メルケル首相の対抗馬、SPDの新たな希望

永井 潤子 / 2017年2月5日
Quelle: SPD

Martin Schulz      Quelle: SPD

ヨーロッパ各国で重要な選挙が行われる今年2017年は、EUの将来を決定する分水嶺になると見られている。イギリスのEU 離脱決定に続き、アメリカのトランプ政権誕生で、ヨーロッパ各国の右翼ポピュリズム政党が勢力を伸ばすなか、ドイツでは、これまでヨーロッパ議会の議長を勤めたマルティン・シュルツ氏が社会民主党(SPD)の連邦首相候補に決定した。以来、社会民主党の支持率が上がり、入党希望者が続出するという新たな現象が生まれている。

社会民主党は現在保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と大連立を組み、現党首のジグマー・ガブリエル氏は、これまで第3次メルケル政権内で経済・エネルギー相を務め、同時に副首相の地位にあった。世論調査での社会民主党の支持率は、ガブリエル党首のもとで下がり続け、最近ではその支持率は20%近くに低迷していた。今年9月24日に行われる連邦議会選挙で、保守陣営は昨年のうちにメルケル首相を4度目の首相候補にすることを決定していたが、SPDでは誰が首相候補として選挙戦を闘うか、最近まで決まっていなかった。首相候補者としてガブリエル党首とシュルツ氏の名前が上がっていたが、SPD党員を含め多くの人が、ガブリエル党首が結局首相候補になるだろうと漠然と考え、党支持者の間では諦めムードが広がっていたと言われる。

そうした中で雑誌「シュテルン」がガブリエル党首との独占インタビューを1月 25日号で発表、彼の党首辞任の意向とシュルツ氏の首相候補決定を伝え、大きな反響を呼んだ。 そのためガブリエル党首は1月24日、その報道を確認した。そうした経緯もあって党の首脳部にとっても、この決定は大きな驚きだった。

SPD の党首交代は、3月に行われる党大会で正式に決定されることになっているが、ガブリエル氏は1月27日、2月に行われる大統領選に臨むため外相を辞任したシュタインマイヤー氏の後継者として外相に就任した。経済・エネルギー相の後任には、女性のブリギッテ・ ツュプリス元法相が就任した。

SPDの新首相候補決定が発表された直後、公共放送、ドイツ第一テレビ (ARD)が行った世論調査、ドイチュランド・トレンドによると、「シュルツ氏を良い首相候補だ」と見る人は全体の64%にのぼり、SPD の支持者にいたっては、81%がシュルツ氏の首相候補決定を歓迎している。また20%あたりを低迷していたSPDの支持率も短時間のうちに23%から24%に上がり、2月2日の調査では支持率が28%に跳ね上がった。各地のSPD支部には新たに入党を希望する人たちが殺到し、入党申請書が足りなくなったところもあるという。

新連邦首相候補、マルティン・シュルツ氏の名前は有名だが、彼が実際にどういう人物なのか、一般にはこれまであまり知られていなかった。それは彼が長年ヨーロッパ議会で活躍し、ドイツ連邦議会の議員だったことが1度もないことなどによると思われる。シュルツ氏の連邦首相候補に批判的な人は、彼にはドイツ連邦レベルでの政治経験がないことやアビトゥーア(高校卒業資格)も所得してないことなどをマイナス点としてあげるようだ。

報道週刊誌「シュピーゲル」は、1月28日号の表紙に大きな氏のカラー写真と「聖マルティン、権力欲に飢えた首相候補、シュルツ氏」というキャプションとともに、同氏の経歴や生い立ち、性格などを詳しく伝えた。この記事や他の様々なメディアから得た情報によると、氏のポートレートは次のようなものになる。

