ベルリンに出現した「平和の像」

池永 記代美 / 2019年9月1日

ベルリンで展示された「旅する平和像」。「あいちトリエンナーレ2019」で展示されたものと、肩にとまっている鳥の色が違う。

古い食器やアクセサリー、凝った装飾のほどこされた本棚やテーブルなど、見物しながら歩くだけでも楽しい、ベルリン•シャルロッテンブルクの骨董街。そこに白地にオレンジ色でGEDOKと書かれた看板を掲げた、小さなギャラリーがある。8月2日から25日までこのギャラリーで、『TOYS ARE US』(私たちはおもちゃ) というタイトルの美術展が開かれた。文字通りおもちゃをテーマにした展示だが、そこに「あいちトリエンナーレ2019」の企画展『表現の不自由展・その後』が開幕早々中止されてしまったきっかけとなった、あの「平和の像」が 展示された。

GEDOKは芸術の分野でも女性と男性の平等を実現しようと、ワイマール時代の1926 年に女性芸術家たちが設立した伝統ある組織だ。現在ドイツ全国に23の支部があり、『TOYS ARE US』展を開いたのはベルリン支部だ。展示されたのはGEDOK所属の9人の女性アーティストの作品と、一つの招待作品だった。 おもちゃの世界は広くて深い。鮮やかな色使いでぬいぐるみと持ち主の奇妙な関係を表現した作品や、アンデルセンの童話に発想を得た作品を見ると、自分の子供の頃のことが懐かしく思い出された。ピストルやスマートフォンを描いたクレヨン画の作品群は、 おもちゃと武器の境界が曖昧になってしまった現代社会の恐ろしさを示唆しているように思えた。庇護者のように体を覆う手の下で、人形が血を流している作品は、本来は子を守るべき親や教会による児童虐待を告発しているようで、ドキッとした。

男と女の戦争ゲームをイメージしたハイケ=フランチスカ・バーチュさんの作品。中央の塔は、ベルリン中心部に立つ戦勝記念塔だ。

しかし30点あまりある展示作品の中で「最も心をかき乱すのは、『旅する平和像』だ」と、GEDOK理事のカロラ•ムイザースさんは展示に合わせて作られた小冊子の挨拶文の中で書いている。「日本軍の性奴隷にされた『慰安の人形』が、髪もとかさず、裸足で、手をぎゅっと握りしめ、罪滅ぼしをしてもらえるのを待ち望んでいる」からだ。一方、同冊子に寄せた前書きで、シャルロッテンブルクを管轄する区の平等問題担当官カトリン•リュックさんは、「実際にアジア•太平洋戦争で、女性は戦争遂行のための玩弄物にされてしまいました。女性が権力者の『おもちゃ』にされてしまうことを、この『慰安婦像』は私たちにはっきりと見せつけてくれました」と、 「旅する平和像」とこの展示のテーマの関連性を端的に説明している。

GEDOKギャラリーで展示された「旅する平和像」は、2011年、ソウルの日本大使館前に設置された「平和の像」(正式名称は「平和の碑」だが、碑は抽象的な印象を与えるので、本文では像とする。 日本では「少女像」や「慰安婦像」とも呼ばれている)のレプリカだ。「平和の像」はカミングアウトした元「 慰安婦」の女性たちの勇気に敬意を表し、「慰安婦」制度のような戦時性暴力が二度と繰り返されないことを願って、韓国人のキム•ソギョン、キム•ウンソン夫妻が製作し、韓国市民の手によって設置された。しかし日本政府がいつまでも正式な補償や心のこもった謝罪を行わないため、今や韓国ではこの像は日本政府への抗議の象徴となり、日本でもそのように受け止められている。ソウルの「平和の像」はブロンズ製だが、レプリカはプラスチック製で、彩色もされている。このレプリカはソウルでバスに乗せて走らせるパーフォーマンスのために、2017年に全部で5体作られ、その一つが「あいちトリエンナーレ2019」に出展され、 もう一つがベルリンにやってきたというわけだ。

