかなっている。現在では再生可能なエネルギーによる電力が需要の62%を占めるというが、もっとも多いのが水力発電だ。アルプスの山々から流れる川や湖が多く水力に恵まれるオーストリアは、ノルウエーやスイスと並んでヨーロッパの3大水力発電国に数えられる。太陽光や風力発電、それに木材による発電にも力が入れられているが、全体に占める割合はまだ8%程度で少ない。

福島第1原発の事故の後、オーストリアの人たちは30年以上前の自分たちの選択が正しかったことを再認識したというが、彼らも原発の恐怖から自由なわけではない。チェコやスイス、スロバキア、スロヴェニア、ハンガリーなど周辺の国々の原発に取り囲まれているからだ。もうひとつの問題は、オーストリアが電力需要のすべてを自給自足していないことである。不足する分は近隣諸国から輸入しているが、その中に何パーセントの原発エネルギーが含まれているかは正確には分からない。そのためオーストリア政府と各州政府は、自国の原発を廃止しながら他国の原発電力を輸入するという“二重基準”をなくすため、電力の完全自給自足を目標に掲げて努力している。オーストリア政府はまた、周辺各国にこれまで以上に強力に脱原発を呼びかけている。「ヨーロッパ全体で脱原発 を実現させなければならない」というのがアルプスの小国(人口はドイツの約10分の1)、オーストリアの国を挙げての悲願だという。