「慰安婦」発言で浮かび上がる日独の次元の差

ツェルディック 野尻紘子 / 2013年6月9日

第二次世界大戦下の日本軍の侵略を否定しようとする安倍晋三首相の一連の言行と、戦争被害者である「慰安婦」の名誉を損なう橋下徹大阪市長の発言が、日本のメディアで報道されていた同じ時期に、ドイツの新聞では、例えば、以下のような見出しの報道があった。① 5月19日「元強制収容所監視人告訴」、② 5月18日「8つの特別委員会が(ナチ政権下の)ドイツ省庁と諜報機関 の『茶色の遺産』を研究調査」、③ 5月30日「独政府、ホロコースト犠牲者に7億7000万ユーロ(約1001億円)援助」。

韓国や中国に対し「日本政府は既にお詫びを言っている。何度お詫びをすれば、これらの国は満足するのか」というような苛立った声を日本で聞くことがある。ドイツとの戦後処理の違いを指摘され「日本の戦後処理は済んでいる」と答える声も聞く。なぜ日本はいつまでも近隣諸国に批判されるのだろうか。日本とドイツの違いはどこにあるのだろうか。

① ヴェルト紙日曜版(Die Welt am Sonntag)に掲載された「元強制収容所監視人告訴」の報道によると、検察庁は現在93歳のハンス・リプシス被告に対し 9515件の殺人幇助の罪を問うている。シュトゥットガルト地方裁判所の逮捕状から明らかになるという。 5月2日に検察側が裁判所に提出した告訴状には、元ナチ親衛隊小隊長だったリプシス被告は少なくとも9回の殲滅作戦に関与していたとされる。被告は2週間前から勾留されている。

② フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ、Frankfurter Allgemeine Zeitung)の「8つの特別委員会が(ナチ政権下の)ドイツ省庁と諜報機関 の『茶色の遺産』を研究調査」は、シンポジウムについての記事だ。「茶色」は、ナチ党員の褐色のシャツからきている。現在特別委員会を設けているのは連邦法務省、連邦財務省、連邦経済技術省、連邦労働社会省、 連邦情報局、連邦憲法擁護庁など合計8つの省庁で、各省庁から招聘された、それぞれの省庁とは関係のない外部の歴史学者や法律学者がシンポジウムで一堂に集まり、調査内容の報告や意見交換などをした結果が報告された。学者たちは、各省庁の前身省庁のナチ関与や、戦後に各省庁で戦前・戦中時代から引き継がれた役人らが、1945年以降にどのような役職に就き、どのような役割を果たしてきたかを調査している。

これには前例がある。連邦外務省が、同省の戦時中の役割を解明するために、外部の歴史学者による特別委員会を設け調査させたのだ。2010年10月にその調査結果は 『外務省とその過去(Das Amt und die Vergangenheit)』という書籍として発表され、大きな反響を呼んだ。例えばこの調査で、「外務省だけは特別で、反抗運動の中心だった」という過去の“神話”は根幹から崩れ、どの省庁も過去の過ちを解明する必要があるという認識が広まった。

なお、連邦法務省はこの6月10日に調査結果を『ローゼンブルグ城』という題名の本として発表する。ボンにあるローゼンブルグ城は、1950年〜1973年まで連邦法務省の所在地だった場所で、そこでどのようなことが起きていたかということを象徴している。同省は以前にも同省の過去に関する調査を行っていおり、例えば、1962年の時点で連邦最高裁判所の裁判官は、77%が1945年以前に司法当局に従事していた人物だったことが分かっていた。今回の調査では例えば、同省での採用や昇進にどのような規準が適用されたか、特赦との関係はどうだったのか、あるいは刑法改正に際し何処まで過去のイデオロギー上の思想が生き残ったかなどを調べたという。今回はこれまで公開されていなかった公文書なども閲覧したという。