マルティン・シュルツ氏、現在61歳、1955年12月20日、ドイツ西部、ノルトライン・ヴェストファーレン州の西部、オランダとの国境に近いアーヘン近郊の小さな町に5人兄弟の末っ子として生まれる。父親は警察官、祖父は炭鉱夫で、二人とも社会民主党員、伝統的な社会民主党の労働者の家庭で育ち、自身も1974年、19歳でSPD党員となる。カトリック教徒。若い頃はサッカーに熱中し、青少年チームで活躍、プロのサッカー選手になるのが夢だったが、膝や十字靭帯の怪我でその夢は敗れた。ギムナジウム時代には2度落第し、大学入学に必要なアビトゥーアを取得できなかった。その上、社会民主党青年部の地域支部長の地位も失った。失意のあまり、アルコールに溺れ、絶望から自殺を考えた時期もあったという。そんなか彼を救ったのは兄で、彼のアドバイスで、病院のアルコー中毒の治療を受けることになり、それが一大転機になった。「精神分析の治療で、自分の実力を考えずに高望みし、失望を繰り返してきた自分の性格に気づかされ、現実を見ることをここで学んだ」ということである。1980年以降禁酒を守っている。

1975年から1977年まで専門書籍販売員の職業教育を受け、資格を得て様々な書店で働いた後、1982年アーヘン近郊のヴュルゼレンに姉とともに書店と出版社を設立、1994年まで経営した。1987年31歳の時にヴュルゼレン市の市長になるが、当時ノルトライン・ヴェストファーレン州内で最年少の市長だった。同市長を11年間務める。1994年ヨーロッパ議会議員に選ばれ、2012年から2016年11月までヨーロッパ議会議長を務めた。ドイツ語の他にフランス語、英語、オランダ語、スペイン語、イタリア語を流暢に話す。造園の専門家である夫人との間に成人した子供が二人いる。

1月29日の日曜日に開かれたSPDの党首脳部会は、全員一致でシュルツ氏を首相候補に選んだだけではなく、氏の立候補に対して賞賛と感謝の言葉が述べられたという。正式に首相候補になったシュルツ氏はその後ベルリンのビリー・ブラントハウス(SPD本部)に詰めかけた人々を前に挨拶したが、「連邦首相になって社会的正義の実現を目指し、真面目に働き、子供達や時には年老いた両親の面倒を見て実直に暮らす人たちがより報われる社会にしたい、乏しい収入で暮らす人たちの心配に寄り添った政治を目指す」などと熱っぽく語る氏に人々は魅了された。シュルツ氏は、庶民の出である自分の生い立ちを述べ、「学歴のなさやアルコール中毒の過去を克服して第2のチャンスを掴んだ自分を誇りに思っている」などとも語ったが、「自分はエスタブリッシュメントではなく、君たちの仲間だ」というのが氏の明白なメッセージである。わかりやすい言葉ではっきりものを言う野心満々のシュルツ氏、政策についてはSPDの原点に帰る事を目指すという。SPD はまさにこうした首相候補者を必要としていたのかもしれない。また、排外的な「アメリカ・ファースト」を強引に進めるトランプ政権が誕生した今、民主主義の価値観の維持、EUの改革とヨーロッパの結束を力強く訴えるシュルツ氏の存在感が一層重要な意味を持って受け取られているのかもしれない。何れにしてもシュルツ氏は、早くも多くの人の心をとらえたようだ。

ミュンヘンで発行されている全国新聞「南ドイツ新聞」のヘルベルト・プラントゥル編集主幹は「彼はメルケルにないものを持っている」という見出しの記事を「マルティン・シュルツ氏はポピュリストである」と書き出している。

と言っても、それは悪いものではない。シュルツ氏は民主主義的なポピュリストである。彼は社会正義や基本的人権などの民主的な価値観、あるいはヨーロッパについて、人々を感動させるように語ることができる。彼は一般大衆受けするように、つまり、わかりやすい言葉で彼自身の内面の情熱が伝わるように演説する。ポピュリストという言葉自体は本来悪いものではない。その裏にナショナリズム、排外主義、外国人差別などが隠されている場合に大衆的な過激主義となる。そうした動きに対抗するのに、人々に訴える力のあるシュルツ氏は適している。彼はハーバーマスのような学者ではないが、生活から教訓を得た人物として選挙戦で健闘するだろう。

決定直後のARDの世論調査で、「連邦首相を直接投票するとしたら、シュルツ氏を選ぶ」と答えた人がメルケル首相と同じ41%だった。2月2日に行われた同調査では、シュルツ氏を選ぶと答えた人は50%に増え、メルケル首相の34%を大幅に追い越した。SPDの首相候補に対する、こうした高支持率が一時的なもので終わるのか、9月24日の選挙の日まで続くのか、あるいはますます高まるのか、今年秋の連邦議会選挙が面白くなったのは確かである。

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