アウシュヴィッツでのメルケル首相の演説

永井 潤子 / 2020年1月26日

ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ強制収容所が、ソ連軍によって解放されたのは1945年1月27日のことだった。解放75周年を迎える今年は、1月27日を中心に、各地で追悼式典が行われる。その中でも、エルサレム、アウシュヴィッツ、ベルリンで行われる記念式典には、ドイツのシュタインマイヤー大統領とイスラエルのレウベン・リブリン大統領が揃って出席する。今日は、ドイツのメルケル首相が昨年12月6日、アウシュヴィッツを訪問して行った感動的な演説を振り返ってお伝えする。

メルケル首相がアウシュヴィッツの強制収容所跡を訪れたのはこれが初めてで、アウシュヴィッツ・ビルケナウ財団の10周年記念式典に招かれたためだった。アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制・絶滅収容所では、ユダヤ人を中心に100万人以上が殺害されたと推定されている。メルケル首相は、ポーランドのマテウシュ・モラヴィエツキ首相、アウシュヴィッツ・ビルケナウ財団のピョートル・スゥジンスキ理事長、それにドイツのユダヤ中央評議会会長やシンティ・ロマ評議会会長らとともに、かつての絶滅収容所のガス室の跡や何千というメガネなどの遺品の展示を見てまわった。ポーランド人を含む何千人もの人が射殺されたいわゆる「死の壁」の前で花輪を捧げ、黙祷した後、メルケル首相は、ホロコーストの生存者たちを前に次のような言葉でスピーチを始めた。

今日この場に立ってドイツ連邦共和国の首相として皆さまにお話しすることは、たやすいことではありません。この地でドイツ人によって繰り広げられた残虐な犯罪、理解を超えた犯罪を前に、私は深く恥じ入っております。この場で、多くの女性、男性、子供たちに加えられた恐るべきことを前にして、私は、ただただ言葉を失うばかりです。どのような言葉でこの悲しみを表すことができるでしょうか?どのような言葉をもってしても、ここで侮辱され、ひどい苦痛を受け、殺害された多くの人たちの悲しみを表すことはできません。それでもなお、他に類のない人類に対する最大の犯罪が行われたこの場所で話すことがいかに困難であろうとも、沈黙が我々の唯一の答えであってはなりません。この場所は、我々に記憶を鮮明に保つことを義務づけます。我々はここで行われた犯罪について思い起こし、はっきりと名指していかなければなりません。

アウシュヴィッツ、この名前は、ヨーロッパの何百万人というユダヤ人男女の殺害の場所を意味します。ここはまた、ショアーという文明破壊の場所であり、また、人間的な価値全体が犠牲になった場所を意味します。アウシュヴィッツはまたヨーロッパのシンティ・ロマに対するジェノサイド(大虐殺)の場所であり、ポーランドの知識階級をはじめとする人たち、ソ連をはじめとする国々の捕虜となった人たちやレジスタンスの闘士、同性愛者、障害者その他、全ヨーロッパからここへ連行された数え切れないほど多くの人々の苦しみと殺害の場所でもあります。アウシュヴィッツでの人々の苦悩、ガス室での死、飢餓、寒さ、伝染病、苦痛に満ちた人体実験、疲労困憊するまでの強制労働、これら全て、ここで起きたことは、人間の理解力を超えています。

メルケル首相の初めてのアウシュヴィッツ訪問を伝えるドイツ公共第一テレビARDのニュース「Tagesschau」

メルケル首相は、これら多数の犠牲者たち一人一人には名前があり、それぞれ侵すことのできない尊厳があり、人生経験があったのに、全ての人間性を奪われ、冷酷なシステムによって殺害されたと、その苦しみを一つ一つ数え上げた。私が特に強い印象を受けたのは、次のくだりだった。

この場所は今日ユネスコの世界遺産の一つとなっており、正式の名称は「アウシュヴィッツ・ビルケナウ — ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所、1940年から1945年まで」というものです。この完全な正式の名称が重要です。現在のオシフィエンチム(注:アウシュヴィッツのポーランド名)はポーランドにありますが、1939年10月、アウシュヴィッツはドイツ帝国に併合されました。つまり、アウシュヴィッツは、ドイツの、ドイツ人によって運営された絶滅収容所だったのです。この事実を強調することが、私には重要なことに思えます。加害者の名前をはっきり言うことが重要です。このことを我々ドイツ人は、犠牲者のために、そして我々自身のためにも、そうする義務があります。

