統一30年、東西ドイツの現状

永井 潤子 / 2020年10月4日

第二次世界大戦後、東西に分断されたドイツが41年ぶりに統一したのは、ベルリンの壁が崩壊した翌年、1990年10月3日のことだった。今年はドイツ統一30年の記念すべき年だが、毎年10月3日の「ドイツ統一の日」に各州持ち回りで行ってきた盛大なお祝いのイベント「市民の祭典」は、コロナ危機のため例年のようには行われない。今年の統一記念日の記念行事を担当するのは、現在連邦参議院の議長州であるブランデンブルク州で、公式の統一中央記念式典は、州都ポツダムで行われ、シュタインマイヤー連邦大統領やヴォイトケ・ブランデンブルク州首相のスピーチが予定されている。ドイツ連邦政府は、毎年ドイツ統一の日を前に「統一の現状」についての年次報告をまとめており、2020年の年次報告が9月16日に発表された。

記者会見で284ページにのぼる分厚い「ドイツ統一の現状報告2020」を発表したのは、連邦経済・エネルギー省の政務次官で、東部の新5州担当官のマルコ・ヴァンダーヴィッツ氏で、統一後のドイツが成し遂げた実績を強調した。新5州というのは統一とともに旧東ドイツ地域に誕生した5つの州のことで、ベルリンを取り巻くブランデンブルク州、最北部のメクレンブルク・フォアポンメルン州、西側の州に接するザクセン・アンハルト州や緑の心臓部などと言われるテューリンゲン州、そして南東部のドレスデンを州都とするザクセン州の5州を指す。ヴァンダーヴィッツ氏自身も旧東ドイツのカール・マルクス・シュタット(現在ザクセン州のケムニッツ)出身で、今年2月に現職に就任した。

1990年の東西ドイツの統一以来、東西の市民は真の統一を目指して日常生活の中で努力してきました。ドイツの真の統一は、もはや将来に目指す目標ではなく、すでに多くが実際のものとなっています。統一以来多くのことが成し遂げられました。東西ドイツはこの30年の間に経済的に一つのものになっただけではなく、人々の生活態度も似通ったものになってきています。それでいながら、ドイツ社会は多様性のある社会になったと言えます。統一後30年経った今、ドイツ連邦共和国は成功した国の一つで、多くの国民の生活水準は高まっています。私たちは、このことを誇りに思っていいでしょう。

この30年の間に旧東ドイツ地域のインフラ整備が進みました。特に道路網や医療体制は、西部ドイツの水準に達しました。生産性や賃金、年金の格差もまだ無くなってはいませんが、差はかなり縮まってきています。統一が実現した1990年当時、旧東ドイツの生産性は西の37%、賃金水準は50%だったことに比べれば、現在はかなり近づいてきています。その最も良い例が年金で、東部ドイツの年金の平均は西部の97%以上に達しました。しかし、格差の是正は、まだ十分ではありません。そして新しい課題が次から次へと現れてきています。グローバル化とデジタル化が、さらにドイツ人の生活を変えています。

新5州担当のヴァンダーヴィッツ氏は、このように統一ドイツの成果を強調した。40年以上にわたって社会主義の計画経済が行われてきた旧東ドイツ地域には、統一とともに西側の社会的市場経済体制が導入された。その転換プロセスのために大規模な支援計画が実施され、新5州の経済は全体として年々順調に発展して西側の水準に近づきつつある。今日新5州の一人当たりの平均国民総生産は西側11州のそれのおよそ73%にあたり、新5州にベルリンも加えると、79.1%に達するという(注:東西に分かれていたベルリンもドイツ統一とともに統一した。かつての東ベルリンが含まれる首都ベルリンも、東部地域の一部とみなされて統計に加えられることがある)。統一当時、西側の37%に過ぎなかった旧東独地域の国民総生産だが、現在の東部ドイツ地域の経済力は、EU 加盟諸国の平均に近づいており、例えばフランスの多くの地域の経済力と匹敵するという。また、統一直後に東部の大問題だった失業率も、2018年には6.9%と歴史的な低さになった。ただし、同西側の失業率は4.8%とさらに低い。

東部地域の経済が上昇傾向を続けているのは、主として将来性のある技術を持つ有望な中小企業の成功によるが、それでも東ベルリンを吸収した首都ベルリンの生産性でさえ、西部ドイツ各州には及ばない。東部地域の経済が、西部地域の水準になかなか達しない理由としては、構造的な問題があるとみられる。つまり東部地域には、国際的な大企業の本社が少なく、連邦施設などの公的機関も少ない。それに加えて人口の減少、特に若年層が西ドイツや外国へ転出したことによる労働力不足、中でも専門知識、専門技術を持った労働力の不足という問題を抱えている。こうした環境が、西側との賃金の格差にもつながっている。

