高速増殖炉、夢の跡

永井 潤子 / 2015年10月18日
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増殖炉の冷却塔

この夏デュッセルドルフの親戚を訪ねた折に、オランダとの国境に近い「ワンダーランド・カルカー」まで足を伸ばしてみた。ここは本来高速増殖炉になるはずだったところだが、1970年代から80年代にかけて反原発派の激しい抗議運動にあい、多額の投資の後、建設計画は中止された。その跡地に遊園地を含む娯楽施設が建設されたのだ。ドイツの16州のうち最も人口の多いノルトライン・ヴェストファーレン州の州都デュッセルドルフから電車で約1時間半、オランダとの国境に近いエメリッヒからタクシーで10分ほど走ると、ライン河畔にそれらしき建物が見えてきた。あたりは田園地帯で人口も少なさそう、なるほど危険なものはドイツでもこういう川沿いの辺鄙なところに作られるはずだったのか、と改めて納得する。夏の休暇シーズン中のことで、遊園地の中は子供連れの人たちで賑わっていた。木陰に休んで孫らしき子供たちを見守る高齢のカップルも何組かあった。「ワンダーランド・カルカー」内の遊園地の名前が「ファミリ—・パーク」なのも、頷ける。その他、学校のクラスの遠足だろうか、生徒のグループも目立っていた。

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空中メリーゴーラウンド

入り口を入るとまず円筒形の冷却塔が目に入る。高さ58メートルの冷却塔の中には空中メリーゴーランドが作られている。ぐるぐる回りながら徐々に高く上がっていき、冷却塔の上まで登りつめて塔の外に出ると、高所から素晴らしいライン川の景色が見渡せるという趣向で、数ある遊園施設のなかでも人気のトップを占めている。この冷却塔の壁には高い山の絵が描かれており、時にはロッククライミングの壁になるという。

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増殖炉博物館の入口

広報担当のカロリン・ゼメルカさんの案内で敷地内を回る。この遊園地を代表するオレンジ色のキャラクターの愛称はケルニー、核のドイツ語ケルンKernからきたものだ。ケルニー君はブルーのつなぎのズボンを履き、緑の帽子を被っていて、ケルニー君をかたどるゴミ箱も至る所にある。この遊園地の大きな特徴は敷地内に「増殖炉博物館」があることだ。ここでは、もともと高速増殖炉になるはずだったこの施設が、究極的に現在の娯楽施設になったドラマチックな歴史が展示されている。この施設の歴史だけではなく、高速増殖炉とは何かとか、原子炉の仕組み、あるいは原子力から再生可能エネルギーへといったテーマの展示が、子供にも親しめるように漫画のキャラクターなどを使って示されている。とは言っても、展示内容は理科系ではない私には難しく感じられたものも少なくなかった。高速増殖炉となった場合に使われるはずだった、当時としては最先端の技術を示す機械の実物が惜しげも無く展示されているので、こういう技術的な問題に興味のある人たちには面白いに違いない。現在、他の原子炉で使われているという燃料棒が1本、シーメンス社の提供で展示されていたのが印象に残った。学校の生徒がクラス単位でこの「増殖炉博物館」を訪れる場合には、前もって予約が必要ではあるが、当時増殖炉建設計画に携わった専門家が無料で説明役を引き受けるという。Kalkar 4

まだ「核の平和利用」に疑いがもたれなかった1972年秋、オランダ、ベルギー、西ドイツの3国はオランダやベルギーの国境に近いドイツのカルカーに、「高速増殖炉」を建設する計画を立てたが、高速増殖炉の危険性を重要視する反原発派の市民運動が次第に激しさを増していった。特に1977年9月24日の抗議デモには数万人が参加する大規模なものとなった。1977年秋といえば、当時の西ドイツはドイツ赤軍派のテロで危機的な状況にあり、反原発のデモ参加者を赤軍派のテロリストと同一視する警備当局や連邦政府と市民運動の間に深刻な対立をもたらした。1979年にアメリカのスリーマイル島原発事故が起こると、反対運動はますます激しさを増した。紆余曲折をへながらも、施設は1985年に完成したが、ノルトライン・ヴェストファーレン州の社会民主党と自由民主党の連立政権が、連邦政府の意向に反して稼働許可を与えなかった。そうこうするうちに経済的にも割が合わなくなり、結局1991年3月に建設計画は中止された。この計画にはそれまでにほぼ70億ドイツ・マルク(約4860億円)という巨額の資金が投入された。当時、最新技術を駆使した夢の増殖炉計画が、最大の産業廃墟になったと言われた。1995年、オランダ人の実業家、へニー・ファン・デア・モースト氏がその産業廃墟を破格に安い値段で購入して娯楽施設を作ったのである。

