ハンブルク市議会選挙、元気を取り戻した社会民主党

永井 潤子 / 2020年3月1日

ドイツ北部の街ハンブルクは、ハンザ同盟時代の「帝国直属都市」の伝統から、現在も市でありながら州と同等の扱いを受けている特別市である。2月23日に行なわれたハンブルク市議会の選挙は、今年2020年に行なわれる唯一の州選挙だったため、ドイツの政党の現状を示す選挙として、その結果が注目されていた。二大国民政党の全国的な退潮傾向が続く中、ハンブルクでの社会民主党(SPD)の予想以上の得票は、国民政党の今後のあり方を示す明るい兆候と言えなくもない。

19世紀後半に建てられた立派なハンブルク市庁舎©️www.mediaserver.hamburg.de

ドイツ最大の港を持つハンブルク市は、人口約180万のドイツで2番目に大きな都市で、世界に開かれた街として知られている。国際港湾都市の伝統から、外国との関係が深く、寛容な雰囲気の経済的に裕福な街である。政治的には故ヘルムート・シュミット元首相(SPD)の出身地として知られる。伝統的にSPDの牙城で、第二次世界大戦後現在まで14人の市長のうち、11人がSPD、わずか3人が保守のキリスト教民主同盟(CDU)という実績が、それを示している。

2015年以降ハンブルクでは、SPDと緑の党が連立を組んできており、2018年以降は、SPDのペーター・チェンチャー氏が市長を務めてきた。その連立のパートナー緑の党は、カタリーナ・ヘーゲバンク氏(これまで市の教育担当長官)を筆頭候補に、初の女性市長実現を目指して野心的な選挙戦を闘ってきた。気候変動への意識の高まりと一般的な緑の党の人気上昇機運のおかげで、1月の世論調査で、ハンブルクでの緑の党の支持率はSPDの支持率と同じ29%となった。しかし、その後はSPDの方が支持率を上げていった。そして実際の選挙の結果は、暫定的な公式発表によると、SPD39.2%、緑の党24.1%と大きな差が開いた。しかし、緑の党は前回の選挙に比べ12.3ポイント増で、得票率をほぼ倍増させている。ハンブルクの有権者のほぼ3分の2がこれまでのSPDと緑の党の連立政権を支持したことになる。

一方国民政党の一つCDUはこれまでで最低の11.2%で、前回より4.7ポイントも減っている。これは東部ドイツ、テューリンゲン州の州首相選出選挙で、同州のCDU議員が、右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の議員の協力を得て自由民主党(FDP)の州首相候補を当選させたこと、そしてその後のCDU党首の辞任表明という混乱の影響を受けたためとみなされている。左翼党は9.1%で、当初5.0%を超えたと見られたFDPは、最終的には4.9%ということがわかって州議会に代表を送ることができなくなった。これもテューリンゲン州でのスキャンダルが影響したとみられる。これに反して、当初5%条項に阻まれて州議会から追放されたとみられたAfDの得票率は最終的に5.3%(前回は6.1%)となって、当初の予想に反して議席を獲得することになった。西側の州議会で初めてAfDが議席を獲得したのは、2015 年、このハンブルク市だった。今回開票直後の予想で「AfDが議席を失った」と伝えられた時には、SPDや緑の党の支持者たちなどから歓声が上がったが、その喜びは失望に変わった。

多くのハンブルク市民の信頼を得たチェンチャー氏©️Senatkanzlei Hamburg/Ronald Sawatzki

翌日のドイツの各新聞は「SPDの勝利、緑、得票を倍増」「赤(SPDのシンボルカラー)と緑の勝利、CDU の凋落」などの見出しで、それぞれ大きく取り上げた。SPDの予想以上の勝利は、ひとえに現職のチェンチャー市長の政策と選挙戦略の成果であるとする見方が、一般的である。現在54歳のチェンチャー市長は、オーラフ・ショルツ前市長が連邦財務相に就任したため、その後を継いで2018年に市長に就任したもので、今回が初めての選挙だった。長年市の財務長官を務めた人だが、元々は医師で、控えめな性格のため、これまでは過小評価されてきた面もあったという。しかし、市長としては、ハンブルク市にとっての港の重要性を認識して、その発展を図り、市民の生活向上のためには現実的な政策をとり、住宅建設に重点的に力を入れるなど、この2年間、地道に成果を上げてきた。住宅不足解消のため、最初の年には6000戸、次の年には8000戸の住宅が建設され、現在は年間1万戸以上の建設が計画されており、その実績が評価されている。

今回の選挙でもショルツ前市長の現実的な方針を引き継いで、「経済、雇用、環境の調和」をモットーに幅広い市民層を対象とする選挙戦を行った。選挙戦の最中にもベルリンのSPDの党本部の介入を断って、彼独自の選挙戦を展開した。州選挙には州独自の事情を配慮することが望ましいと考えたからだ。CDUテューリンゲン州支部の方針にベルリンにあるCDUの党本部が介入したことをきっかけに、現在のCDUの混乱が生まれたことから教訓を得たのかもしれない。

