連邦議会選挙、東部ドイツ2州でAfDが最大勢力に

池永 記代美 / 2021年10月10日

9月26日に行われたドイツ連邦議会選挙は、若手議員や移民系議員が増えるなど、喜ばしい結果をもたらした。その反面、衝撃的な事も起きた。東部ドイツ二つの州で、極右ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD) 」が最大勢力になったのだ。

「ドイツのための選択肢(AfD)」は2013年2月、ユーロ危機の中で新自由主義経済や欧州連合 (EU) からの離脱を唱えて設立された政党だ。その年に行われた連邦議会選挙では4.7%しか票を獲得できず、議会入りを果たさなかった。その後、同党の支持率は3%台まで下がったが、2015年に大量の難民がドイツを始めヨーロッパ各国に来るようになってからは、「反難民」をスローガンに掲げ、人々の難民に対する反感や不安を利用して支持率を急激に伸ばし、2017年の連邦議会選挙では12.6%もの票を獲得した。政党としての得票率は3番目で、最大野党として初めての議会入りを飾ったのだ。今回の連邦議会選挙のAfDの得票率は10.3%と、前回より得票率を落とし第5党となったが、10%以上の支持率を確保したことから、一部の党員は「今回の選挙は敗北ではない」と語っている。

全国16の州で、どの政党が第1党になったかを示す地図。赤はSPD、水色はAfD、濃紺はCDU、青はCSU。©️Bundeswahlleiter, Statistisches Bundesamt, Wiesbaden2021. Geoinformationen ©️Goebasis-DE/BKG202

それどころか「今回の選挙は大成功だった」と豪語したのは、東部ドイツ、テューリンゲン州のAfD共同代表の一人、ビヨルン•ヘッケ氏だ。同氏は連邦憲法擁護庁から極右思想の持ち主として監視されている人物だ。実はAfDの選挙に臨む態勢は、万全ではなかった。同党とネオナチなどとの強い結びつきはメディアで批判されてきたし、党内では極右派と穏健派の派閥争いが絶えなかった。おまけに今回の選挙では、「難民危機」のようなAfDに有利になる材料がなかった。それにも関わらず同党はテューリンゲン州で24.0%、同じく東部ドイツのザクセン州で24.6%の得票率を獲得し、最大勢力となった。ベルリンを除く他の3つの東部の州でもAfDは18%から24%の得票率を得ており、全国で25.7%を獲得して第1党となった社会民主党(SPD) や、24.1%を獲得して第2党となったキリスト教民主同盟•社会同盟 (CDU•CSU)と肩を並べていると言ってもよい。支持率が20%台に下がってしまったSPDやCDU•CSUを今も国民政党と呼ぶことができるなら、AfDは東部ドイツの国民政党とみなすことができる。AfDは直接選挙制で議員を選ぶ小選挙区でも16人の当選者を出したが、それも全て東部ドイツにある選挙区だった(テューリンゲン州4人、ザクセン州10人、ザクセン•アンハルト州2人)。

ザクセン州とテューリンゲン州における得票率を前回2017年の連邦議会選挙と比較してみよう。2017年もザクセン州でAfDは第1党だったが、その時の得票率は27.0%で、第2党として26.9%を獲得したCDUとの差はわずか0.1ポイントしかなかった。しかしそのCDUは今回の選挙で17.2%しか獲得できず、2.4ポイントしか票を失わなかったAfDに大きく水をあけられてしまった。テューリンゲン州も同様で、前回22.7%だったAfDは、今回票を伸ばし24.0%を獲得、それに対して前回は得票率28.8%でトップだったCDUの今回の得票率は16.9%で、11.9ポイントも下がってしまった。つまり今まで東部ドイツでAfDのライバルだったCDUが大幅に票を失ったことが、この二つの州でAfDを勝利に導いたことになる。

