ドイツで放映された福島の叔母さんの物語
東日本大震災から3年が経とうとする2014年3月6日(木)に、ドイツのテレビ局WDRで、ロンドン在住の日本人ディレクター三宅響子さんが福島の親族を追ったドキュメンタリー『Meine Tante aus Fukushima(福島の叔母さん)』が放映された。福島県浪江町に暮らし、原発誘致派だった叔母さん。原発で豊かになった町で商売を成功させていたのに、原発事故で家も仕事場も放棄して避難を余儀なくされる。叔母さんは今、何を思うのか? 叔母さんの心の軌跡を丁寧に追ったドキュメンタリーだった。
三宅ディレクターの叔母さんは、浪江町で結婚式場、葬儀場、ベーカリーの3つを営むビジネスウーマンだった。ところが、町の全面避難により、期限もわからぬまま仮設住宅への移住を余儀なくされる。原発事故の2か月後から撮影を開始した三宅ディレクターは、当初、叔母さんの言動に戸惑った。
叔母さんはさばさばした口調で言った。「文句ばっかり言っていても仕方ないからね。早いところ、東電さんに何とかしてもらわないと」。つらいときでも明るく振る舞うのは、叔母さんの生来の性格なのだろう。しかし、ひどい事故を起こした東電を今でも「東電さん」なんて呼ぶことはないだろうし、被害者なのだから、もっと怒りを見せてもいいのではないか、と三宅ディレクターは感じた。
取材を続けるうちに、三宅ディレクターは、浪江町が長年、原発誘致と反対の間で揺れてきたこと、叔母や町議会議員だった大伯父たちは推進派だったこと、原発を誘致して以来、雇用が増え、町の財政が豊かになり、暮らし向きが向上したことなどを知る。
故郷に戻ってまた商売を続けたいと願っていた叔母さんだが、放射能汚染の現状を知るにつけ、次第にあきらめざるをえないことを悟り、新たな場所で生活を立て直すことを模索し始める。また、原発を誘致していた過去や、自然が豊かだった事故前の浪江町のことを語る叔母さんの口ぶりには苦さが感じられた。
ドイツでは東日本大震災以来、東電や日本政府の事故処理能力や政策に疑問を呈する報道が増えており、3月のこの時期はとくに、そのような報道が目立った。日本社会のしがらみにとらわれないドイツの批判的な報道は非常に参考になるし、歯に衣着せぬ言い方に接してすっきりすることも多い。一方で「当事者の気持ちや、彼らが抱えている事情は、もう少し複雑なのでは……」と思うこともあった。そんななか、この番組は、親族である日本人の三宅ディレクターにしか撮れない繊細なドキュメンタリーだと感じた。(ちなみに、このドキュメンタリーの叙情性と、それを外国で放映した場合の単純化は、番組タイトルによく現れている。日本語タイトルは『波のむこう~浪江町の邦子おばさん~』、ドイツ語タイトルは『Meine Tante aus Fukushima(福島の叔母さん)』、英語タイトルは『My Atomic Aunt(私の原子力叔母さん)』である。)
放射能は危ない。自分の近くにはないほうがいいに決まっている。福島のあの惨状を見た後はなおさらそう感じる。一方で、過疎化の進む地域の雇用問題、若者や子どもの貧困問題、出稼ぎしないとやっていけない地方の家族たち、病院や学校などの基本的なインフラが整っていない地域の実情といったものを思うと、日本がまだ貧しかった時代、三宅ディレクターの叔母さんのような人たちが原発を誘致し、豊かになった町に満足していた事情も理解できる。
生活の豊かさ、心の豊かさ、地方と都市部の均衡、安全なエネルギー、将来の世代に禍根を残さない政策……そういったものを、どう実現するか。叙情的でありながら、いろいろな課題を示してくれるドキュメンタリーだった。
関連リンク
・ドイツ語版を放映したテレビ局WDRのウェブサイトにおける番組紹介(ディレクターのインタビュー動画あり)
・日本語版を放映したテレビ局NHKのウェブサイトにおける番組紹介
・三宅響子ディレクターの個人ウェブサイトにおける番組紹介(予告編動画あり)