ドイツの森、日本の歌舞伎
まだ紅葉の綺麗だった晩秋の日本に里帰りしました。滞在中、どのような点でドイツの生活との違いを感じますかと、よく聞かれました。ふと思いついたことは、町中や庭の木の大きさと数の違いです。ベルリンはドイツ一の大都市にしては実に緑が多いです。これは一般に木が保護されているからでしょう。木を大切にするという思いが、自然を守る心につながっているのではないかとわたしは感じます。
今回の滞在で驚いたのは、今年の春にお花見を楽しんだみごとな桜並木がばっさり切られていたことです。花や落ち葉で道路が汚れ、事故が発生する恐れがあるという理由でした。ドイツでは、昔は馬車が通っていた道で、うっそうと木が茂る並木道がよくあります。古い樹木を切るより、車の速度を落として事故防止に努めるのがドイツ式でしょう。
どの地方自治体でも樹木保護条例があります。ベルリンでは幹の円周が80cm以上ある木は、それがたとえ個人の庭にあっても許可なく切ってはいけません。何らかの理由で木を切らなければならなかった場合、必ず代わりの木を植える事が義務づけられた時もありました。ただ苗木を植えるだけではなく、元の幹の円周が保てるように考慮されました。例えば円周1mの木を切った場合、そのような太い苗木はまずないので円周25cmの苗木を4本代わりに植えました。
いま盛んに使われている「持続可能」という言葉ですが、ドイツでは林業からきていて、18世紀から、地域によってはすでに15世紀から使われています。この言葉は、子供や孫の世代にも絶えず森がそのまま残るように、木を切り出す時は必ず苗木も植えるべきという意味です。黒い深い森は数多くの詩や物語の舞台でもあり、ドイツという統一国家が生まれる前から、森は彼らの故郷だったとも言えます。森が消えてしまえば故郷も失われると彼らは考えているのでしょう。酸性雨による立ち枯れが起き、「森が死ぬ」という不安から1980年代に環境保護運動が盛んになりました。ドイツは環境保護の先進国と言われていますが、それは「森=故郷」への愛から生まれたのかも知れません。
先祖代々、故郷をまもることが環境保護につながると考えたとき、私はふと歌舞伎を思い出しました。親から子へ継がれていくこの伝統芸能は400年以上にわたって続けられています。もしも次の世代に芸を受け継ぐ者がいなくなったり、観客の数が減って劇場を閉鎖しなければならなくなったりしたならば、それだけ日本の「文化=故郷」が変化したことになるでしょう。変化が良いか悪いかではなく、親から受け継いだ文化を、子や孫にも伝えたいという思いが、今日に至るまでこの伝統を守り続けているのではないでしょうか。また衣装に使う絹が調達できるよう、反物を仕上げる工芸技術が保持されるように、文化財として保護されています。
持続可能な社会への取り組み方は様々ですが、孫の代まで豊かな文化の中で安心して生活できる社会を思うのは東西同じだと、12月前半、話題になった中村勘三郎さん死去の記事を読みながら思いました。
画1、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、月を想う男と女(1830-35年)
画2、歌川 国芳(1797-1861年)、wiki