イタリアでグローバル化について考える(4) 〜移民、国際化〜

みーこ / 2013年12月29日
水と共に生きる美しいヴェネツィアの街。しかし最近は国際化の「波」に現れているという。

水と共に生きる美しいヴェネツィアの街。しかし最近は国際化の「波」に現れているという。

この秋の2か月半のイタリア滞在で感じたことを書いてみるシリーズ。第4回の今回は、移民、国際化について。

イタリアにも移民の波が…

ジェノヴァの街角で見かけたアフリカ系男性。小雨が降るとすぐさま傘を売り始めた。

ジェノヴァの街角で見かけたアフリカ系男性。小雨が降るとすぐさま傘を売り始めた。

私が住んでいたジェノヴァは港町。街なかで見かける人は、ほとんどがイタリア育ちのイタリア人に見えたが、港のほうに行くと、急にアフリカ系、アジア系の人が増えるのを面白く思った。中国系と思われる移民の中には、自分のお店を持って、安い衣料品などを売っている人も多かったが、アフリカ系と思われる移民は、港のそばの広場にゴザを敷いて、偽ブランドのサングラス、バッグ、キーホルダーなどを売っている人が目についた。彼らを見ていると、「この人たちは、どこからやってきたのだろう? イタリアには合法的に滞在しているのだろうか?」という疑問がわいてくる。

そんなおり、「アフリカに最も近い欧州の島であるイタリア領ランペドゥーサ島を目指してやってきた難民が、航海時の事故で大勢亡くなる」ということが何度か起こり、とても痛ましく思った。イタリアでも、これは連日大きなニュースになっていた。

ジェノヴァは港町なので特別にアフリカ系移民が多いのかと思っていたら、その後、旅行したイタリア北部の都市(ピサ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノなど)でも、同じような人々を見かけた。私は2003年にもイタリアを少し旅したことがあるが、10年前は、こういった人々は見かけなかった気がする。イタリアにも移民が増えているのだろうか。そう言えば、10年前は見た記憶がないケバブ屋さんが、今回の旅行ではあちこちで目についた。

自分が今までに住んだ英国、ドイツ、イタリア、日本を並べてみると、今書いたこの順番で、移民の社会統合が進んでいるように思う。数多くの植民地を持っていた英国では、議員、大学教授、医師といった社会の指導層にアジア系やアフリカ系の人がいるのは珍しくはないが(むしろ、移民の背景を持つ人のほうが立身出世願望が強く、優秀だったりする)、ドイツではまだそれほどでもない。ただしドイツでも、飲食店を経営して成功しているトルコ人やベトナム人はよく見かける。イタリアでは、イタリア人と非イタリア人が一緒に働いているのをほとんど見なかった。あるレストランの厨房で皿洗いをしている肌の黒い女性を見たくらいだ。まだ、移民が社会に溶け込んでいないということだろう。

 

ヴェネツィアに押し寄せる「波」

イタリア滞在中、ヴェネツィアに行ったのだが、この美しい水の都にも、グローバル化の波は押し寄せていた。文字通り、海からやってくる「波」である。私が行った10月はそうでもなかったが、ヴェネツィアではここ何年も、冬になると水位が上がって洪水のようになってしまうらしい。水位が上がるのは、やはり地球温暖化が原因だろう。

観光が一大産業であるヴェネツィアにとって、水のコントロールは死活問題だ。今回ヴェネツィアに行って、「海の中に防波堤のようなものを作り、水位を制御する」という計画が進行中であることを知った。2016年には完成するとのことだ。

 

ボローニャで考えた大学の国際化

ボローニャへも旅行した。ボローニャは1088年創立の欧州最古の大学と、絵本や児童書の国際ブックフェアで有名な文化都市だ。街を歩いていても、大学に近づいていくと、それと分かる。自転車に乗った若者や手軽そうな安食堂や書店やコピーショップが増えてくるからだ。

「学生街はどこの国も似た雰囲気だな〜」と思いながら歩いていたが、「イタリアの名門ボローニャ大学の学生の顔ぶれは、英語圏の名門大学とはずいぶん違うな」とも感じた。英語圏の名門大学は、近年は優秀なインド系や中国系の学生に席巻されている。

歴史を感じさせるボローニャ大学の校舎

歴史を感じさせるボローニャ大学の校舎

アメリカ、カナダ、英国、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏には移民が多いし、英語という国際語が留学の敷居を低くしているのだろう。これらの国では、「『外国人』のせいで、生粋の自国民が大学に行けない」と不満を口にする人もいると言う。それに対して、ボローニャ大学周辺で見かけた学生たちは、ほとんどがイタリア語を話すイタリア人のようだった。イタリア語での講義についていける学生しか入学させていないからだろう。「大学の国際化において遅れをとっている」と言うこともできるが、「イタリア語の壁でイタリア人を守っている」とも言えるかもしれない。

日本でもドイツでも、「大学の授業を英語でおこなって、大学の国際化をはかろう」といった議論を見聞きすることがある。「何でも英語でやることが国際化なのかな?」と疑問に感じるし、そもそも日本人の英語力では無理だとも思う(ドイツ人の英語力なら可能かもしれない)。ボローニャ大学周辺を歩く学生らを見ながら、「言語の壁がない状態とある状態、どちらが幸福なのだろうか……」などと考えた。

 

日本の美術品を集めた「お雇い外国人」キヨッソーネ

ジェノヴァに滞在してみて初めて、日本に縁の深いイタリア人、エドアルド・キヨッソーネのことを知った。キヨッソーネはジェノヴァ出身の版画家・画家・紙幣印刷技術者で、明治政府が「お雇い外国人」としてイタリアから招いた人物である。キヨッソーネは、明治政府から受けとった破格の給与の大半を、日本の美術品や工芸品を収集するのにあて、現在ではジェノヴァに、彼のコレクションをもとにしたキヨッソーネ東洋美術館というものがある。

世界の情報がそう簡単に手に入らなかったであろう明治時代に、明治政府がどうやって、紙幣印刷技術を持つキヨッソーネという人物を探しあて、仕事を依頼したのだろうか……と考えると、興味深い。業績を調べてみると、キヨッソーネは紙幣印刷技術指導者として適切な人材だったようだが、ほかのお雇い外国人の中には「ハズレ」もあっただろう。

現在の日本でも「企業や大学の国際化を!」「日本人以外の社員、教員、学生などを増やそう」といった議論をよく見かけるが、適切な人材を適切な条件で招致したり雇用したりできていない例もあるだろう、などということを、キヨッソーネの業績について調べながら考えた。

 

関連リンク
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