ドイツのユダヤ人、1700周年記念行事

永井 潤子 / 2021年2月28日

今年2021年は、ユダヤ人が現在のドイツ地域に住んでいたことが明らかになってから1700年になるという記念の年で、ユダヤ人の生活や文化を紹介するさまざまな催し物が、ドイツ全国で展開されることになっている。

ユダヤ人がドイツの地域に住んでいたことが実証される最も古い記録は、紀元4世紀にまでさかのぼる。時はローマ帝国のコンスタンティン帝の時代、ライン川畔のケルンは当時ローマ帝国の植民地だったが、ローマ帝国のゲルマニア支配の拠点として重要な地位を占めていた。そのケルンで橋の修復にかけるお金が不足した時、ケルンに住むイザークという名前のユダヤ人が支援を申し出た。しかし、そのためには彼を市参事会の一員にしなければならないということになり、市参事会はローマのコンスタンティン帝にユダヤ人を市参事会員にする許可を得るための手紙を送ったという。その返事としてコンスタンティン帝が、「ユダヤ人を市参事会員とすることを許可する」という勅令を出した。それが紀元321年12月11日のことで、当時ケルンに(つまりアルプス以北の現在のドイツ地域に)ユダヤ人が住んでいたことを示す最も古い記録だとされている。その321年から数えて今年2021年は、1700年目になるというわけで、今年ドイツ各地で行われるプロジェクトには「321−2021:ドイツにおける1700年のユダヤ人の生活」というタイトルが付けられている。

ケルン市の市庁舎の周辺では第二次世界大戦後、中世の大規模なユダヤ人居住区の遺跡が発見されてもいる。ユダヤ人が平和に暮らしたケルンでも14世紀にペストが流行すると、ユダヤ人のせいにされ、ユダヤ人迫害が起こったという。コロナ禍の現在も「悪いことはすべてユダヤ人のせい」という古くからの陰謀説が一部のドイツ人の間で広まっているといわれるが、共通するものを感じてしまう。ナチ独裁体制下の1939年以降、ケルンのユダヤ系ドイツ人約1万6000人が強制収容所送りとなり、そのほとんどが殺害されたと推定される。今年の記念プロジェクトは、このケルンから始まった。プロジェクトを実行するため「321−2021:ドイツにおける1700年のユダヤ人の生活」という組織が2018年にケルンに設立され、準備を進めてきた。

ナチが政権を掌握した1933年当時、ドイツにはおよそ56万人のユダヤ人が暮らしていたが、ホロコーストの後ドイツのユダヤ人社会は絶滅状態で、1950年には、その数は1万5000人に過ぎなかった。しかし、旧ソ連邦崩壊後ロシアやウクライナなどからドイツに移住するユダヤ人が増え、現在では約15万人が暮らしている。ドイツのユダヤ人社会はヨーロッパ第3の規模に発展しているという。

2月21日の日曜日、記念の年のオープニング式典がケルンのシナゴーグ(ユダヤ教会)で行われた。コロナ規制の中、出席者は、このプロジェクトの後援者であるフランク=ワルター・シュタインマイヤー連邦大統領の他はドイツ・ユダヤ中央評議会のヨーゼフ・シュースター会長とケルンのシナゴーグ教区代表のアブラハム・レーラー氏のみ。その他はアンゲラ・メルケル首相やノルトライン・ヴェストファーレン州首相のアルミン・ラシェット氏らがビデオで祝辞を寄せた。 シュタインマイヤー大統領は記念のスピーチで、ドイツの歴史の中でユダヤ人がいかに大きな役割を果たしたかを強調した。

ユダヤ人は、哲学や文学、美術や音楽、その他の学問や経済の上で我々の歴史に偉大な足跡を残し、ドイツを、ドイツ文化を輝かしいものにした。特にドイツの近代化に果たした彼らの役割は大きい。しかし、その一方、ユダヤ人の歴史は、屈辱と差別、権利剥奪の歴史でもあった。我々はその事実を率直に認め、そこから現在と未来のために教訓をくみとる義務がある。今日ドイツのユダヤ人社会は、多様で、活気に満ちている。これはホロコーストの後にもかかわらず、ドイツに戻ってきた人たち、旧ソ連からの移住者、イスラエルの若者たちの移住のおかげで、そのことに私は深い感謝の気持ちを抱いている(略)。しかし、このユダヤ人たちも最近あからさまな反ユダヤ主義やハレのシナゴーグ襲撃のような危険に晒されてきている。ユダヤ人に対する偏見や固定観念にとらわれた見方、無知に対して戦う必要がある。ユダヤ人たちがここドイツを完全に我が家だと感じるようになって初めて(戦後民主国家として新しく誕生した)ドイツ連邦共和国も、完全なものとなることができる。