ゼメルカさんに案内されているうちに「ワンダーランド・カルカー」は、私が当初考えていたような単なる遊園地だけではないことを知った。まずこの施設の規模に驚かされる。敷地は55ヘクタールあるが、その広さはサッカーフィールド80面に相当するという。敷地内には合計1000人が泊まれるホテルがあり、見本市会場やイベント会場、大小の会議室などがある。もちろん大小のレストランやバーもある。ここでは専門見本市が開かれるが、大きな見本市会場とは違ってホテルが隣接している便利さがある。会議やセミナーなども同じである。夏の間はロック歌手を招いてのイベントや様々なパーティーが計画される。周辺はサイクリングやハイキングに適した自然に恵まれているため、その拠点として利用する人、誕生パーティーやクリスマスパーティーを開く人など様々に利用されているという。利用するのはドイツ人だけではない。地理的に近い、オランダ人やベルギー人も多い。

遊園地で楽しく遊ぶ家族連れの平和な光景を眺めているうちに、ひとつ気が付いたことがあった。いったん入場料を払ってこの遊園地内に入ると、多くの物が無料だということである。様々なタイプのメリーゴーランドやジェットコースターなどに乗るのは、もちろん全てフリー、その上、水などの飲料もただ、ソフトアイスやドイツ人の大好きなフライド・ポテトもセルフサービスで貰えるのだ。ソーセージ売り場だけは日本円で2—300円程度のお金を払わなければならないが、多くの物が無料でサービスされるのは賢明な経営方針だと思った。経営側からいえば、一人一人からお金を徴収するための人手が節約できる一方、来園者たちは「たくさんの無料のサービスを受けた」という満足感を得られ、それがリピートに繋がる。その代わり、入場料は割高かもしれない。入場料は2歳までは無料、身長1メートル30センチ以下の人は20.50ユーロ(約2770円)、1メートル30センチ以上の人は27.50ユーロ(約3700円)、65歳以上のシニアは20ユーロ(約2700円)となっている。

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説明役のゼメルカさん

ゼメルカさんは最後に、日本から視察に来たグループの話をしてくれたが、教員を中心とするそのグループの人たちは「原子炉が遊園地に変わった」と聞いて日本の原子炉の将来に参考になると思って来たようだったという。「ここは稼働する前に計画を中止したので放射能の心配はありません。一旦原子炉として稼働したところは遊園地にすることはできないでしょう」という説明に、がっかりしていたようだったとか。何れにしても私は1970年代80年代に早々と「高速増殖炉」の危険に気がついて厳しい状況の中で反対闘争を繰り広げ、ついに計画を断念させた当時のオランダ人、ベルギー人、ドイツ人の先見の明に改めて敬服の念を抱いた。オーストリア政府がドナウ川のほとりに原発を完成させながら、住民投票の結果、稼働を断念し、脱原発への道を選択したケースも思い出された。

高速増殖炉には以下の4つの危険があると言われている。

1.  高速増殖炉は、核暴走事故を起こしやすい原発である。核分裂の速度が普通の原子炉(軽水炉)の250倍も早いため、制御が非常に難しく、一瞬の間に手がつけられなくなってしまう。

2. 冷却材にナトリウムを使う。普通の原発は炉を冷やして、熱を取り出すのに水を使うが、高速増殖炉は金属ナトリウムを98度以上に熱して液体にして使う。高温のナトリウムは空気に触れると燃え出し、水に触れると爆発し、コンクリートに触れても燃えたり、爆発したりする。さらに日本の「もんじゅ」事故では、鉄も溶かしてしまうことがわかった。

3.  猛毒のプルトニウムを燃料にし、それを増やすシステムである。プルトニウムはもともと自然には存在せず、原子爆弾を作るために原子炉から取り出された物質で、プルトニウムの半減期は2万4千年という想像を絶する長さである。プルトニウムの微粒子を吸い込むと肺にくっついて、肺ガンを引き起こす。高速増殖炉を動かすには、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出す「再処理工場」が必要だが、「再処理工場」は、事故がなくても原発の数百倍の放射能を垂れ流す上に、万一重大事故が起これば、通常の原発事故以上に被害が大きくなる。

4. 構造そのものに非常に無理があり、特に地震に非常に弱いという欠陥がある。

こうした危険性から世界の多くの国が高速増殖炉計画から撤退したが、日本はロシア、中国、インドなどと並んでまだ撤退していない数少ない国の一つである。しかし、福井県の高速増殖炉「もんじゅ」も青森県六ヶ所村の「再処理工場」も失敗続きで、計画は停滞したままである。高速増殖炉によって核燃料を無限に再生産するという「核燃料サイクル計画」は結局夢に過ぎないのではないだろうか。「ワンダーランド・カルカー」を訪ねた後、日本も危険な夢から撤退する勇気を早く持つべきだという気持ちがますます強くなった。

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