石炭・褐炭火力発電からの撤退に関する「石炭委員会」の歴史的な合意
気候温暖化防止対策が緊急課題となっている現在、ドイツのエネルギー転換にとって最も重要な課題は、二酸化炭素(CO2)を大量に産出する石炭、特に褐炭による火力発電から早期に撤退することだと考えられている。しかし、今なお何万人もの人が褐炭採掘に従事しており、そうした労働者の雇用の維持と、褐炭採掘以外に主な産業のない地域の構造改革の必要性が叫ばれている。こうした事情を受け、ドイツ連邦政府が去年6月に発足させた「成長、構造改革、雇用」に関する委員会、通称「石炭委員会」が、このほど、遅くとも2038年までに、早ければ2035年までに、石炭・褐炭による火力発電から撤退するよう求めた勧告案をまとめ、連邦政府に提出した。
利害の対立する各界代表、28人の委員からなる石炭委員会は、設立以来10回に及ぶ協議と褐炭採掘現場への3回の視察を行った。最終協議は1月25日の金曜日、ベルリンの経済省で行なわれたが、最終勧告案で合意することができたのは、翌26日土曜日の早朝5時過ぎになってからだった。最終協議が始まってから20時間以上が経っていた。その間意見の対立から何度も協議決裂の危機に見舞われたという。28人の委員の中には、火力発電を行なっている電力会社や産業界の代表、労働組合代表、褐炭産出地域のある3州の代表、著名な気候学者、それにグリーンピースなど早期に火力発電からの撤退を要求する環境保護団体の代表など、複雑に利益のからまる委員たちが、それぞれの立場を主張した。そのため、「合意が生まれたことは奇跡のようなものだった」と委員の1人、ドイツ自然保護リング(DNR、Deutscher Naturschutzring)のカイ・ニーベルト氏は語っていた。火力発電の関係者からは、自国産の安い褐炭の利用が早期に中止された場合、電力供給の安定がおびやかされ、電気代の高騰というリスクが生まれると強い警告も発せられていた。最終的にまとめられた勧告案は275ページに及ぶ分厚いものだったが、28人の委員のうち1人が反対しただけで、他の27人が賛成した。反対したのは、ブランデンブルク州ヴェルツォフの住民運動代表、ハネローレ・ヴォトゥケさんで、地元の褐炭採掘場閉鎖後のヴェルツォフの未来が確実に保証されていないからというのが反対の理由だった。
石炭火力発電からの撤退に関する石炭委員会の工程表は次のようなものである。遅くとも2038年には全ての石炭火力発電から撤退すべきだが、2032年の段階で、撤退時期を2035年に早められないかを検討する。2022年までにまず石炭による火力発電の約3分の1と褐炭火力発電の約4分の1を減らす。そして2030年には現在18.7ギガワットを占める褐炭による発電容量を9ギガワットに削減し、石炭による発電容量は現在の21ギガワットを9ギガワットまで下げるとしている。
露天掘りの褐炭の掘削が行われているのは、西部ノルトライン・ヴェストファーレン州のケルンに近いラインラントの炭田のほかは、東部のブランデンブルク州とザクセン州にまたがる大規模なラウジッツ炭田、ライプツィッヒに近い中部ドイツ炭田の3カ所で、2万人以上が働いており、それに加えて、すでに閉鎖した石炭炭鉱でも今なお約5700人が働いている。しかし、火力発電が終わると、これら各地の関連産業や地元の商業関係者などを含めて影響が大きく、その10倍以上の雇用が脅かされるとみなされている。なかでも東部の現場では、ほかに見るべき産業がないため、褐炭からの早期撤退に強い抵抗がある。特にザクセン州とブランデンブルク州では、今年9月に州議会選挙が行われるため、もし東部での早期撤退が決まると、右翼ポピュリズム政党、「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進することが懸念されている。石炭委員会の協議は、褐炭採掘からの早期撤退の必要性と雇用の維持のせめぎ合いでもあった。石炭委員会は褐炭採掘地域への直接支援として、20年間にわたり合計400億ユーロ(約5兆円)を支出することなど、大幅な支援を決めている。4人の委員長の1人、メルケル首相に近いローランド・プファラ氏は、「メルケル首相は この件について州首相とも話し合っており、こうした内容の概略を知っているため、連邦政府は石炭委員会の勧告案を了承するだろう」と、楽観的に語っていた。
