ヘイトスピーチに対するメルケル首相のメッセージ
ギリシャ債務危機の問題が一段落して以来、ドイツでは難民のニュースが出ない日はないほどだ。8月31日、メルケル首相の恒例の記者会見が行われた。この会見で、同首相は初めて大きな社会問題になりつつある難民の受入れについて、明確な発言をした。
8月27日、71人の難民の遺体がハンガリーとの国境に近いオーストリア領内の高速道路脇で大型保冷車から発見された。その時、バルカン諸国とEUの会議のためにウィーンに来ていたメルケル首相は、そのニュースに動揺を隠せなかったと報じられている。それから数日後に行われた今回の記者会見でのメルケル首相の冒頭の言葉は、「話すべき問題は山のようにある。自然災害ではないが、現在起きている悲惨な状況について話したい」というものであった。
ドイツは今年中に難民の数が80万人に上るだろうという予測もあり、これは去年のおよそ4倍となる。しかし、どのような方針で取り組むのか、具体的にどのような対策を講じるのかといったことについて、連邦政府は明確な態度を示さず、州や地方自治体に任せていた。市町村や州からは、押し寄せる難民の収容施設の不足、担当する行政の職員不足、財政負担の増加、連邦政府からの支援不足などに不満の声が上がっていた。これらの問題に加えて、「ネオナチ」と言われる極右グループやその支持者たちが難民の受入れに反対し、難民収容施設近辺でデモや暴動を起こしたり、放火したりする事件が発生している。例えば、ザクセン州のドレスデン近くにあるハイデナウでは、8月22日と23日に難民排斥の暴動が起きた。その翌日の8月24日、ガブリエル副首相(連邦経済・エネルギー相)が即座に同地を訪れ、このような排斥活動をするグループに対し「彼らに対する答えはただ一つ。警察、検察、捕まえた者は刑務所に入れる。ドイツは極右の嫌がらせには1ミリたりとも譲らない」と激しく非難の声を上げた。ハイデナウの市長が、「今日は副首相、明日は首相が来る」と楽観的な予想を発言したところ、実際8月25日にメルケル首相もハイデナウを訪れ、「他の人々の尊厳を疑問視する人たちは容認できない。法的かつ人道的に援助が必要なとき、援助する用意がない人たちは許せない」と述べた。
以上のような状況下で行われた今回の首相会見では、難民の問題が主要テーマになることは必然であった。メルケル首相が難民問題に対して手をこまぬいてきたために、極右やその同調者が難民への直接的また間接的な嫌がらせを起こしたという批判的な報道も多かった。メルケル首相は記者会見でこのような批判に応えようとしたことは明らかだ。
メルケル首相は、ドイツが難民を受け入れる根拠は連邦基本法に規定された人間の尊厳と庇護権であると述べ、難民へのヘイトスピーチや排斥デモを行う人たちを激しく非難した。「どのような理由であれ、このようなデモへの参加を呼びかける人たちには従わないように。彼らの心は偏見に満ち、冷たさと憎しみがあるからだ。近づかないように!」と強い口調で訴えた。さらに、難民の受入れはドイツにとって大きな挑戦であることを認めた上で、「ドイツは財政危機を乗り越えた、脱原発も短期間の間に実行に移した、自然災害も克服してきた、さらに25年前には東西ドイツ統一も果たした」と述べ、難民受け入れは国民的な課題であり、「我々は必ず成し遂げる」と述べた。
私は外国記者協会の会員として、初めてメルケル首相の記者会見に参加したのだが、いくつか驚いたことがあった。一つは、記者会見の最初に首相が連邦記者協会からの招待に謝辞を述べたことであった。これについては、「外国記者協会に登録」でも書いたが、ドイツでは政府が記者会見を開くのではなく、連邦記者会が主催し、首相を招待するのである。日本で首相が記者クラブに招待を感謝することなど、見たことも聞いたこともない私には実に新鮮な驚きだった。二つ目は、メルケル首相が1時間半近くの記者会見中、冒頭のステートメントでは少しメモに目をやったものの、それ以後のすべての質問に自分の言葉で答えたことだった。質問の中には、首相への厳しい批判を含んだものもあったが、常に冷静で声を荒げることもなく、時にはユーモアを交えた受け答えは、日本の首相の受け答えに慣れてしまった私には特に印象的だった。
記者会見が終わると、すぐにメルケル首相の発言がメディアで報じられた。難民受入れ問題について首相が責任を持つという意志表明したことを、遅すぎはしたものの、喜ぶべきことだと歓迎する論調が多かった。恒例の記者会見だが、今回は、メルケル首相が難民をテーマとして最初に自分から語ったこと、非常に明瞭かつ強い語調で外国人排斥やヘイトスピーチを非難したことが、例年の記者会見とは大きく違っていたと指摘する新聞記事も目立った。
私は初めて参加したので、ドイツの諸新聞が書いているような今までの記者会見との違いを実感できない。それでも、難民への嫌がらせやヘイトスピーチに対して断固と立ち向かう首相の決意の強さは伝わってきた。難民排斥が激しかったハイデナウで、首相に対して激しいブーイングや“裏切り者!”といったプラカードが掲げられたことについてどう思うかという記者の質問に、メルケル首相は、「罵倒されることも政治家の仕事。気になるのは、私が罵倒されることではなく、このような憎悪や雰囲気がドイツにあることだ」と答えた。そして、外国人への罵詈雑言、暴力を正当化するものは何もないことを強調した。
「首相の表明は喜ぶべきことであり、どうしても必要なのだ。憎悪、暴力、外国人への敵意について、首相がどのようなメッセージを発するのかがまさに問われているからだ」と南ドイツ新聞は書いている。メルケル首相は今回の記者会見で、今までにはない明確な言葉で、ヘイトスピーチは許さないというメッセージを発したのである。
ドイツでの状況がよく伝わってくることはもとより、現在、日本が置かれている状況(安保法案、ヘイトスピーチ、報道の自由など)への示唆に富む、大変興味深い記事でした。ありがとうございました。
先日仲間と「ヘイトスピーチ」安田浩一著を読みました。
権力者とマスコミの関係、国のトップの品性・知性・目線の違いがよく分かりました。同時に、そういうトップを選んでいるのは我々国民なのだ、と言うことも実感させていただきました。記事に感謝です。
首相の人格以上にリーダーとしての言動は実に強力なメッセ-ジを持ち、他国の首相にもこうあってほしいと思うことが多い。
ドイツのいくつかの州を訪ねた事があるがあるが、国の空気が違った「快適さ」が感じられたのは、リーダーの意思がはっきりと明確に示されているからなのでしょう、と実感。 人々の連帯感が強く感じる国の一つでした。
堂々とした素晴らしいドイツの首相のメッセージです。
何故かわかりませんが、小さい時に読んだ「裸の王様」のはなしを思い出しました。
たしか、我儘な王様がいて、周りの家来をふくめた大人たちがおべっかばかりを
言っていたが、損得に関係ないこどもが王様は何も着ていなく、裸であると大声で
笑った、と記憶しています。どこぞの首相に聞かせてやりたいはなしではあります。