東京オリンピック・パラリンピックは開催するべきか? ― ドイツ・メデイアの論評
ドイツのバイオンテック社とアメリカのファイザー社は、5月6日、両社が共同開発したワクチンを7月23日から開催予定の東京オリンピック・パラリンピックの選手団と代表団に無償で提供することで国際オリンピック委員会(IOC)との間で合意に達したと発表した。これをきっかけに東京オリンピック開催をめぐるドイツ・メディアの論評をお伝えする。
ワクチン無償提供について発表したファイザー社の最高経営責任者(CEO)アルバート・ブーラ 氏は、日本の菅首相と話し合った際にファイザー社側が提案し、さらにIOCとの間で合意が生まれたことを明らかにした。提供するワクチンは、各国政府との間で合意したワクチン供給量とは全く別枠であることも、強調した。
世界がこのパンデミックを克服し、世界中の人々が通常の生活に戻るために貢献することを、我々の使命だと考えている。オリンピックの開催は、世界的な一体感と平和を意味する重要な瞬間である。特に孤独や絶望感に満ちた人々が疲労困憊した一年間の後では、オリンピックは特別な意味を持つ。世界各国のアスリートたちとオリンピック委員会の代表団に、ワクチンを提供することを我々は誇りに思っている。
バイオンテック社のCEOウール・シャヒン氏も、オリンピックのために貢献できることに誇らしげである。
オリンピック参加者にワクチンを提供することは、オリンピックの開催を安全かつ成功裏に行うための決定的な措置だと言える。世界の人たちの生命を守り、彼らが通常の生活を取り戻すために、我々はすでに4億3000万回分以上のワクチンを提供してきた。今年のオリンピックとパラリンピックは、世界がグローバルな共同体であることを示す、歴史的な瞬間になるだろう。我々は、オリンピックの安全に貢献できることを光栄に思う。
フランクフルトで発行されている全国紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、上記の事実を報道した後、IOCのバッハ会長の発言を伝えている。
各国オリンピック委員会へのワクチン供給は、早ければ5月末には始め、2回目の接種をオリンピック参加までには終わらせる予定である。このワクチン無料提供は、オリンピックとパラリンピック参加者の安全対策であると同時に、開催国日本への連帯を示すものである。ワクチン接種は義務ではないが、参加者たちにはできるだけ接種して、良い模範を示すように勧めたい。ワクチン接種は本人の健康を守るだけではなく、共同体への安全と連帯、配慮を意味する強力なメッセージとなる。
「フランクフルター・アルゲマイネ」は、バッハ会長が今年3月には、2021年の東京オリンピックと2022年の北京冬季オリンピックのために、中国で生産されることになるバイオンテック社のワクチンを購入すると語っていたことも付け加えている。
「バイオンテックとIOCの二重に道徳に反するサービス」というタイトルで厳しく批判したのは、ドイツ公共第一テレビ(ARD)のスポーツ番組を担当するミヒャエル・オーターマン記者だ。
IOCのバッハ会長は深い安堵のため息を漏らしたに違いない。日本でパンデミックのためにオリンピックに反対の声が高まってきた時点での予期しない申し出が、その開催を確実にしたようだ。世界各国のアスリートやオリンピック委員会の関係者がコロナの変異株を持ち込むのではないかという不安が、日本人の間で非常に強かった。最近の様々な世論調査によると日本人の70〜80%が、今年のオリンピック開催に反対していた。しかし、世界のスポーツを牛耳っている人たちの心配の一部は取り除かれ、東京オリンピック開催は確実になったように思われる。それを可能にしたのは、バイオンテック社とファイザー社のワクチン無償提供である。
しかし、これは二重に道徳に反する申し出である。IOCがオリンピックの商業化によって莫大な利益を上げる一方で、その開催を確実にするためワクチン開発者から無償のワクチン提供を受けるのは、グロテスクである。ワクチンの不公平な分配が今、世界を豊かな国と貧しい国に分断している。国連の発表によると、現在豊かな国では5人に1人がワクチン接種をしているが、貧しい国々ではその割合は500人に1人に過ぎないという。医療制度が崩壊の危機にさらされている国も少なくない。
オリンピック参加者へのワクチン提供数は、限られたものではあるが、その事実が発するシグナルは、壊滅的である。スポーツの娯楽的イベントに救いの手が差し伸べられる一方で、例えばインドのような国はコロナ感染で悲惨な状況にある。こういう国に対してこそ、ワクチンの無償提供をするべきである。
そのために「国境無き医師団」や「アムネスティー・インターナショナル」は、コロナ・ワクチンの特許権を放棄するよう、要求している。アメリカのバイデン大統領も、それに賛成している。そうすることによって世界中のワクチン接種率を高め、世界的なパンデミックの収束に貢献する。バイオンテック社やファイザー社は自由意志で特許権を放棄することによって多大の利益を失うかもしれないが、良心の咎めなく、ワクチンの生産を続けることができるだろう。
そしてIOCは、オリンピックでの多額の利益の一部をグローバルなワクチン配分が公正に行われるために、提供すべきである。それならば、オリンピックの精神にも叶う。バッハ会長は数ヶ月前から「東京オリンピックの開催は、希望の光を意味する」と唱え続けてきたが、そうなれば、本当にオリンピックが希望の光となる。
