コロナ危機とドイツの学校
ドイツで、新型コロナウイルスの感染者数を抑えるために、ロックダウンが始まったのは、3月半ばだった。学校や幼稚園が閉鎖されたのもその頃で、イースターの祝日(今年は4月12/13日)より4週間も前のことだったが、学校のイースター休みを前倒しにして、しかも延長したような形のこの閉鎖に、反対する人はいなかった。ドイツの教育行政は本来なら州の管轄で、いつもなら全16州で足並みが揃うわけではないし、連邦政府が細かいことに口を出すこともできない。しかし、今回は前代未聞の学校の閉鎖が始まった後で、連邦政府と州政府が話し合いで、閉鎖をまず4月19日まで続けることに合意し、また、イースター祝日明けの15日に再び話し合いを設け、 次の段階について大まかな方針をまとめることになっていた。その話し合いで、学校は早くても4月20日から、段階的にしか始まらないこと、幼稚園は多分8月にならないと再開しないことなどが明らかになった。過去5週間、特に小さい子供たちの面倒を見てきた親たちが悲鳴をあげたり、デジタル授業についていけない子供たちを心配したりする教育学者や倫理学者は少なくない。
予防接種も治療薬もないコロナウイルスによる新型肺炎を防ぐには、まず、感染者に接近しないことが一番効果的だと言われる。ドイツではそこで、人の集まりやよその人との接近を避け、同一世帯の人でない他人とは、1人までしか会うことが許されず、少なくとも1.5 m の間隔を置くようにと言われている。マスクを好まないドイツ人の間でも、マスクをすることが役にたつという考えがやっと浸透し始めているところだ。しかし、今回のコロナウイルスに関して、今までに少し分かってきたことがある。その一つは、年少者はどうもウイルスにあまり感染しないこと、感染すると、人にうつすことはあっても自分は発病しなかったり、発病しても症状が軽かったりするということだ。例えば、イースター直後に発表された、無差別に選ばれた住民1万3000人を対象としたアイスランドの調査では、10歳以下で感染している子供は1人もいなかったという結果が出ている。もう一つ明らかになったことは、免疫力の低下している年寄りや持病のある人の場合は、感染すると症状が重くなり、死亡に繋がる恐れがあることだ。
このようなことからすると、小さい子供を託児所に預けたり、幼稚園に通わせたりすることには、あまり大きな危険はなさそうだ。だからドイツで学校や幼稚園が閉まった後も、アイスランドでは、幼稚園も学校も閉まらなかった。注意しているのは、一緒にいる子供たちの数と時間の長さを限定しているだけだという。スウェーデンも、幼稚園と小学校はずっと閉鎖せずに、子供たちはいつものように元気に学校などに通っている。しかし、小学生より年上の子供や大人たちには、他人との集まりを出来るだけ避けるようにと言われているし、50人以上が集まる催し物は禁止されており、老人ホームの訪問も許されていない。また、欧州連合の中で一番はじめにロックダウンを決めたデンマークでは、4月15日から幼稚園と小学校を条件付きで再開した。幼稚園の建物の中では子供1人当たりに6平米、学校では教室内に子供1人当たり4平米のスペースが確保されていることが条件だ。そして教室では、生徒たちが近づき過ぎないために、机と机の間隔が2m なくてはならない。また、子供たちは、教室内では2人以上一緒になることが許されず、校庭でも5人以上が集まってはいけない。学校に通うのは五年生までで、上級生たちはデジタル授業を続けるという。
ところがドイツでは、小さい子供は他の子供との間に距離を置いたり、マスクをし続けたりすることができないという理由で、今すぐの幼稚園の開園は見送られた。小学校低学年の授業もなかなか始まらない。多くの場合、小さい子供たちがウイルスの拡散に大きく貢献していると思われているからだ。だからロックダウン開始の直後から、小さい子供たちがお爺さんやお婆さんに会うことは極力避けるようにと言われている。しかし、小さい子供たちが本当にウイルスの拡散に関係しているかどうかを疑う医師たちもいる。そして、子供たちがこれから先、まだ3ヶ月以上も幼稚園に行けないことを「ショックだ」と受け止めている親は多いし、そのことを大きな問題だとする教育者も多い。
