奥の深い「ゴミ美術館」が、ベルリンにオープン

池永 記代美 / 2019年5月5日

旅行で日本に行ったドイツ人の友人に日本の印象を尋ねると、「街角にゴミ箱がないのに、ごみが落ちていないのに驚いた」という返事がかえってきた。確かに日本の街は清潔だ。それに比べてベルリンは、タバコの吸い殻、ビニール袋、テイクアウト用のプラスティックのコーヒーカップ、犬の糞、時には古いテレビやソファーなど粗大ゴミまで路上に転がっていたりして、不快な気分になることがある。誰が見てもいい気はしないが、なかなか解決しないゴミ問題。そんな中で、今年の3月中旬、ベルリンに「ゴミ美術館」が誕生した。

路上で最も多いゴミがタバコの吸い殻。ゴミ美術館の壁に取り付けられた作品

 

ゴミ美術館は、かつての西ベルリン側に位置し、労働者や貧困層が多いヴェディングのゾルディーナー地区にあるシュテファヌス教会の一室に設けられた。この地区について1998年、週刊誌「デア•シュピーゲル 」は、「怖くて汚い街。外国人の割合が51%を占め、中流階級は逃げ出し、プロレタリアートと若いチンピラだけが残った」と紹介した。それから20年の間に、外国人との共生や地域の活性化のためのいくつものプロジェクトが、市や区の主導で行われ、今は治安が改善された。そのため子供のいる家族もこの地域に戻ってくるようになった。しかし、ゴミ問題は解決しなかった。不思議なもので、自分が出したゴミはあまり気にならないが、赤の他人が出したゴミは、より不潔に感じられ気分を害するものだ。そこにゴミの扱いに対するお国柄などが関わってくると(国柄より、個人の差の方が大きいと思うのだが)、人はさらに感情的になる。「xx人は、平気でゴミをポイ捨てする」、「◯◯人が生ゴミをきちんと捨てないから、ネズミが増えて困る」など、ゴミが諍いのもとになることも多い。

「この地区には生活習慣の異なる多様な人たちが住んでいます。でも、ほかの人のゴミの捨て方が悪いと文句ばっかり言っていても、何の進歩もありません。それならいっそのこと、ゴミが対話や理解のきっかけにならないかと考えました」。ゴミ美術館の運営を行う異文化演劇センターのメンバーであるズザンネ•シュルツ=ユングハイムさんは、このようにゴミ美術館誕生の背景を説明してくれた。彼女によると、ゴミはそこに住む人の生活や歴史を語るものであり、ゴミを通じてお互いの生活を知り、自分の生活や社会を批判的に見る目も養い、最終的にはゴミ問題に一緒に取り組むよう働きかけるというのが、この美術館の目的だ。

それなら何も美術館ではなく、ゴミ処理場に社会見学に行くだけでもいいかもしれない。しかし、美術館と銘打って、ここにはゴミをテーマにした、もしくはゴミを材料にして作られた芸術作品が展示されている。その理由は、日頃美術館を訪れないような若者や子供たちに、物を観察し、描写する力を養ってもらいたい、いろいろな素材の持つ特徴や可能性を知ってもらいたい、 さらには、この地区に住む芸術家に発表の場を提供したいなど、いろいろな思惑が込められているからだ。

デュシャンの作品を模して、移動とデジタル化をテーマにしたという作品。

運営に携わるもう一人のメンバーで、美術史家のレナ•ライヒさんによると、美術館と命名されていても、ここをゴミの分別の仕方を教える教育の場だと勘違いする人も多いそうだ。それではこの美術館に、実際にはどんな作品が展示されているのだろう。 60平米ほどの展示場には、25点ほどの作品が並んでいる。最初に私の目についたのは、自転車の車輪を椅子の上に乗っけた作品だ。どこかで見たことがあると思ったら、マルセル•デュシャン(1887-1968)の「自転車の車輪」(1913年)を模した作品だ。今、ベルリンの路上にはスマートフォンを使って、いつでも、誰でも、どこでもレンタルできるという自転車があちこちで乗り捨てられ、自転車がまさに粗大ゴミ化しているのだ。しかもレンタル•サイクル事業は、それによる収益より、レンタルする人の個人データを収集するのが本当の目的と言われていて、この作品はそれも批判しているという(見ただけで、それは伝わってこなかったが)。デュシャンは、日常用品や廃棄物から作品を作る斬新な芸術家だったが、自転車がデータ収集に使われる日が来るとは、彼には予想できなかったことだろう。