石炭委員会の勧告案では、各炭田の閉鎖時期が具体的に決められてはいないが、最初に採掘を止めるのは、西部ラインラントとされている。この地域の石炭火力発電所が稼働開始45年を過ぎている古いものであること、経済力のある西部では褐炭からの撤退が与える影響も、東部に比べて克服しやすいという理由からである。最近では、ラインラントの褐炭採掘場拡大のため、近くのハムバッハの森の木が伐採される計画について反対運動が高まり、ハムバッハの森は抵抗運動のシンボルのようになっていた。それについて、石炭委員会の勧告案には「ハムバッハの森が保存されることは望ましい」と書かれている。
東部の褐炭からの撤退が具体的に始まるのは、2023年から2030年ごろと決められたが、これは東部の州首相たちの主張が認められたためである。ブランデンブルク州のディートマー・ヴォルトケ州首相は、自分もラウジッツ出身なので、地域による差が認められ、フェアな褐炭からの撤退と地域の構造計画の工程表がまとまって喜ばしいと日刊紙とのインタビューで語っていた。東部地域では1990年のドイツ統一後、旧東ドイツの国有企業のほとんどすべてが存続を許されなかったため、大量の失業者が出た。そのことが約30年後の今も後遺症として東部の人たちの心に深く刻まれており、それが配慮された結果でもある。東部での石炭からの撤退は2025年あたりから始まると推定する向きもあるが、それも定かではない。それまでに、地域の構造改革についてのプロジェクトが、どれだけ進展するかにもかかっているからである。採掘をやめた跡地は人工湖や農地や公園などにされるが、石炭委員会の勧告案には、この地域の交通の整備、あるいは官庁や研究所のこの地域への移転など600以上のプロジェクト案が含まれている。
石炭委員会の勧告案は、褐炭による火力発電所の廃止により痛手を受ける企業に対しても大幅な補償を決めている。西部ラインラントの火力発電所を経営するRWE社や東部のLEAG社とMIBRAG社は、今後連邦政府と交渉して具体的な廃止の時期や補償額につて交渉しなければならない。
4人の委員長のなかの唯一の女性で、気候保護派の学者であるバルバラ・プレトリウスさんは「今回石炭と褐炭からの撤退に関する妥協が成立したことによって、ドイツは再び環境問題で前進する行動力を取り戻した」と評価した。彼女はまた、最終協議が行われた1月25日の金曜日にベルリンの経済省前で行われた生徒たちの「自分たちの未来のために、褐炭からの早期撤退を要求する」デモが、委員会の決定に影響したことも明らかにした。授業を放棄してこの日のデモに参加した生徒の数は1万人にのぼったが、「生徒の代表は、石炭委員会の委員に面会を求め、自分たちの要求書を手渡した。そのことが、なんとしても合意に至らなければという委員たちの気持ちを後押しした」とプレトリウスさんは言う。「自分たちの未来のために、より強力な気候温暖化防止策を求める生徒たちのストライキ」は、スエーデンの、現在16歳の少女、ゲルタ・トゥンベルクさんが去年夏始めたもので、その後世界各地に急速に広がった。ドイツでも「自分たちの未来を大人たちだけに任せてはおけない」と考える生徒たちのデモが、各地で金曜日に行われるようになった。去年12月1日にベルリンとケルンで同時に行われた生徒たちのデモには、合わせて3万6000人が参加した。
「ドイツは2022年までに段階的に原発から撤退することを決めているが、並行して石炭(褐炭を含む)火力発電から撤退することによって、電力供給の安定が脅かされたり、電力価格が高騰したりするのではないか」という南ドイツ新聞の記者の質問に対して、プレトリウスさんは次のように答えていた。
もちろん再生可能エネルギーを増やすと同時に、不安定な自然エネルギーを補うため、同じく化石燃料であってもCO2の排出量が少ない天然ガスの予備の発電所の設置や蓄電システムの開発などが必要だが、石炭委員会の勧告通りに事が進めば、電気代が値上がりすることはないと思う。
石炭委員会の勧告案は、その後賛否両論さまざまな議論を巻き起こしている。気候保護のためには2038年という時期は遅すぎるという意見もあれば、石炭火力発電からの撤退についての一応の工程表が作られたことを評価するという意見もある。しかし、今後長期にわたる問題が山積しているという点では、大方の意見は一致している。
私自身は、今回の合意が成立した時、2011年の福島原発の事故の後、メルケル政権に脱原発を提案した倫理委員会の勧告案や、ドイツ統一後首都がボンからベルリンに移転するため不利益を被るボンに対する幅広い支援策が、ボン・ベルリン協定で決められたこと、さらに遡って旧西ドイツ時代の労使協調の伝統などを思い出した。困難な問題でも利害の異なる者同志が話し合って打開策を見つけていくという現実的な態度、そして選挙を控えた戦略があるにしろ、不利益を被る人たちへの視線の暖かさを素晴らしいと感じ、どこかの国と比べて感動さえしたのだった。