土でできたベルリンの礼拝堂

やま / 2012年7月16日

東西ベルリンを隔てる“悲劇の壁”があったベルナウアー通り。その壁を記念した壁公園の中に、「贖罪礼拝堂」が建っています。ここは以前「贖罪教会」のあった跡です。この礼拝堂の棟上式は1999年の壁崩壊10年後に、竣工式は2000年11月9日の壁崩壊記念日に行われました。完成後10年しか経っていませんが、昔からずっとこの土地に建っているかのような印象を受けるのは、使用されている建材のせいでしょうか。ここでゲニウス・ロキ1)を感じました。この礼拝堂についてはマスメディア、専門書、パンフレットなどで数多く紹介されていますが、私はこの建物を“みどりのめがね”をかけて見学しました。

見学会の主催者であるモニカ・レマンさんの説明が終わった後、土壁をさわってみました。3ヶ月間、14カ国からやってきたボランティアの人々が列になり3時間交替で厚さ60cm、高さ7メートルの土壁を踏み固めました。コンペに優勝したベルリンの建築家、サッセンロート(Sassenroth)とライターマン(Reitermann)は当初、建築素材として鉄筋コンクリートとガラスを提案したそうです。施主であるヴェディング教区は、どこにでも見られるインターナショナル・スタイルでは、特別な歴史を持つ礼拝堂には適していないと考え、代わりの建材を探しました。この教区の歴史的、宗教的背景を象徴できるシンボルとして土壁と木材が取り入れられることになりました。1961年に東西ベルリンが壁で分断された当時、教区も犠牲になり、信者の大半は西側に住んでいたため、壁の向こうに建つ教会に行くことはできませんでした。第2次世界大戦の空襲の被害は少なかったのにもかかわらず、信者を失ったこの教会は1985年に東ドイツ政府により爆破されてしまいました。それは壁崩壊のわずか4年前のことでした。「このような悲劇を乗り越え、今の市民は平和な生活を送っています。しかしこの状態を決して当たり前だと思ってはいけない。いつまでも続くと思い建材や形で固めてはいけない」。このような施主の願いがいつかは朽ち果てる土壁に込められているようです。

“みどりのめがね”で390トンの土壁を見ると、環境にやさしい物質でいっぱいです。風土と気候に適したベルリン周辺地域の土と亜麻が用いれられていました(地産地消)。爆破跡にそのまま積まれてあった教会の瓦礫も見られました(アップサイクル2)。型枠に泥を入れて半分の量になるまで踏みしめる作業は、堅固な土壁を作るため古来から伝わる技法です(ローテク)。しかし土、草(藁)、水の割合など土壁の構造知識に詳しい専門家はベルリンでは見つからず、結局オーストリアに住む、実績の豊富なマルティン・ラウフ氏3(Martin Rauch)に施工を依頼しました。礼拝堂内の床も土間になっていて、一年に一度天然ワックスで磨くそうです。その費用は1500ユーロ(約15万円)ですが、それ以外の維持費は特に必要ないということです。ですから教区の“ふところ”にもやさしい建物です。ガラス・コンクリート建築とは違い、建材費用と製造エネルギーは少なく、高額な工事費を負担できない教区にとっては土・木材建築は好都合と言えましょう。

贖罪礼拝堂が消費するエネルギーは、暗くなったときにつける照明だけです。暖房設備は設置されていません。390トンの土壁が熱を貯えます。天窓から太陽光が堂内の床を暖めます。以前の教会と比べると礼拝堂の床面積はとても小さなものです。教会堂を壁の向こうに失った教区は既に西ベルリン側に代わりを建てていました。追加となる新築は、必要以上に広くならないようにと配慮されました。こじんまりしているので、寒い日でも礼拝者が集まって外套を着ていれば、我慢できるほどの室温になるそうです。「パイプオルガンは一年中良い音を出しています。空調などの設備なしでも堂内の気温、湿度、空気質などが楽器には快適であることが分かります。」と説明するモニカ・レマンさん。

土壁や木材の表面は化学塗料などで加工されていません。木材がいつまでも新鮮な色をしているのは不自然です。塗料で”化粧“をしなくてもいいのです。この美的観念は日本のわびさびと同じだなと思いました。足で踏むという人間の動作が、土壁の表面に映っているように見えました。力強い足踏み、細かい足踏み、偶然に踏み入れた瓦礫、いくら見ても飽きない“絵”が鑑賞できました。

人間は土から創られ、そして土に戻ると聖書に書かれています。この深遠な真理を思い出してほしいと施主は願っています。何十年後、何百年後に贖罪礼拝堂が崩れて、残るのは無害な土です。自然にもどり、そしてこの土からまた何が生まれるのか、持続可能性は無限です。

1)ゲニウス・ロキ(Genius Loci、「地霊」)とは、現代建築において「ある場所の特有の雰囲気」を指す言葉である。 中村雄二郎は「ゲニウス・ロキは、それぞれの土地がもっている固有の雰囲気であり、歴史を背景にそれぞれの場所がもっている様相である」と説明している。 ゲニウス・ロキ概念は、建築ならびにランドスケープ、タウンスケープ(シティスケープ)等において、その場所の歴史的経緯や雰囲気、変遷を考慮する必要が あると主張するものである。Wiki参照

2アップサイクルというのは不要なものに付加価値をつけて再利用するというもので、今まで使用していたものを同じように再利用するというリサイクルとは異なる。

3マルティン・ラウフ氏のプロフィール。製陶術、焼き窯製法を専門学校で学んだ後、ウィーン美術大学に入学。1983年ディプロマ「Lehm Ton Erde」取得。2010年からユネスコ講座「Earthen Architecture」の名誉教授。www.lehmtonerde.at

 

2 Responses to 土でできたベルリンの礼拝堂

  1. みづき says:

    この礼拝堂、うちから近いので、行ってみたいと思います。
    この記事のおかげで、細かな素材の違いもちゃんと見ることが
    できそうで、感謝です!

    「いつか朽ち果てるような素材をあえて選んだ」というのは
    すごい発想ですね。
    おっしゃるとおり、日本のわび、さびと似た発想だと思いました。

    海外で暮らしていると、外国の人に「わび、さび」について
    聞かれる機会がありますが、現代の日本の一般人の生活では
    あまり、わびさび的美的感覚は取り入れられてないように思い、
    説明しながら自分で戸惑うことがあります。

    谷崎潤一郎の本に「陰影礼賛」っていうのがありますが、
    現代の日本では、あまり陰影ってないですし…。
    電気を使って、こうこうと照らすほうが普通だったりしますもんね。
    食事時でも、ドイツのほうが間接照明を使うことが多いように
    感じます。
    これは、和食のほうが見た目の彩りなどを重視するから
    かもしれませんが…。

    • やま says:

      コメントありがとうございます。谷崎潤一郎の「陰影礼賛」はドイツ語に翻訳されていて、建築家や学生の間では”読むべき本“の中の一冊です。専門書店では、この小さな本は必ず置いてあります。私も実はドイツ語版を読みました。