新5州の間でも地域差は大きく、大都市と地方では大きな差がある。産業の中心としては、光学機器やエレクトロニクス産業のイエナ(テューリンゲン州)、機械製造のマグデブルク(ザクセン・アンハルト州)、マイクロエレクトロニクスのドレスデンやケムニッツ、見本市の町として知られるライプチヒ(いずれもザクセン州)、エネルギー関連のベルリンとブランデンブルク州、風力発電のロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)などが挙げられる。東部地域の経済力や生活水準が上がったとはいうものの、西側の水準にまだ達しないのは、西側の経済が東以上に伸び続けるのも一つの原因だ。ただ、コロナによるマイナスの影響は西側で大きく、東部では少ない。

統一記念日に先駆けて発表された「ドイツ統一の現状報告2020」

「ドイツ統一の現状報告2020」では、旧東ドイツ地域の市民社会の発展や東西ドイツ人の意識の差についても多くのページを割いている。東西ドイツ人の家族観やライフスタイル、余暇の過ごし方など、多くの点で似通ってきているという。また、アンケート調査の結果、現在のドイツ人は東西共に統一以来最も満足しているという事実がある。2019年の夏のアンケート調査によると、自分自身の経済状態に満足していると答えた人は、東部で66%、西部では68%で、東西の差はわずかなものだった。しかしながら、現在の民主主義体制に満足している人は、東部地域の方が西部より少ない。同じ頃に行われた別のアンケート調査によると、東西ドイツ人の88%が、議会制民主主義を理想の政治体制と認めているが、現在の政治体制について評価する人は西側では91%に達していたが、東部地域では78%に過ぎなかった。しかし、東部地域でも40歳以下の若い世代では83%に達している。

特に2015年以降の難民受け入れ問題では、東西の差が目立つ。この問題を契機に東部地域での統一以来の不満が噴出し、東部5州での右翼ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)の台頭が目立つようになり、AfDは2017年の連邦議会選挙で初めて連邦議会に進出した。それとともに外国人排斥、人種差別主義、反ユダヤ主義などが目立つようになった。そのためもあってか、2019年8月に世論調査機関、Wahlentestが行なったアンケート調査では、全ドイツ人の51%が「東部と西部地域では共通点より相違の方が多い」と答えている。もっとも、この調査では同時に「南北地域の間でも相違点の方が大きい」と答えた人が46%にのぼった。長年社会体制の異なった東西地域の差も、従来からある南北の差に近づいたと言えるのかもしれない。

記者会見の始めで、統一後の成果を強調したヴァンダーヴィッツ新5州担当官だったが、東部ドイツ地域での極右主義の台頭には懸念を示している。

統一後東部地域では市民社会の形成が順調に発展したが、まだボランティア活動など民主主義のための市民の参加は、西側の水準には達していていない。また現存する民主主義や民主的な機関に対する信頼度も、東では西側に比べて低い。外国人に対する許容度やネオナチ的傾向という点でも、東西ドイツ人の意識が同じだとは言い難い。つまりドイツ統一のプロセスはまだ完了したわけではなく、今後も克服するべき課題は多い。

連邦政府は「ドイツ統一の現状報告2020」が発表された9月16日の閣議で、今後の新5州の課題をまとめた報告書を承認した。その中には、東部地域の政治教育を充実させるため、ボンに本部のある「連邦政治教育センター」の東部の拠点をテューリンマゲン州のゲラに置くことなどの具体的提案がなされている。また去年、プラツェック元ブランデンブルク州首相を委員長に設けられた東部ドイツの現状に関する委員会「平和革命から30年とドイツの統一委員会」の報告書も、今年末には発表される予定だ。

なお、東西ドイツの市民の意識の差は、さまざまなところに現れているが、ドイツ公共第二テレビ(ZDF)が今年9月17日に発表したアンケート調査「ポリットバロメーター」によると、西部ドイツ市民の58%が「東西ドイツ統一によって生じた問題は、概ね解決された」と見ているのに対し、東部市民では、そのように見ている人は45%に過ぎなかった。特に旧東ドイツの支配政党であった社会統一党の後継政党である左翼党の支持者では「統一後30年たっても問題は解決されていない」と見る人が70%にものぼった。

東部ドイツ・ザクセン州のケムニッツで発行されている新聞「フライエ・プレッセ」は、連邦政府の年次報告について次のように論評する。

東部ドイツに大企業などの本社などが存在しないことが、東部での投資活動が少なく、民間の研究と民間企業の発展の遅れ、イノヴェーションの遅れの主な理由になっている。しかし、東部ドイツの発展については、もっと細かく見ていかなければならない。東部ドイツといっても、農村地帯は経済の発展が弱く、若い労働力の流出に悩んでいる一方で、大都市では、西部ドイツと同等の水準に達している。

