メルケル首相、コロナ危機対策について、市民に訴える

永井 潤子 / 2020年3月29日

メルケル首相は3月18日、テレビを通じて、コロナ危機対策について、市民に理解と協力を求める演説をした。こういう形での演説は、これまでは新年の挨拶に限られていたが、今回は緊急事態での呼びかけとなった。平易な言葉で政府の立場を説明しながら、具体例を挙げて市民の理性と感情に訴えたこの演説は、名演説ではないが感動的なもので、政府のコロナ対策への信頼感を強めることにもなった。

「事態は深刻です。皆様も事態の深刻さ、重大性を受け止めてください。東西ドイツの統一以来、いえ、第二次世界大戦以来、我々の一致団結した連帯行動が必要とされる、これほど重要な試練に我が国が直面したことはありませんでした。私はコロナウイルスによる新型肺炎蔓延の現状について、連邦政府とその他の国家機関が、社会全員を守り、経済的、社会的、文化的な被害を食い止めるために何を行おうとしているか、これから説明いたします」とまず述べ、それには市民一人ひとりの協力が絶対に必要であることを、具体例を挙げながら強調したのだ。

私がここで申し上げることは、すべて連邦政府とロベルト・コッホ研究所その他のウイルス専門家たちとの絶えざる協議から得られた見解です。世界中の科学者たちがいま懸命に研究を進めていますが、感染者に対する治療法も、コロナウイルスに対するワクチンもまだないのが現実です。こういう状況が続く限り、私たちにできるただ一つのことは、ウイルスの拡散のスピードを遅らせ、数ヶ月間引き伸ばし、時間を稼ぐことです。研究者が薬やワクチンの開発をするための時間です。それ以上に、発症した人たちが最善の治療を受けるための時間でもあります。ドイツは優れた医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムの一つと言えるかもしれません。それでもなお、短期間に多数の重症感染者が運ばれてきたならば、病院は全く手に負えなくなるでしょう。これは統計上の問題ではなく、あなたのお父さんやおじいさん、お母さんやおばあさん、パートナーなど、この社会に生きるすべての人間の問題です。

このように述べたメルケル首相は、医師や看護師、介護施設で働く人など、日々困難な状況の中で格闘している医療関係者に対して「危機の最前線に立って奮闘しているあなたがたの仕事は偉大です」と心からの感謝を表明した。そのあとで、市民一人ひとりの貢献が、このかつてない危機の克服には不可欠だと繰り返し訴えている。

ウイルスの蔓延を阻止する効果的な手段が一つあります。その手段は私たち自身が持っています。公的な生活を、できる限り制限することです。もちろん理性と節度をもってです。他人との接触を可能な限り避けて、他人に感染させないように配慮しなければなりません。思いやりから他人との距離を保つことです。一人ひとりの行動が大切なのです。ウイルス学者の助言は明確です。握手はしない、手を頻繁によく洗う、人との距離は最低でも1.5メートルはあける、特に高齢者は感染した場合、重症化する危険が高いので、接触を避けたほうがいいということです。

それがいかに難しいか、私にはわかっています。しかし、今の状況では、距離を保つことが、配慮することになるのです。孫たちがお爺さんやお婆さんを訪ねるのをやめるように専門家たちがアドヴァイスするのは、そのためです。不必要な接触を避けることで、人の命を助けることになるのです。

コロナ危機が始まって以来、生活必需品を売るスーパーや薬局などを除いて多くの商店は閉鎖され、映画館や美術館、コンサートホールも閉まり、学校は休校になり、公園の子供の遊び場も立入禁止になった。こうした個人の自由を大幅に制限する措置を国がとらなければならないことについて、メルケル首相は市民の理解を求めたが、かなり長い、抑制の効いたスピーチ全体の中で、印象に残った短い一節があった。「旅行の自由や行動の自由の権利を困難な闘いのあとに勝ち取った経験のある私のような者は、これらの自由を制限することは、絶対に必要な時しか許されないと考えます。こういう自由の制限は民主主義の下では軽はずみに行ってはならず、行われたとしても一時的なものでなければなりません。しかし、今この瞬間は人命を救うために、必要不可欠なことなのです」と述べた箇所である。メルケル首相は西ドイツのハンブルクで生まれたものの、東西ドイツ再統一までは個人の自由が国家によって大きく制限された旧東ドイツで暮らした自らの経験を、それとなく伝えたのだ。メルケル首相は、経済的打撃を軽減するために政府はできるだけのことをするとも述べた。