ベルリンでは、学校はまず卒業試験や進学試験などの迫っている学年から授業が始まることになった。しかも初めは、生徒数を大きく抑え、様子を見ながらだんだん増やしていくというやり方だ。ベルリンでこの20日から始まったのは、まず高校卒業・大学入学資格 (アビトゥア)の筆記試験だった。州によっては、3月に学校が閉鎖する前に既に筆記試験が終わっていたところもあったが、ベルリンではまだ済んでいなかった。16州の中からは、今年は異常事態に面しているのだから試験を中止して、過去2年間の成績で決めてはどうかという提案もあった。しかし各州の教育相が話し合った結果、全州で通用するアビトゥアにするためには 、やはり試験を遂行する必要があるということで合意に至った。例年でもアビトゥア試験の時は、他の学年の生徒は静かにしなくてはならないのだが、今年の試験は他の生徒が誰もいない、閑散とした校舎の中で、ラテン語の試験で始まった。学校側は特に衛生に注意し、事前に教室やトイレが丁寧に掃除、消毒された。特に机やドワの取っ手までも考慮され、トイレには石鹸と紙タオルが配置された。生徒数は一部屋に最高8人と決まり、机と机の間は大きく開かれた。生徒数の多い英語の試験日などには、講堂や体育館も試験に使われる 。口頭試験も含めて、アビトゥアの試験が終わるのは6月3日になるそうだ。
4月27日からは10年生が学校に戻り、学校の10年生中級教育終了試験の準備を開始する予定だ(注: この試験にはあまり意味がないと、筆者がこの文章を書いたすぐ後に今年は廃止されることが決まった)。5月4日からは、来年普通の中学校に進むか、それとも高校まで続くギムナジウムに進学するかを決定する小学校6年生と、一年後にアビトゥアの試験を控えるギムナジウムの11年生が登校を開始するなど、手の込み入ったプランができている。そしてこのプランに従うと、最後に学校に戻るのは小学校1年生で、今年は夏休みの始まるのが6月25日でとても早いので、夏休み前の2週間前になるという。
生徒たち全員がすぐに学校に戻れないのは、生徒たちが互いにすれ違う混雑などをあくまでも避けるために、1クラスの生徒数を多くて15人と限定していることにもよる。そのため、従来の1クラスを、例えば朝8時から11時までのクラスと12時から午後3時までのクラスの二つに分けて、教師が同じ授業を繰り返すことも考えられている。しかしそうなると教師が足りなくなったり、教師の負担が多くなったりする問題が生じる。また、授業はドイツ語、数学、英語などの重要な科目だけに絞るという提案などもある。問題が多く、このプランでは学校がまるで機能しないという印象を受けるが、これがコロナ感染の拡張を避ける苦肉の策のようだ。政治家の中から、夏休みを短くして授業期間を伸ばしたり、大抵の州では1970年代に廃止された土曜日の授業を復活させたりしてはどうだろうかとかという提案も出ているが、すぐ賛成する声は聞こえてこない。しかし一部には、授業についていけない子供たちのために、夏休みに特別コースを設けるべきだとする発言もある。
ところで、学校が閉鎖していた5週間に、ドイツで授業が一切なかった訳ではない。イースター休みの期間を除いて、教師たちはインターネットの動画を使って授業を試みたり、メールで宿題を出したりしていた 。このような授業は初めてで試行錯誤した教師も多かったと思われるが、上級クラスになるに従い、上手くいっていたケースも多いようだ。生徒たちもまた、インターネットで宿題の答を送信したり、分からないことに関する自分の質問をメールで教師に送ったりできたからだ。宿題がたくさん出て、フーフー言った生徒もいたという。低学年の生徒に対しては、教師が説明や問題のプリントアウトを親に依頼したり、プリンターのない家にはプリントを郵便で送ったり、また電話で個人的に質問に答えたりすることもあったという。そして、このような形態の授業は今も続いている。
しかし、このような遠隔授業は学校での授業の代わりには到底ならない。それどころか、大きな問題を孕んでいる。親も勤め先が閉鎖して、家から仕事をしているようなケースは、もっとも好都合な方だ。コンピューターを駆使することに慣れていて、技術面で子供たちを助けることができるし、プリンターなども家にある場合だ。そして子供が理解できない教師からの教材や問題を説明できる親のいるケースだ。問題が大きいのは、そもそも学校の授業になかなかついていけない子供たちだ。個人的な援助がないと問題が理解できなかったり解けなかったりする生徒たちだ。教師からの励ましも必要とする子供たちだ。親が家にいなかったり、いても助けられなかったりするケースも問題だ。家にコンピューターもタブレットもなく、父親の携帯電話に教師からの問題が送られてくるような場合は、もっと大変だ。そしてワーストケースは、移民や難民の子供たちで、親も自分もドイツ語が十分にできないために、先生からの教材が理解できないケースだ。また、住んでいるアパートが 狭かったり、兄弟などが多かったりで、自分の机や落ち着いて静かに勉強する場所のない子供たちだ。学校という共同の場所で勉強ができない場合には、援助の得られる子供たちとそうではない子供たちとの格差は一方的に広がる。
