足元の小さな記念碑 「躓きの石」

池永 記代美 / 2020年3月22日

イルマ•ゴルトシュタインさんの「躓きの石」の左横には、息子と夫の石も並んでいる

ベルリン西部、シャルロッテンブルク地区の住宅街にあるシュタイフェンザント通り。2月25日の朝9時、ふだんは人通りの少ないこの通りの6番地の集合住宅の前に、20人近い人が集まり、芸術家グンター•デムニッヒ氏が5つの「躓きの石」を埋める様子を見守った。ホロコーストから75年、5人の犠牲者が長い旅を終えて、家に帰ってきたのだ。

この日埋められた5つの「躓きの石」の1つには

と刻まれている。

こんなに多くの人が、自分の考えに共感してくれるとは思わなかったと語るデムニッヒ氏

10センチ四方の真鍮のプレートでできた小さな「躓きの石」は、芸術家グンター•デムニッヒ氏(1947年生まれ)の作品で、ユダヤ人などナチ•ドイツの犠牲になった人たちの存在を記録し、追悼するものだ。ナチ•ドイツはユダヤ人から財産を取り上げ故郷から追い出し、強制収容所に移送し、やがて命も奪っていった。強制収容所で収容者たちは、最低限の人間の尊厳でもある名前も奪われ、番号で呼ばれた。「名前を失ったとき、その人の存在は忘れられてしまう。犠牲者一人一人の名前とアイデンティティを取り戻したい 」と考えたデムニッヒ氏は1990年代初頭、犠牲者の名前や出生地、移送先、死亡日などを刻んだ「躓きの石」の制作を考えるようになった。「躓きの石」は、犠牲者が最後に住んだ住居の前に敷設される。彼らがまさにそこで生活していたことを想起させるためだが、理由はそれだけではない。デムニッヒ氏によるとアウシュヴィッツなどの強制収容所は、あくまでもナチ恐怖政治の終着地点だった。そこに到るよりずっと前、日常生活の中ですでに外出時間の制限や職業上の組織からの除籍など、 差別や排除が始まっていたことを表現したかったからだという。

1996年にデムニッヒ氏が「躓きの石」を敷設するプロジェクトを始めた頃は、石の敷設に必要な道路建設局の許可を取るのに手間取ったり、「歩行者が滑って怪我をする可能性がある」という理由で自治体の反対にあったりして、苦労が多かったという。家の持ち主が、家のイメージが悪くなり不動産価値が下がるので辞めて欲しいと言うこともあったそうだ。ところがそれから25年近く経った今、「躓きの石」はドイツを中心に26カ国で7万5000個もあるという。

シュタイフェンザント通り6番地の集合住宅の前に「躓きの石」を敷設することを依頼したのは、そこに住むタニヤ•ダゴスチノさんとカトリン•シュトルゲさんという女性カップルだ。偶然手にした『シャルロッテンブルクのユダヤ人』という本を読み、自分たちが住む集合住宅に暮らしていたユダヤ人5人が、ホロコーストの犠牲になったことを知った。その人たちが、同じ扉を開けて建物に出入りし、同じ階段を上り下りし、同じ 風景を見ていたのかと思うと、ホロコーストは突然身近なものに感じられるようになったそうだ。ダゴスチノさんたちが5人のための「躓きの石」を依頼したのは、当時の隣人が、彼らを助けなかったことへの償いの気持ちがあったのかもしれない。その日そこに集まり、石を埋めるデムニッヒ氏の様子を見学していたのは、同じ建物や同じ通りに住む人たちだ。石が埋められた後、その中の一人がヘブライ語で歌を歌い、金色に輝く真新しい「躓きの石」に白い花が供えられた。

シュトルゲさんが読み上げる追悼の言葉に聞き入る集合住宅の住人や隣人たち

一つの「躓きの石」の制作•敷設費用は120ユーロ(約1万4000円)だ。制作を依頼するのは、ダゴスチノさんたちのように、犠牲者の住んだ家の住人の場合もあれば、 犠牲者団体、郷土史家のグループ、犠牲者の家族、自治体など色々なケースがある。生徒たちが学校の授業で犠牲者の生涯や家族関係を調べ、バザーで資金集めをして、依頼することもある。デムニッヒ氏によると、世界各地に散らばって住んでいる犠牲者の孫やひ孫が石の敷設のために集まったことがあり、その時は「どれだけちり紙があっても足りないぐらい、みんなが涙を流した」そうだ。住人たちが石の費用を持つだけでなく、犠牲者の家族を招待したという感動的なこともあったという。犠牲者の一人一人にそれぞれの歴史があったように、どの「躓きの石」にも、それが誕生するまでにそれぞれの物語があるのだ。

観光客の多くは、ベルリンで初めて「躓きの石」を知るようだ

歩いていて偶然「躓きの石」を見つけたときの人々の反応も様々だ。踏んでは申し訳ないと避けて通る人もいれば、プレートに何が刻まれているか立ち止まって読む人もいる。そこに刻まれた小さな文字を読もうとすると、自然に頭を垂れることになり、それが犠牲者に敬意を表すことになると、デムニッヒ氏は語っている。踏めば踏むほど、プレートの表面が磨かれて輝きを増すのだから、「躓きの石」は踏んで欲しいというのが彼の意見だ。しかしユダヤ人の中には「躓きの石」そのものを拒否する人もいる。例えばミュンヘンのイスラエル文化協会の会長で元ユダヤ人中央評議会会長のシャルロッテ•クノーブロッホさん (87歳)は、「汚れた道に埋められ足で踏まれるのは、耐えられない。ユダヤ人は、そのようなひどいことを十分すぎるほど体験してきた」と語っている。クノーブロッホさんは、石にいたずら書きをされたり、石が掘り起こされたりすることも心配している。しかしデムニッヒ氏によると、そのようなことはごく稀で、その場合も新しい石を埋め直すと「敵」はたいてい諦めるそうだ。

買い物に行く道すがら、そして散歩をしていて出会う「躓きの石」は、日常生活の中でナチの犯罪やその犠牲者のことを私たちに思い起こさせる強い力を持っている。そして犠牲者の家族にとっては、彼らがそこに生きた証になるだけでなく、追悼するときの拠り所になっている。私自身は「躓きの石」を見かけたら、デムニッヒ氏の言葉にしたがって、できるだけ靴底で石を撫で、真鍮のプレートを磨いていくようにしている。

 

 

 

 

2 Responses to 足元の小さな記念碑 「躓きの石」

  1. ノリス恵美 says:

    なぜ「躓きの石」というのか? 躓くのは誰なのか? どうして躓くのか?ということを明確に述べてくださるといいかと思います。

    • 池永 記代美 says:

      私は肝心なことを書いていませんでしたね。ある男の子が「この石で躓くことはありません。でも心が躓きます」と言ったそうです。私たちは、石を見るたびに躓き、その都度、ナチ犯罪の犠牲者のことを思い、あんな犯罪が2度と起こらないようにしなければと誓うことになります。