アウシュヴィッツを訪れたドイツの首相は、シュミット首相、コール首相に続いてメルケル首相が3人目だが、これほどはっきりとドイツ人の責任を指摘した首相は、かつていなかったと思う。これはこの日、メルケル首相の前に挨拶したポーランドの首相が「ポーランドのアウシュヴィッツ」と呼ばれることについて言及したこととも関係してくるのだが、同時に最近のドイツやヨーロッパで新たな反ユダヤ主義が台頭しつつあることに対する警告でもある。

70年前、ドイツ連邦共和国で、連邦基本法(注:ドイツ連邦共和国の憲法に相当する)が施行されました。この基本法には、恐ろしい過去の出来事の教訓が生かされています。つまり、侵すことのできない人間の尊厳、自由、民主主義と法治国家という基本的な理念がうたわれていますが、これらの価値は、貴重なものであるにもかかわらず壊れやすいものであることも、私たちは知っています。だからこそ、私たちは、これらの基本的な価値を、毎日の暮らしの中でも、国家としての行動でも、繰り返し、強固なものにし、より良いものとして守っていかなければなりません。

これは今日単なるレトリックではありません。今こそ、このことを明確に述べる必要があります。というのも憂慮すべき人種差別主義、増大する不寛容さ、ヘイトクライムの台頭に我々は遭遇しているからです。自由主義的民主主義の基本的な価値観を攻撃し、特定のグループの人たちに対する憎悪を煽る危険な歴史修正主義に直面しているからです。ことに私たちは、ドイツやヨーロッパ、あるいはそれ以外の地域で、ユダヤ人の生活を脅かす反ユダヤ主義に注意を向けています。反ユダヤ主義を私たちは決して許さないことを、より明確に、決然と表明する必要があります。誰であれ、ドイツで、あるいはヨーロッパで、安心して暮らすことができなければなりません。まさにこのアウシュヴィッツは、私たち一人一人に、日々油断なく注意するよう、人間性を守るよう、隣人の尊厳を守るよう義務づけ、警告しています。

メルケル首相は、ホロコーストを生き延びたイタリアの作家、プリーモ・レヴィの言葉「一度起こった。従って、また起こる可能性がある」という言葉を引用しながら、「加害者の責任には犠牲者の追悼も含まれる。また、加害の事実を決して忘れてはならないし、その責任には終わりがなく、また事実を相対化することも許されない」と強調した。

メルケル首相は、ナチス・ドイツがヨーロッパ各地でその犯罪の跡を消し去ろうとしたなかで、アウシュヴィッツではその痕跡を消すことはできなかったことを指摘し、犯罪を証明するアウシュヴィッツ強制・絶滅収容所の跡を保存することの重要性も強調した。アウシュヴィッツ・ビルケナウ財団は、政治犯としてアウシュヴィッツに収容された経験のあるポーランドの元外相、ヴワディスワフ・バルトシェフスキ氏の提案によって2009年に設立されたものだ。メルケル首相は、基金の創立10周年に当たって、ドイツ連邦政府と16州の各州政府が今後25年間の施設維持のため、6000万ユーロ(約72億円)を寄付することを決定したことも明らかにした。

メルケル首相は、アウシュヴィッツで、ホロコーストの生存者である現在87歳のボグダン・バルトニコフスキ氏らとも話し合った。同氏は12歳の時母親とともにアウシュヴィッツに連れてこられた時の経験を話したが、演説の中でもメルケル首相は「ホロコーストを生き延びたサバイバーの人たちが思い出したくないつらい体験を話してくれることによって、後の世代が真実を知ることができるのだ」と心からの感謝の念を表した。メルケル首相のスピーチは、次の言葉で終わっている。

当時の痛みや思い出を分かち合い、和解のために貢献しようと、その体験を話してくださる一人一人の方たちに、私は心から感謝いたします。私はその方たちの前に、深く頭(こうべ)を垂れます。私はホロコーストの犠牲者の前に、そしてその家族の方たちの前に、深く頭を垂れます。今日ここに出席させていただいて、ありがとうございました。

このメルケル首相の演説を聞きながら、日本人である私は、日本の首相が、例えば中国の首脳とともに南京大虐殺の記念館を訪れ、中国の人たちに対して心からのお詫びの言葉を述べることがあるだろうかと考えた。答えはもちろんノーである。ドイツが現在国際社会で信頼を勝ち得ているのは、指導的な政治家たちの真摯な姿勢のためだと思われる。彼我の差を痛感せずにはいられない。

参考文献:メルケル首相の演説全文ドイツ語のオリジナル

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