AfDが東部ドイツに多くの支持者を擁していることは、すでに周知の事実で、このところ州議会選挙のたびに、AfDが第1党になるのではないかと憂慮されてきた。こうした事態に対して、1990年の東西ドイツ統一でドイツ連邦共和国(通称西ドイツ)に編入されたドイツ民主共和国(通称東ドイツ)地域の問題に取り組む、連邦政府東部新州問題担当官のマルコ•ヴァンダーヴィッツ氏はこの夏、「東部ドイツの人は西部ドイツの人と比べて、極右政党を選ぶ傾向が非常に強い。この問題はいわば、独裁下で社会化された人たちの問題でもあり、彼らは30年経ってもまだ民主主義を理解していないのだ」と発言し、物議を醸した。しかし、東部の人だけが民主主義を理解していないと決めつけることはできない。1990年代の後半まで、極右政党はどちらかというと西部ドイツの州で支持を得てきたからだ。ただし東西ドイツの統一後、CDUが政権をとった東部ドイツの州で、極左には厳しく極右には寛容な政策がとられ、極右が徐々に社会の中に浸透して いったと見る専門家は多い。

東部ドイツ出身のヴァンダーヴィッツ氏は2002年から5回、ザクセン州の小選挙区で当選してきたが、今度の選挙ではこの発言が不評を買ったせいか、小選挙区はAfDの候補者に敗北し、比例リストを通じて議会入りした。

しかしAfDは、極右の取り込みに成功しただけではない。「ドイツ、普通の国に」というスローガンを掲げ、職人の男性が「ただ政府が私たちのために、普通に仕事をしてくれればそれでいい」という選挙スポットを作って「普通の人」たちの心もつかんだのだ。テューリンゲン州出身でアリス•ザロモン大学で教えるユーディット•エンダース博士は、「東部ドイツの人が右翼政党支持者だと十把一絡げにしてはいけないし、これが東部ドイツの問題だと片付けるのもいけない」と指摘する。なぜなら、現在東西の相違に見える問題は、ドイツ全国で都市部と地方の格差という形でも顕著になってきているからだ。そして、今回AfDが東部ドイツで多くの票を集めたのは、選挙戦では東部の人が関心を持つ問題があまり争点にならず、メディアも伝えなかったが、AfDは自分たちの問題を真剣に受け止めてくれる、既存の政党とは違うことをしてくれると有権者が期待したからだと説明する。AfDが職場や地域の組織の中にも入り込み、「面倒見の良い党」という顔を持っていることは、ドレスデン工科大学のハンス•フォアレンダー教授も指摘している。コロナ禍という今回の選挙の特殊な事情下で、連邦政府や州政府が設けたコロナ対策のための様々な規制を批判したAfDは、東部ドイツで 「自由を擁護する党」というイメージ作りに成功したことも、忘れてはならない。

今回の選挙のように、AfDが東部ドイツで20%を超える支持率を得るのは一時的現象ではないと専門家は見ている。では、今回AfDに投票した人たちを民主主義政党が取り戻すために、何が必要なのだろうか?一つは、東部ドイツの有権者が関心を持つ問題に、きちんと取り組むことだ。例えば、格差解消や公平な社会の実現を訴えたSPDは、前回の連邦議会選挙と比較して、テューリンゲン州では、13.2%から23.4%へと10.2ポイント、ザクセン州では10.6%から19.3%へと8.7ポイントも得票率を大きく伸ばしている。また前述のエンダース博士は、西部ドイツに移住した東部ドイツ出身者が地元に戻って、地域に根付いた政治を行い、AfDに対抗していくことを勧めている。

さて、現在次の政権を作るためにSPD、緑の党、FDPの3党による予備協議が行われている。もう一つの選択肢として、CDU•CSU、緑の党、FDPによる政権も考えられるのだが、ベルリン在住のフリージャーナリストふくもとまさお氏は、これらの党はいずれも西部ドイツには基盤があるが、東部での支持率は低い。彼らが政権を作れば、東部では有権者の約30%を代表するだけであり、それ以外の東部ドイツの人たちの利害が無視され、東西の分断がさらに進むのではないかと指摘している(ベルリン@対話工房「ドイツの新政権は西ドイツ政権」)。この問題についてドイツのメディアはほとんど言及していないが、本当に東西の統一を願うなら、これは欠かせない視点だと思う。やはり、CDU•CSUではなく、ドイツの東部と西部の両方で票を伸ばしたSPDが中心となり政権を作る方が、理にかなっていると言えそうだ。

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