経済全体にとって、大企業であれ小企業であれ、あるいは個人商店やレストランであれ、フリーランスの人であれ、今は非常に困難な時期です。今後さらに困難になることが予想されます。私は連邦政府が、コロナ危機による経済的悪影響を緩和するため、特に雇用を確保するためできる限りの事をすると皆さまにお約束します。企業の経営者や労働者がこの危機を乗り切るために今何が必要か、連邦政府にはその必要なもの全てを投入する能力があり、また実際にそれを実行するつもりです。食料品の供給は確保されていますから、安心してください。例えば、スーパーの商品棚が一日空になっていても翌日には補充されます。スーパーを訪れる人には「備蓄は賢明ですが、それでも節度を保つように」と申し上げたい。商品がなくなると思って必要以上のものを買いだめするというのは、無意味で、また完全に連帯を無視した行為です。

メルケル首相はここでも、生活必需品を補充する人やスーパーのレジで働く人たちは、この危機的状況の中で他の市民の生活維持のために文字通り貢献していると感謝の言葉を述べた。

私はみなさんに現時点での規則を守るよう、お願いします。政府はその規則が正しいかどうか、絶えず検討し、必要なら訂正したり新しくしたりしていきます。状況はダイナミックなので、それに適応していかなければなりません。(略)私たちは民主主義社会に生きています。その社会は強制ではなく、知識を共有し、お互いに協力しあうことで、成り立っています。今回の歴史的な試練はみんなで力を合わせない限り、克服できません。私たちがこの危機を乗り越えられることを私は確信していますが、犠牲者がどのくらいになるのか、どれだけ大勢の愛する人たちを失うことになるのか、それは大部分、私たち自身の行動にかかっています。状況は深刻で、まだこれからどうなるかわかっていません。それはつまり、私たちが規則を尊重し、決まりに従い、実行するかどうかに、かなりの部分がかかっていることを意味します。コロナウイルスの危機はこれまでに経験したことのないものですが、命を救うために愛と理性を持って行動しようではありませんか。成功するかどうかは、例外なく一人一人の行動に、つまり我々全員の行動にかかっているのです。

こう訴えたメルケル首相は「皆さま、ご自身と愛する人たちの健康にお気をつけください。ありがとうございました」という言葉で演説を締めくくった。

このメルケル首相の演説は、各新聞でも概ね好意的に受け止められた。

「アンゲラ・メルケルは、異例のテレビ談話で改めて劇的な危機について指摘し、できるだけ社会的な接触を避けるよう市民に呼びかけた。ドイツは今や決定的な瞬間に来ている。いつかではなく、今が重要であることをメルケル首相は強調した。ドイツ市民の中には、これまでコロナウイルスの危険を軽視して、軽率な行動をとった人たちがいるが、その結果、ドイツがヨーロッパの他の国、イタリア、オーストリア、スペインなどのような深刻な事態にならないとは限らない。メルケル首相のスピーチは最後の警告と言える」。このように論評しているのは南西ドイツ、ルードヴィッヒスブルクで発行されている新聞「ルードヴィッヒスブルガー・クライスツァイトゥング」だ。

メルケル首相の演説を、タイムリーで必要なものだったと好感を持って受け止めた人が多かったものの、中には市民に対して協力を呼びかけたり、経済的な悪影響を軽減するため政府はできるだけのことをすると約束したりするだけでは十分ではないと批判するメディアや一部の野党政治家の意見もあった。この演説から5日目の3月23日月曜日、連邦政府はドイツ連邦共和国成立以来最大規模で具体的な経済支援策を発表して、人々を驚かせた。経済と雇用の維持に連邦政府は全力を尽くすという約束の中身がこれだったのだ。この経済支援策は超スピードで連邦議会と連邦参議院を通過し、すでに支援申請の受付が始まっている。

メルケル首相の演説

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