ディーゼル車の走行禁止を巡って大騒動

ツェルディック 野尻紘子 / 2019年1月27日

この1月2日からバーデン・ヴュルテンベルク州の州都シュトゥットガルトの全市内で、排気ガスのカテゴリーがユーロ4以下のディーゼル車の走行禁止が始まった。ドイツでのディーゼル車走行禁止はハンブルグに続いて2番目だが、今年中には他の10以上の都市でも走行禁止が導入される見込みで、大きな社会問題となっている。ただここにきて、「走行禁止の理由であるディーゼル車の排出する酸化窒素が、多数の市民の早期死亡に直接繋がるという事実は証明されない」という医師たちの声が、だんだん大きくなってきている。

そもそも、ドイツではなぜディーゼル車が走行禁止になるのだろうか。それは欧州連合(EU)が2008年に、健康に害があるとされる酸化窒素の外気中に許容される含有量を、年間平均で1立方メートルあたり40ミクログラム(μg)と決定したことによる。40ミクログラムというのは、世界保健機関(WHO)の推薦に従ったものだ。そしてこの決定は、2010年以降EU各国で、超えてはいけない法的な限界値となった。その結果、例えばドイツでは、全国526カ所に測定器が設置され、外気中の酸化窒素が測定されている。

ただ、この40ミクログラムという数値の根拠は初めからあまりはっきりしない。なぜなら、酸化窒素の弊害に関する信頼できる研究がないので、WHOは単なる推定値を推薦したに過ぎないからだ。従って、例えば米国の環境保護庁EPAは、酸化窒素はそれほど危険ではないとし、許される外気での限界値を1970年代から今まで変更せずに100ミクログラムと設定している。環境意識の高いカリフォルニア州でも、設定値は57ミクログラムだ。

ドイツの場合、田舎町の外気中の酸化窒素の含有量は10ミクログラム程度だが、都市部ではそれよりずっと多く、40ミクログラムを超す値があちこちで測定されている。しかし、高い濃度の酸化窒素が測定されるのは交通量の多い場所に限られている。従って、都市内の酸化窒素の主な原因は、一般に交通だと見なされている。そしてその酸化窒素の約60%はディーゼル車が排出していると推測される。なぜなら、街中を走る排ガス量の多いバスやトラックは、ほとんどすべてがディーゼル車だし、ディーゼル車は燃費が良いので、ドイツでは乗用車に占める割合も高いからだ。また、ディーゼル車は極端な場合には、ガソリン車の10倍もの酸化窒素を排出するという。

WHOは2005年頃から、車の排出する酸化窒素が気管支疾患を引き起こし、それが死因になり得るかということについての研究を重ねてきた。そしてその結果として、短期間の酸化窒素との接触が死に至るということは、車の排出する酸化窒素と車が排出するそれ以外の悪質なガスとの影響が区別できないので、証明できないと発表している。しかしドイツ連邦環境庁の委託で、酸化窒素と死因の関係の研究を行なったミュンヘンにある環境医学ヘルムホルツセンターのアネッテ・ペータース教授は、酸化窒素の負担の少ない田舎と負担の多い都会の住民の気管支疾患者数を比較し、そこから、年間約6000人のドイツ人が酸化窒素のために早期死亡しているという数字を割り出した。また、欧州環境庁EEAも欧州41カ国で約7万8000人が酸化窒素のために早期に死亡しているとしている。

ドイツでディーゼル車の走行禁止が現在問題になっているのは、ドイツの環境保護団体であるDUH(Deutsche Umwelthilfe)が地方自治体を相手に、ディーゼル車の走行禁止に関する訴訟を繰り広げているからだ。年間平均で1立方メートルあたり40ミクログラム以上という都市の外気の酸化窒素含有量を、「健康に非常に悪い、市民の早期死亡につながる。原因であるディーゼル車の市内での走行禁止を求める」として、2016年にデュッセルドルフとシュトゥットガルトを相手に訴訟を起こしたのが初めだった。まず地裁から「ディーゼル車の市内の走行禁止を認める」という判決を勝ち取った。その後シュトゥットガルトのあるバーデン・ヴュルテンベルク州とデュッセルドルフの所在するノルトライン・ウェストファーレン州は上訴したが、ドイツ連邦行政裁判所も昨年、「都市などの地方自治体が、特定のディーゼル車に対して走行禁止を命ずることは許される」という判決を下した。ただし、この判決で裁判官は走行禁止で過酷な状態が発生することを避けるように注意を促し、釣り合いの取れた措置をとるように提案している。