③ ターゲスシュピーゲル紙(Der Tagesspiegel)の「独政府、ホロコースト犠牲者に7億7000万ユーロ援助」というのは小さなベタ記事だ。大きく取り扱われていない理由は、ドイツ政府が既に以前から、ホロコースト犠牲者に補償金を支払って来ており、今回の援助は追加的に、ユダヤ人犠牲者団体(JCC、Jewish Claims Conference)との間で合意した結果だからだ。この取り決めで、世界46カ国に住んでいるホロコーストを生き延びた5万6000人の人たちに対し、ドイツ政府は2014年〜2017年までの間に7億7200万ユーロ(約1003億6000万円)を主に在宅介護の費用として支払う。この記事によると、犠牲者側代表としてエルサレムでこの交渉に当たったJCCのスチュアート・エイゼンスタット元米国財務副長官は、ドイツ国家の「ナチ犠牲者に対する歴史的責務を満たすという持続的な公言」を褒め、「ホロコースト生存者が人生最後の年月を尊厳をもって過ごすことが保証される」と語った。

以上のような戦後処理や戦時中にあったことなどに関わる報道は決して珍しくない。同じころ、ベルリンの公共交通機関会社であるBVGが、地下鉄駅構内で「ナチ機関に変わって行ったBVG」という展示をしているという報道がある(5月17日)。ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンは5月26日に創業75周年記念日を迎えたのだが、お祝いは6月にするという報道もある。1938年の5月26日にはヒトラーが来て開業式が行われたというのが理由だという(5月27日)。少し時をさかのぼると、自分の職場の環境をナチ時代の職場と同等だと批判して、解雇されたのは当然だとする裁判所の判決、連邦議会議事堂前でナチ時代の敬礼をして写真を撮ったために刑法に従って150ユーロの罰金を言い渡されたカナダ人旅行者の話など、いくらでも新聞に出ている。

これは一体どういうことなのだろうか。ドイツではまず、ナチ時代の犯罪は徹底的に追跡し、明るみに出すということがある。それによってより正確な犯罪の規模が把握出来るようになる。殺人には時効がないから、犯人は現在でも、見つかった時点にどんなに高齢であっても、告訴する。次に、ナチ時代の犯罪を相対化することは決して許されない。例えば現在の雇用条件は、どう比較してもナチ政権下の強制労働者の労働条件とは雲泥の差である。それをあえて比較することは、苦境に置かれた強制労働者の苦労を軽減することになる。尊厳をも損なわれた彼らの苦労はそんな生易しいものではなかったのだ。秘密警察が闊歩した旧東独でドイツ社会統一党(共産党)が犯した不正を、ナチの犯罪と比較することでさえも許されない。それは相対化を意味するからだ。

第二次世界大戦でナチ政権が犯した数々の犯罪は蛮行そのものだったかも知れない。かと言って、戦時中の日本の政権や軍隊が考えだし、兵士がアジアで犯した罪はそれよりましだっただろうか。異なるのは、戦後ドイツの政治家を含む国民が、犯した罪を認識し、非常に恥ずかしく思い、罪の償いに努め、同様のことが二度と起こらないように自身を戒め努力していることだ。日本を代表する政治家が、あったことの存在を大声で否定したり、それを相対化したり、被害者を傷付けているのとはまるで次元が違う。とても恥ずかしく、悲しく思う。

過去に日本の何人かの政治家が「従軍慰安婦」に対しお詫びの言葉を述べたのは事実だ。しかしあれは口先だけのお詫びではなかっただろうか。あるいは、彼ら個人の意見に過ぎなかったのだろうか。 今日このごろの日本の動きを見て、国全体の、国民全員のコンセンサスの上に立った、心の底から出たお詫びだったとは到底思えない。歴史的事実の究明を深めて、国民皆が事実を知った上で、 国民の支持を得た国を代表する人物が、確信を持って、心からのお詫びをする日の来ることを期待する。そのためには、教育の場、つまり学校でも正しい戦争の歴史を教えることが欠かせないと思う。

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