ぬいぐるみをテーマにした自身の作品の前で挨拶をする、展示企画者のフラウケ・ベーケさん。

『TOYS ARE US』展を企画したGEDOKのフラウケ•ベークさんは、像をバスに乗せて走らせたというアイデアに魅かれてこの像を展示に招くことにしたそうだ。そのためGEDOKの展示でも、像はまるでバスに乗って移動中かのように、バスの座席に座っており、タイトルも「旅する平和像」と付けられた。ベークさんによると、今や平和のシンボルとなったピカソが描いた鳩のように、この像には芸術の域を超えたシンボル的な力があるという。彼女は「平和の像」が、日本と韓国の外交関係の悪化を招いたことを承知の上で、GEDOKの展示に招待したという。しかし、ほぼ時を同じくして「あいちトリエンナーレ2019」(8月1日開幕)で同じ像が出展されることは知らなかったし、ましてや河村たかし名古屋市長が、「どう考えても日本の、国民の心を踏みにじるものだ」と、 開催二日目にして展示を中止するなど予想もしていなかった。その発言のあった日はまさにGEDOKでの展示のオープニングにあたったのだが、「ドイツでは基本的に芸術上の表現の自由は保障されている」とベークさんは、日本での政治家の介入に戸惑いを見せた。その翌日の8月3日、「表現の不自由展•その後」が中止されたことを受けてGEDOKは、日本での経緯はよくわからないとしながらも、ベルリンの展示は続けると述べ、その通り実行された。

ただし「旅する平和像」は、展示会開催中に1日だけギャラリーを抜け出して外出した。8月14日、ベルリンで行われた「慰安婦」メモリアルデーの集会に参加したからだ。この集会は、「慰安婦」問題の支援を行なっている韓国連合の「慰安婦」問題グループ、韓国女性グループ、韓国国際女性ネットワーク•ドイツ支部、 日本人の女性を中心とする「ベルリン女の会」の4つの団体が主催し、15の団体が支援した。集会が開かれたのはドイツ統一の象徴で観光名所でもある、ブランデンブルク門前の広場だった。100名近い人が集まり、多くの観光客も何事かとしばらく立ち止まって集会の様子をのぞいたり、横断幕やプラカードを読んでいったりした。

賑やかな太鼓の演奏で始まった「慰安婦」メモリアルデーの集会。「平和の像」の後方で、「慰安婦」制度の被害にあったアジアの様々な地域の女性の肖像写真が掲げられていた。

日本の政治家やマスコミは、「慰安婦」問題は日本と韓国の外交問題のように扱っているが、ドイツの市民もマスコミも、これは戦時性暴力、もしくは性暴力の問題として理解している。だからこそ、ドイツの市民団体である「迫害された人々のための協会」や、過激派組織「イスラム国」の戦闘員らに過酷な性的虐待を受けたヤジディ教徒の女性の支援を行うヤジディ女性評議会などが、この集会の支援団体として名前を連ねたのだ。参加したグループが、次々にメッセージを読み上げるリレー演説形式で集会は行われたが、その内容は日本政府を非難するというより、被害女性の名誉回復を望み、世界中の戦時性暴力がなくなるための、あらゆる努力をしていこうという呼びかけだった。ただし、アクチュアルな問題として、日本政府が韓国に対する貿易上の優遇措置を取り消したことや、「表現の不自由展」が中止され、日本で表現の自由が守られていないことに対する怒りの声が聞こえた。しかし集会参加者が掲げた「NO Abe」というプラカードに現れているように、その怒りは日本という国や日本人ではなく、安倍政権に向けられたものだった。

「旅する平和像」はブランデンブルク門の前では、「平和の像」と同じように普通の椅子に座り、その横にはもう一脚の椅子が置かれた。印象的だったのは、集会の間やその後に、多くの人たちが空いている椅子に座り、像と記念写真を撮って行ったことだった。愛おしそうに、少女の髪や頬を撫でたり、優しく手を握ったりしている人もいた。この像には本当に、人の気持ちを優しくする不思議な力があるのかもしれない。「平和の像」の設置や展示を躍起になって日本政府が妨害すればするほど、日本政府への反感が強まるのは当然のような気がした。

一時間半ほどの集会を終えて、「旅する平和像」はバスと電車を乗り継いで、ギャラリーに帰ったそうだ。GEDOKの展示が終わった今、次はどこに向かって旅立ち、どこに登場するのか楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 Responses to ベルリンに出現した「平和の像」

  1. マリ says:

    GEDOK展示会と慰安婦メモリアルデーの報告をありがとうございました。双方とも意義あるアクションだったと思います。確かに、お書きになったように、今回展示された「平和の像」は彩色されているせいか、人の気持ちを優しくしたと思います。

    • 池永 記代美 says:

      読んでくださり、コメントをありがとうございます。頬がほんのり赤く染まっていて、可愛らしかったですよね。「旅する平和像」は、「平和の像」のレプリカにとどまるのではなく、いずれ、独立した作品になっていくのではないかと思います。