この連邦行政裁判所の判決をもとに、DUHは次から次へと地方自治体を相手に訴訟を起こし、今までに少なくとも13の都市で勝訴している。そしてそのため、ディーゼル車の走行禁止が大きな社会問題に発展している。例えばシュトゥットガルトの場合、住民のディーゼル車7万2000台が走行禁止になる。規則を無視して街を走ると、80ユーロ(約1万円)の罰金を払わなくてはならない。地元で登録されている車には4月1日までの経過期間が設けられているが、それ以後は、例外許可が必要になる。乗用車が使えなくなることは、大変不便だし、所有物の没収にも相当する大問題だ。

最新のディーゼル車は排出する酸化窒素が少ないので、走行禁止の対象にはならない。そこで自動車メーカーは、古いディゼール車の持ち主に、新車購入のために大幅の補助金を用意するなど、買い替えを勧めている。しかし補助金が出ても新車は高価で、誰でもが買える訳ではない。しかも、まだ乗れる車を廃車にするのは、資源の無駄遣いであり、環境にも良くない。そして、ドイツからは既に沢山のディーゼルの中古車が東欧ばかりではなく、フランスやイタリアにも流れているという。なお、ディーゼル車の排出する酸化窒素を減らすには、最新の排ガス清浄器の取り付けという手段もあるのだが、メーカーはその取り付けを拒んでおり、まだドイツでは実現していない。

市民たちの生活や懐に多大な影響を与えることが明確になるにつれ、外気中の酸化窒素の含有量とディーゼル車の走行禁止の意味を問う専門分野の学者たちの声が高くなった。ドイツ東部にあるハレ・ヴィッテンベルク大学の医療微生物ウイルス学のアレクサンダー・ケクレ教授は、多量の酸化窒素が肺の粘膜を刺激することは認めるが、それは直接市民の早期死亡には繋がらないと発言している。「例えば喘息を病んでいる人の場合でも、空気中の酸化窒素の含有量が180ミクログラム以上ぐらいになって初めて、気管支の粘膜に生化学的影響として気管支の筋肉の軽い緊張が観察される。健康な人なら、その6倍の値にならないと、そのような反応は見られない。しかも筋肉の緊張は寒さとか自然の刺激でも起こり、通常一時的な現象なので、長期的な影響はない。酸化窒素は血液に入り込むこともないから、長期的に健康に害があるかどうかに関しては議論の余地がある」と日刊紙「ターゲスシュピーゲル」(2018年11月10日)に書いている。

ドイツ呼吸学学会の前会長だったディーター・ケーラー教授は、医学専門誌「エルツトブラット」で、WHOの設定値を上回る空気中の酸化窒素の含有量と病気が因果関係にあることを立証する調査結果は存在しないとし、気管支が敏感な人の場合でさえも、証明されていないと論じている。そして公共ラジオ放送の「ドイチュラント・フンク」の番組では、「WHOの推薦する40ミクログラムというのは、科学的に立証された値ではなく単なる目安の基準値に過ぎない。しかもこれは推薦値なのだが、それをEUは法的な拘束力のある限界値にしてしまった」と述べた。同教授はまた「毎日タバコを1箱吸うと、1日の酸化窒素吸引量は1〜2万ミクログラムになる。40ミクログラムが本当にそれほど危険なのなら、喫煙者はみな、短期間で死んでいるはずだ」とも話した。

シュトゥットガルトにある赤十字肺疾患専門病院のマルティン・ヘッツエル教授も、このほど放映された「ディーゼル災難」というドイツ公共第一テレビの番組の中で、「酸化窒素病などというものは存在しない。酸化窒素が原因でこの病院に来る患者はいない。酸化窒素が死亡に繋がると騒ぎ立てるのは、過剰反応だ」と語った。そして「法廷は悪い法律も守る。しかし外気中の酸化窒素の含有量40ミクログラムを許容される限界値とする法律は間違っている」と言い切った。

2019年1月23日、このディーゼル車の走行禁止と酸化窒素の問題が、遂にテレビのトップニュースになった。ケーラー教授とヘッツエル教授のまとめた、EUの限界値を批判する詳細な見解に、100人以上もの全国の気管支疾患の専門医たちが同意し、署名したことが明らかになったのだ。そしてその直後から、その問題に関連のある政治家たちが賛否両論の声をあげている。走行禁止の基礎になっている40ミクログラムの意味を、政治家も交えて考え直す時がきたようだ。

なお、ドイツでは例えば、1日8時間、週合計で40時間を超えないことという条件が付いているが、溶接などをする作業所での空気中の酸化窒素の含有量は1立方メートルあたり950ミクログラムまで許されている。スイスではそれが6000ミクログラムだという。

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