実は現在のSPD党本部の共同党首エスケン氏とワルター=ボーヤン氏は、SPDの政策を左派路線に変えることで昨年12月の党首選挙に勝利を収めたのだが、左派路線は豊かなハンブルクにはふさわしくないという考えもあった。さらに昨年12月の党首選に立候補したショルツ連邦財務相が、左派路線の現共同党首に敗北を喫したという事情もある。チェンチャー市長が党本部の介入を断った背景には、前任者のショルツ氏に対する尊敬の念も関係していたとみられている。ショルツ市長時代の2015年のハンブルク市の選挙で、SPDは今回より6.4ポイント多い45.6%もの票を獲得している。今回のチェンチャー市長の勝利によって、ショルツ氏の現実路線の正しさが実証され、同氏のSPD党内の地位が修復されたとする見方もある。

緑の党の仲間とヘーゲバンク氏(中央)©️Jörg Brockstedt

一方、連立相手の緑の党は、「最初の女性、最初の緑、最初の選択」をモットーに選挙戦を闘った。筆頭候補のヘーゲバンク氏をハンブルク初の女性市長にするという目標は達せられなかったものの、得票をほぼ倍増させ、第2党の地位を確保した。ベルリンから駆けつけた緑の党の共同代表、女性のアナレーナ・ベーアボック氏は、「素晴らしい結果」にヘーゲバンク氏と抱き合って喜んだ。これまで市の教育担当長官で市長代理を務めたヘーゲバンク氏は現在42歳、双子の母親でもある。同氏は緑の党の中では現実的で、柔軟な考え方が保守層からも評価されているというが、緑の党内の左派からは柔軟すぎるという批判もあるという。市長になる夢は達せられなかったヘーゲバンク氏だが、それでも意気軒昂、今後SPDとの連立政権の中で、特に交通部門の改革で緑の党の政策を実現させようと張り切っている。

しかし、チェンチャー市長は、野党のCDUとも連立に向けての話し合いを行うことを明らかにしている。SPDとCDUの連立政権も数字上は可能で、チェンチャー市長は中道政権の樹立も可能だというメッセージを与えようとしているのだと受け取られている。ハンブルクのSPDは最終的にはこれまで同様、緑の党と連立政権を続けるものと予想されるが、CDUとも話し合いを行うというチェンチャー市長の発言は、力を強めた緑の党を牽制する意図があるとも見られている。選挙戦中の対立を克服するのに、時間が少し必要なのかもしれない。

ドイツの新聞の多くは、ハンブルク市の選挙で、SPDが全国的な退潮傾向を跳ね返して勝利を収めたこと、これまでの赤・緑政権が有権者の約3分の2という安定した支持を受けたことを好意的に伝えた。「一番の驚き」という見出しで、国民政党としてのSPDの勝利について論じているのはフランクフルトで発行されている全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」だ。

一時期SPDのチェンチャー市長と緑の党のフェーゲバンク候補が激しい競り合いになると予想された時期があったが、その後の世論調査はすべてSPDの勝利を予想していた。そして実際にその通りになった。その限りでは、驚きではない。しかし、一番の驚きは、政治と政治家に対する不信は運命的なものではないこと、公共の福祉のために政党が責任を持って政策を行うことが依然として可能だということが明らかになったことである。二つ目の驚きは、退潮傾向のSPDでさえ、必ずしも没落への道を歩む必要がないということが実証されたことである。ハンブルクのSPDは、連邦段階でのSPDの支持率の3倍もの有権者の支持を得ている。

一方、「寛容で、理性的で、リベラルなハンブルク市でさえ右翼ポピュリズム政党AfDの議席を阻むことはできなかった」と論評しているのは、ミュンヘンで発行されている全国新聞「南ドイツ新聞」だ。同新聞は、テューリンゲン州で左翼党の州首相を失脚させるため、CDUがネオナチ的なAfDの協力を得てFDPの州首相を実現させたスキャンダルやハレの右翼過激派のシナゴーグ襲撃事件、多数の犠牲者を出したハーナウの右翼テロ事件の後にもかかわらず、リベラルなハンブルクで4万人もの有権者がAfDに投票したと指摘した後、ハンブルクでの経験から3つの教訓が得られると次のように書いている。

一つは、AfDに対しては、より慎重な態度が望ましいこと、二つ目は、「我々は彼らより多数だ」というのは良いスローガンである。AfDに投票する有権者を少なくすることができないならば、他の(民主的な)政党支持者を増やさなければならない。ハンブルクでAfDの得票率を5%程度に抑え込んだのは、今回投票率が高かったことによる。三つ目は有権者の1票1票がいかに重要であるかということが、(5%条項に阻まれた)FPDをめぐるドラマで 証明されたことである。

今回のハンブルクでの投票率は62%で、これまで最低だった前回より5.5ポイント高かった。しかし、私が西ドイツで暮らしはじめた1970年代はじめ、SPDのブラント政権の頃の選挙での投票率は90%を超えていて、信じられない思いがしたものである。以後ドイツでの投票率もどんどん下がってしまった。それだけ政治への不信感が高まったということだろうか。私自身が今回のハンブルクでの選挙で痛感したのは、各州は各州独自の政治を行なうべきだということで、それによって16州に多様な政権が生まれる、それこそドイツの連邦制が目指すものではないかということだった。来年2021年秋には連邦議会選挙が行なわれる。100年以上の伝統を持つドイツで最も古い政党、ナチズムとも闘った輝かしい伝統を持つSPDが、今回の選挙結果に励まされて勢いを取り戻すことを願わずにはいられない。もう一つの国民政党、保守のCDU の今後の動向からも目が離せない。

Comments are closed.