プラスティックのおもちゃの飛行機も、鮮やかなピンクが目に飛び込んできた。これはこの地区に31年あった電気屋が、家賃が高くなりすぎたため店じまいすることになり、在庫一掃セールで売り出された物だという。正確にいうとゴミにならずに、この美術館に拾われたわけだ。この作品を見せながら、飛行機はどんなゴミを作り出すか(二酸化炭素や騒音)ということだけでなく、遠いアジアの国で作られたこのおもちゃがなぜドイツで売られていたのか、そもそも昔のおもちゃはどんな素材で作られていたのかなど、見学にきた子供たちは考えることになるという。さらに、中学生や高校生には、どうして家賃が高騰し長い間地域で親しまれていた店が閉店することになってしまったのかについて、議論させることもあるという。

『エデーとウンクー』のカバー。これは戦後新たに出版された時のものだが、写真は初版に使われたものと同じだ。

どう見てもゴミには思えない、ある一冊の本のカバーも展示されていた。本のタイトルは『エーデとウンクー(Ede und Unku)』で、アレックス•ヴェディング(本名グレーテ•ヴァイスコプフ、1905-1966)という女性児童文学作家の処女作だ。1931年に発表されたこの作品は、リベラルだったワイマール共和国時代 (1919-1933) のドイツ人少年エーデとシンチ•ロマの少女ウンクーの友情をテーマにしたもので、現在この美術館のあるヴェディングに存在した実話をもとに書かれたそうだ(地名と彼女のペンネームが同じなのは偶然とは思えないが、詳しいことは解っていない)。ところがナチスが政権に就いて間もない1933年5月10日、ユダヤ人の著作やナチ思想と相入れない「非ドイツ的」な本が焼かれたベルリンの焚書事件で、この本も焼かれ、その後は発売禁止になってしまった。ナチスにとってこの本は、ゴミ以下の、払い清められねばならない存在とみなされたのだ。さらに痛ましいことは、主人公の一人であるウンクーは、ナチ•ドイツが作った絶滅収容所アウシュヴィッツ で1944年に死亡していたことが、戦後20年以上も経って判明したことだ。ゲルマン民族の優位性を信じ、「劣等人種」の根絶を図ったナチ•ドイツは、特定の人たちを「ゴミ扱い」したのだ。

ゴミ箱に捨てられたかもしれないおもちゃの飛行機が、今は美術館の展示品になっている。このことは、何がゴミなのか、そしてある物がいつの時点でその価値を失い不要物になるのかといったことが、主観的な問題であることを物語っている。また、民主主義の社会では個人個人がゴミとみなす物を廃棄しているのだが、独裁政治のもとでは、独裁者が人間をも含めて、全てのものの価値を決め、とんでもなく残酷なことが起こってしまうこともこの美術館は伝えている。ゴミという身近な話題で、いろいろなことを考えさせられた。

ゴミ美術館がオープンして2ヶ月足らず。まだ知名度もあまり高くない上に、教会の中にあるために、この地区に多いイスラム教徒の住民たちを呼び込めるか、運営者たちは少し心配している。しかし、地域や学校のプロジェクトとの協力も予定されていて、今すぐゴミ問題の解決には結びつかなくても、住民たちの相互理解の促進にこの美術館が貢献することは間違いないだろう。

ゴミ美術館の入り口の案内

ゴミ美術館 (Müll Museum)   開館時間 毎週金曜日10:00-18:00

住所 Prinzenallee 39, 13359 Berlin

 

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