ケルンのシナゴーグ教区代表のレーラー氏は「記念の年のプロジェクトでは、ホロコーストの被害についてよりも、未来を目指した明るい面を紹介していく。ドイツにおけるユダヤ人の日常生活をわかりやすい形で示し、非ユダヤ人にもそれを体験してもらう」と挨拶した。またドイツ・ユダヤ中央評議会のシュースター会長は、教育の重要性を強調した。

少数民族についての知識の欠如が偏見を生むが、ドイツのユダヤ人の歴史にも無知が連綿と連なって恐ろしい結果を生んだ。そうした無知による偏見が世代から世代へと引き継がれていった。反ユダヤ主義と根本的なところで戦っていかなければならないが、それには学校教育が重要である。ユダヤ人の実際の生活を知ることによって偏見は無くなる。ユダヤ人がドイツ社会の“異物”とみなされなくなったとき、多くの偏見は姿を消す。コロナに対するワクチンのような効果を、教育は反ユダヤ主義に対して果たすことができる。

ドイツのユダヤ人1700周年を記念して80セントの記念切手も発行された。CHAIというのはヘブライ語で「生命」とか「生きる喜び」という意味。©️Bundesministerium der Finanzen

さて、「321−2021:ドイツにおける1700年のユダヤ人の生活」プロジェクトでは、ドイツ全土で1000以上の行事、催し物が行われるというが、このプロジェクトのために連邦内務省や地元の地方自治体などが、多額の資金を提供している。具体的にはどういうプログラムがあるのだろうか。まず、ドイツにおけるユダヤ人の1700年の歴史についての大規模な巡回展が開かれる。この展示は、「権利と不法」、「生活と共生」といった幾つかの項目に分かれているが、まずケルンで展示された後、地元のノルトライン・ヴェストファーレン州の各都市へ、その後首都ベルリンからその他の都市を回るという。またユダヤ教の祭日である春の「ペサハ(過ぎ越しの祭り)」や9月の「ロシュ・ハシャナ(ユダヤ暦の新年)」、12月の「ハヌカ(光の祭り)」などの行事を紹介するだけではなく、一般の人々にも一緒に体験してもらうという計画がある。全体に、ユダヤ人の日常生活をオープンに紹介することによって、ユダヤ社会に対する謎めいたな印象を消していくことに力が入れられている。夏には「ユダヤ文化の夏」を開き、秋には、ユダヤ式の収穫祭「スコット(仮庵祭)」を催す。これは、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の際天幕に住んだことにちなむもので、葉のついた小枝で仮の小屋を建て、その中で一緒に過ごすという習慣だが、一般の人にも参加してもらって、一緒にユダヤの食事を食べ、笑ったり、話し合ったりする計画だ。このプロジェクトでは、ユダヤの伝統的な人形劇も活躍する。もちろんユダヤ音楽のコンサートやダンスパーティーなどもある。

こうした計画について情熱を込めて語るのは、このプロジェクトのマネージャーを務めるアンドレイ・コヴァクス氏だ。今は家族とともにケルンで暮らす音楽家で実業家の同氏は46歳。ハンガリー系のユダヤ人で、3歳の時に両親とともにドイツのアーヘンに移住してきたという。同氏の祖父母はブダペストのゲットーとドイツのベルゲンベルゼン強制収容所を生き延びたといい、その恐怖や不安は家族から消えることはない。しかし、コヴァクス氏は、「記念の年には意識してそういう悲しい過去よりも、ポジティブな面を中心に据えた」と語る。音楽家としてのコヴァクス氏はピアノと指揮が専門で、ベルリンのピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムのもとでアシスタントを務めたことがあるが、その後はパリの有名化粧品会社で働き、実業家の道を選んだとか。ベルリンの外国人記者会とのズームによる記者会見で、記者の質問に答えてコヴァクス氏は「今ではドイツを自分の国と感じている」と語ったが、それでも「トランクはいつでも用意してある。中身はまだ詰めていないけれど」と付け加えていたのが印象に残った。いつでもドイツを去る準備はしているということだ。5ヶ国語に堪能な同氏は「ドイツ人でヨーロッパ人であると感じている」とも語っていた。

外国人記者会の司会者は、「1700年の記念行事のご成功を祈る」という言葉で記者会見を締めくくったが、私も記念行事の期間中、ネオナチや極右主義者、あるいはイスラエルの政策に反対するテロリストなどの妨害がないことを、心から願っている。

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