西北ドイツのブレーメンの新聞、「ヴェーザー・クリエー」は、次のように論じている。

東部ドイツ経済全体の好ましい発展の中で、マイナスの特徴は次のようなものである。西部ドイツに比べて労働時間の長さ、賃金の低さ、労使協定によって賃金を決める企業の少なさなどである。統一後30年たってもこのような条件で働かなければならないのは、労働者にとっては全く不当な事である。新5州での失業率が最大の問題ではなくなった今でも、こういう状況は依然として変わらないのだ。

フランクフルトで発行されている全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」は、「より高い評価を」という見出しの論説で、次のように書いている。

もちろん東西ドイツの間には相違より共通点の方が多い。そうでなければ、統一後30年も経ったのに、おかしい。統一は結局のところ1990年当時、東西ドイツの間に圧倒的に多くの共通点があったからこそ実現したのだ。旧東独の市民はそのために街頭に出て、デモをした。統一の現状には、何十年もの強制された分離の痕が今なお刻まれている。しかし、傷は徐々に癒えてきている。同時に統一の現状を、経済的な差をなくすことだけに焦点を合わせて論じるのは間違いである。あたかも経済格差がなくなることで、”内面的な”統一が実現するかのように考えるのは、正しくない。東部地域は今や部分的には西部より繁栄している。地域全体にわたって国の助成金を出すことには常に疑問が伴うが、ここでもそれは当てはまる。東西分断時代の記憶が薄れ、一旦東部地域を離れた若い世代のなかに、再び東部地域に戻る傾向がみられる今の時代に、古い世代の統一後の苦い記憶に配慮しすぎる政治をするべきではない。旧東独時代多くの市民が街頭に出て要求した自由の維持には、北のメクレンブルク・フォアポンメルン州から南のザクセン州に至るまで、すべての州で成功している。この30年間になしとげたこと、実績を、もっと高く評価すべきである。

 

 

2 Responses to 統一30年、東西ドイツの現状

  1. 緑子 says:

    バイエルン州の田舎町からふたたびコメントさせていただきます。一般的な主婦には『統一の日』よりは、遮断機が上げられ、統一になるまでの頃の光景が思い出されているところです。
    ベルリンでは遮断機が上げられてすぐに、東ドイツの人々が西ドイツへ来れるようになったので、珍しくもない光景だったかもしれませんが、いまだに当時の光景が思い出されます。遮断機が開けられる前、ハンガリーなどにあるドイツ大使館に大量の東ドイツ人が押し寄せ、敷地の柵をよじ登っている時に、柵の内側からは仲間たちに、外側からはそれぞれの土地の警察官に引っ張られていた光景、いくつかの都市では市内に戦車が走ったことなどが思い出されます。私の実生活で目にしたのは、トラビが大変な煙を上げて来た事、東ドイツの人たちが、基礎食品の小麦粉や砂糖などカートに山積みして買い込んでいたこと、あるいは商店の棚をマジマジと見上げていたこと、そして、衣類のお店さんがプラスチックのハンガーを段ボール箱に投げ入れた物を『ご自由にお持ち帰りください』と書いて、店の前に置いたところ、東ドイツから来たばかりらしい女性たちが信じられないような顔つきをして「これ、本当に持って帰っていいの?」と数回、売り子さんに質問してたことなど…。そしてクリスマス商品の販売時期だったため東ドイツ産のチョコレートの大きなサンタさんが並んだんですが、全く買う人がおらず、あるスーパーさんでは年が明けてから、レジの外にあるテーブルに『ご自由にお持ち帰りください』の札を付けて置いてましたが、それでも手に取る人がいなかった事など…、主婦の観察ができました。統一30年間、大きな反感行動がおこらずに進んでこれたのは、素晴らしいことだと思っています。

  2. 永井 潤子 says:

    東西ドイツが統一した頃の貴重な体験をお知らせくださって、ありがとうございました。あれから30年、あっという間のような気もします。当時の旧東ドイツの実情を知っている人も少なくなり、当時を知っている人でも、悪いことは忘れて、良かったことしか覚えていなかったりします。だから東部ドイツの人のなかには、当時に比べて良くなったことに感謝するより、西に比べて東は差別されていると不満に思う人が結構いるのでしょうか。でも、ドイツに暮らす外国人の私から見ると、社会体制の違った二つの国を統一させた上、国民の多数が「自分の生活に満足している」と答えるこの国、自由と民主主義を守るため、頑張っているドイツは、すごい国だと思えます。