子供たちは学校に行けないために、学習が遅れるだけではなく、他の生徒たちと一緒に学ぶという経験ができない。他の生徒から習ったり、互いに補い合ったりしながら友達を作るということもできない。現在は学校外のスポーツ活動に参加したり、図書館や音楽教室に通ったりすることもできない。お天気は毎日良いのだが、街中にたくさんある公園の子供の遊び場は(もうじき解放されることになるそうだが)まだ閉まっているから、外で遊ぶことも許されない。大多数の子供たちは庭のない家に住んでいるから、この気持ちよい春の気候でも、外では散歩ぐらいしかできず、家に閉じこもっていなくてはならない。狭い家に住んでいる子供たちは少ないくない。携帯電話で遊ぶだけが気晴らしになるという子供もいるだろうし、気分転換ができずに、酷く退屈で、エネルギーが余ってしまう子供も多いことだろう。精神衛生上、非常に悪い。不満が溜まって攻撃的になっても不思議ではない。
親たちにとっても、子供たちが毎日家にいて、学校の勉強をみてやったり、昼食を作ってやらなければなかったりするのは大変だ。子供たちが不機嫌で退屈しているのも困る。会社が閉鎖して、家からフルタイムの仕事を続けている親の中には、子供の世話で自分の仕事が思うように進まないケースが多い。ひとり親の場合は特に厳しい。ひとり親は女性が圧倒的に多い。朝、子供がまだ寝ているうちに仕事の一部を済ませ、夜、子供が寝てから仕事を続けるなどということは、何ヶ月も続けられない。ストレスが溜まって体も精神も弱ってしまうからだ。そして子供が小さくて聞き分けのない場合、また子供の数が多いほど、負担は大きい。子供が絶えず家にいるために、また親自身も絶えず家にいるために、何かと摩擦が起き、夫婦間で喧嘩になるケースも多いだろう。それが絶えられないようなレベルに達すると、暴力をふるうのは大抵の場合、男性だ。そして犠牲になるのは子供と女性だ。
子供たちを家に閉じ込めるとは、まるで中世的なやり方だと批判した人がいた。高学年の子供たちなら、説明すればコロナウイスの危険が分かるだろうが、年少になればなるほど、どうして以前にはできたことが現在はできないのか、不思議に感じている子供たちは多いはずだ。大勢の子供たちの発達と成長にとって大切な時間が過ぎていく。幼稚園を閉鎖せず、小学校の授業を続けているスウェーデンの方針の責任を取っているのは、同国の公衆衛生庁長官の流行病学者アンデラス・テグネル氏だ。隣国のフィンランドやノルウェーに比べて、スウェーデンでは人口数当たりのコロナ患者の死亡者数が多いなどと批判する人たちは決して少なくない。だが同氏は、スウェーデンでは、集団免疫が5月半ばごろに達成される可能性があると言っている。そうなれば、コロナウイルスによる新型肺炎を抑えることができるようになるのだという。
ケルン大学のクリスティアーネ・ウォーペン医療倫理学教授は、「コロナ危機は医療の問題だけではない。人の命を救うことは正しいが、他の人たちの人生を壊してはならない」とインタヴューで語っている。また、これは少し別の話だが、これから先にロックダウンが徐々に解除されていく場合に注意しなくてはならないことは、なぜある部分が解除されるのにある部分は解除されないかを、市民にはっきりと伝える必要があることだと言う。そうでないと、例えばどうしていつまでも自分に関わりのある分野の制限が続くのかと不満に思い、政治に疑いを抱き、ポピュリストの言い分にのってしまう人たちが出てくる恐れがあると、同氏は忠告している。コロナウイルスのために現在、本当にたくさんの難問が発生していると思う。
なお、社会生活のライフラインを支える医師や看護師、警察や消防署で働く人たちの子供のためには、3月に幼稚園や学校が閉まった時から、例外的にずっと特別な託児所や保育園が運営され、一部小学校の授業も維持されてきた。これまでは両方の親がそのようなシステムで働いている子供だけがその恩恵に預かっていたが、先日の連邦政府と州政府の話し合いで、今後は、両親の片方がそのような組織で働いている人、また一人親で働いている人たちの子供も、その恩恵を被ることに決まった。