一方、日本の関係者の間で「東京オリンピックはどうしても実施されなければならない」と考えられている背景には、日本と中国の長年のライバル関係も影響しているという、うがった見方をしているのは、マインツに本社を置くドイツ公共第二テレビ(ZDF)のトビアス・ラントヴェーア記者である。同記者は倭国とか和国、和魂漢才といった漢字の混じるオンライン版の記事の中で、ベルリン自由大学の日本学教授イルメラ・ヒジヤ=キルシュネライト氏や現代中国と日中関係が専門の諏訪一幸静岡大学教授の発言などを引用して、歴史をさかのぼって中国と日本の複雑な関係を説明する。
かつて中国は日本に取って文化をもたらす国だった。文字も詩も仏教も全て中国からもたらされた。当時は和魂漢才(注:中国から伝来した学問を日本固有の精神で活用すること)と言われ、中国の優越性は疑いのないものだった。しかし19世紀に中国は、西洋の植民地主義の犠牲になった。この事実を日本は警告と受け取り、大車輪で近代化に努めた。そして当時世界の先端を行くもの全てを吸収した。植民地主義や自国の優越性に対する確信といったマイナスのものも含めて。
その学んだ(マイナスの)ものは、日本の中国侵略、特に第二次世界大戦中の中国で発揮され、数々の犯罪が行われた。こうした犯罪について徹底的に検証するということはほとんど行われず、本格的な謝罪もされていない。現在の中国は急速に現代化を進め、世界最大の経済大国の一つにのし上がった。そして、中国と日本は経済的に密接な関係を保つようになった。特に観光と商業の面では中国と日本は相互に最善のパートナーとなっている。しかし、習近平国家主席のもとでの独裁的な“国家資本主義”の中国に対して、日本を含む西側諸国の間には、不信感と猜疑心が芽生えている。
このように日中関係の長い歴史を駆け足で説明したトビアス・ラントヴェーア記者は、「現在日本人の75%が中国に対して不信感を抱いているが、それは主として中国の香港に対する容赦のない扱いと台湾に対する攻撃的な態度が原因だ」という諏訪教授の言葉を引用して現在の日本人の中国観に触れた後、次のように主張する。
菅首相は1月には「オリンピック開催は人類の勝利のあかしだ」と語っていた。しかし、今なおほとんどの人がワクチン接種を終えていない日本で、コロナの波がさらに広がるようであれば、オリンピック開催によるリスクの高まりは、到底日本国民に受け入れられないだろう。今でさえ、日本人の69%がオリンピックの延期か中止を望んでいる。しかしながら、伝統的にメンツを重んじる日本の政治家たちにとっては、中止や延期を自ら決定することは国家的敗北を意味する。そのため、彼らは日本の典型的なやり方で面目を保とうと試みているようだ。諏訪教授は「他の多くの国がコロナ感染状況悪化のため、選手を東京オリンピックに派遣しないと言ってくれるのを待っているのではないか。そうなればオリンピックが開催できなかったのは、日本のせいではないことになるから」と見ている。日本は東京オリンピック開催のため万全の準備をしてきた、日本に落ち度はなかったとしたいのだ。彼らにとって、このことは中国との関連で重要なのだ。2022年の冬季オリンピックが開催されることは、ほぼ確実なため、東京オリンピック開催を自発的に延期したり、中止したりすることは、中国に“勝利”を譲ることになる。そのため日本のオリンピック組織委員会の面々は、今年の開催にあくまでも固執するのだ。
ZDFのラントヴェーア記者は、このように書いて、東京オリンピック・パラリンピック開催を強行しようとしている日本の組織委員会の態度には、中国への対抗意識が働いているという見方を示した。
「オリンピック選手への特権的なワクチン接種はフェアか?」という記事を載せているのは、報道週刊誌「デア・シュピーゲル」だ。5月8日発行の同誌19号は、ドイツではすでにオリンピック参加選手への優先的なワクチン接種が始まっていると報じている。
5月3日の月曜日から参加選手など1400人が10カ所のオリンピック強化センターで、接種を受け始めた。ただし一切この様子は映像や写真で伝えられていない。内務省もプレスリリースを出していない。問い合わせに対して、選手は早く接種を受けるべきだと回答しただけである。(略)どうやら、優先順位を無視して選手が接種を受けることや、パンデミックのさなかに五輪を開くことに批判が起きるのを避けている様子である。
シュピーゲル誌は、同誌の行った世論調査では、 ドイツの五輪参加選手がワクチン接種で優遇されることに賛成する人は52%で、反対は36%、分からないが12%となっていることを明らかにし、賛否両論の意見を紹介した後、次のようなドイツ倫理評議会のアレーナ・ブイックス会長の言葉で締めくくっている。
民族を一つにするオリンピックの理想は素晴らしいが、今世界は最悪のパンデミックの波に襲われている。(略)多くの国では、看護師さえまだワクチン接種を受けていない。変異株が次々と現れる状況で国際間の人の移動を増やすようなイベントを行うのは、とても困難だと思う。
ドイツの通信社DPAは、5月14日、弁護士で元東京都知事候補の宇都宮健児氏が、東京オリンピック開催に反対する請願書を、35万人以上の署名とともに小池百合子東京都知事に手渡したことなどを伝え、日本人の間に反対意見が強いため、東京オリンピック開催は今もなお危ぶまれると報道した。
世界の多くの国でコロナが猛威をふるい、開催地の日本でも感染者や死者が増え、国民の共感を得られないまま、東京オリンピック・パラリンピックの参加者だけ特権的な扱いをしてまで開催を強行することは、オリンピックの精神に沿うことなのだろうか。世界保健機構(WHO)の緊急事態対応責任者であるマイク・ライアン氏は、「IOCと日本の関係者がコロナ対策を含め、正しい決断をすると信じている」と語っている。