知らなかった日本の情報:コッティング=ウール議員の日本再訪報告書
昨年12月に日本を訪れたドイツ連邦議会緑の党所属コッティング=ウール議員が、この夏も日本を訪問した。最近、そのときの報告書ができたので送るという連絡を受けた。7月10日から18日にかけて行われた今回の日本訪問の報告書は、前回のものに比べると簡潔である。今回の報告書にも、ドイツにいるとなかなか入手できない日本の現状についての情報が満載されている。
同議員の今回の日本訪問には2つの目的があった。一つは、今年日本で開催される第18回世界社会学会議の提携企画として行われる事前会議「サステイナビリティと環境社会学」での発表と、もう一つは六ヶ所再処理工場訪問であった。コッティング=ウール議員は、現在の連邦議会会期中は独日議員連盟会長という新たな役割を得たこともあり、今回の訪日に際しては在東京ドイツ大使館による全面的支援を受けたという。この役職による訪日に対して、日本側からは岸信夫外務副大臣の歓迎を受けたことも述べられている。
報告書を読んで感じることは、とにかく彼女が精力的に動き回ったことである。到着の翌日(7月11日)には、初めて全く一人で東京の地下鉄に乗り、東京の地下鉄のシステムを理解すると、いかに利用価値が高いかを実感したと書いている。まず築地で福島原発事故にショックを受け、政治や社会の動きを批判的に見るようになった女性たちと話し合い、インターネットカフェで寝泊まりする「ネットカフェ難民」の若い女性の話を聞くかと思えば、夜にはドイツ大使館でのラインラント・プファルツ州経済大臣の歓迎パーティーに出席、といった具合である。
7月12日・13日:横浜で開催された「サステイナビリティと環境社会学」会議に参加
彼女は会議で「ドイツの原発からの段階的撤退への道」と題したスピーチを行った。この会議を振り返って、「福島の大惨事の総括は日本の社会と政治においていまだに行われていない。だから議論はいつもゼロからスタートする」と記している。この会議の提唱者であり、この会議において政府の福島への帰還奨励策を厳しく批判した舩橋晴俊法政大学教授は、8月15日にくも膜下出血で急逝、脱原発とエネルギー転換を求める日本の運動にとって、大きな打撃だとコッティング=ウール議員は嘆く。
7月14日:
午前3時に東京ゲーテ・インスティトゥートで始まったパブリックビューイングで、W杯の決勝戦ドイツ対アルゼンチンの試合を観戦後、在日ドイツ商工会議所での朝食会に参加。午後には、前回の訪問で知り合ったアイリーン・美緒子・スミスと日本とドイツの最新の動向について語り合う。
7月15日:エネルギー資源庁訪問
エネルギー資源庁放射性廃棄物対策室長から日本の状況について説明を受けたコッティング=ウール議員は、最終処理場選定について日本でもドイツの法律と同様の段階的選定を規定しているが、日本ではドイツと違って原子力発電事業者によって諸手続きが行われていると指摘する。電力会社が設立した原子力発電環境整備機構(NUMO)に事業を任せているという。原発についての世論に関する同議員の質問に対して、対策室長は「選挙の結果がすべてを示している。数週間前に行われた滋賀県知事選では原発反対派が勝利したが、東京都知事選と2013年の参議院選では原発反対派を押さえて、原発推進派が勝った」と答えたと記している。この訪問後、岸外務副大臣との昼食会を済ませ、夜に青森県の三沢に到着。
7月16日:日本原燃、あさこハウス、核燃サイクル阻止一万人原告団の事務所を訪問
コッティング=ウール議員は去年12月の日本訪問でNGO活動家たちから六ヶ所村の施設について多くの批判を聞き、どうしても訪問したいという希望を持ったという。核燃料のリサイクルを目的とする施設を持つ日本原燃のほかに、六ヶ所村はエネルギーの村として日本の石油消費量の約10日間に当たる石油備蓄基地、日本最大のウィンドファーム(1.5MWの発電装置が77基)、170MWの太陽光発電設備があるという説明を受けた後、同議員は実際に施設内を見て回った。「ウランがどこから来るのか」という彼女の質問への回答は、「日本原燃の仕事はウランの再処理であり、ウランがどこから来たかを気にすることではない」というもの。低レベル放射性廃棄物の埋設について、日本では30年間の監視ということだ。ドイツでは300年でも不十分だと言われている。「核廃棄物の再処理のための条件がすべて備わっているわけではないことを承知しつつ、日本は再処理しなければならない」という日本原燃の説明に対し、コッティング=ウール議員は経済的には全く採算が取れないと考える。使用済み燃料から取り出せるプルトニウムはごくわずか、このプルトニウムからモックス燃料を製造するためには使用済みではない自然ウランも必要だというのである。この自然ウラン購入費用のため、プルトニウムを取り出した後に残る使用済みウランを買い取るお金はない。そのため核廃棄物に加えて、再処理ができない膨大な使用済みウランが残されるというわけだ。日本では20年前まで核のゴミはフランスに送られていたが、それ以後、使用済み核燃料は原発近くに中間貯蔵されているという。六ヶ所村での再処理技術の50%はフランスに頼っているということである。「1000MWの発電量を持つ原子炉は年間25万世帯に電力を供給できる。この原子炉が1年間に出す核廃棄物は約20本のガラス固化体で、これは比較的少量だ」と説明し、原子力発電に確信を持つ日本原燃の説明に対し、コッティング=ウール議員は「この計算で日本原燃が忘れているのは、ガラス化できない大量のウランである。決してやって来ない再利用を待ち続け、いつか、どこかで廃棄されなければならない使用済みウランをどうするのか」と疑問を投げかける。
日本原燃を後にし、同議員が向かったのは大間原発建設反対の戦いを続ける小笠原さんの「あさこハウス」だ。母が原発建設予定地にある土地の売却を拒み、今も原発建設の敷地と鉄条網によって囲まれた土地に残されたログハウスだ。
その後、同議員は核燃料サイクル阻止一万人原告団の弁護士を務める浅石紘爾氏から、原告団の活動について紹介を受け、六ヶ所村の核燃料サイクル施設に対する裁判の現状と今後の展望についての情報を収集した。
コッティング=ウール議員は簡潔と言っているが、彼女の1週間の滞在報告には情報の「宝」が隠されている。一般の日本人にとってアクセスが困難だと思われる施設にも、ドイツ連邦議会の議員という役職で入っていけるのだろう。そのいわば「役得」が報告書として公表されることで、私たちもその恩恵に与れるのは幸運である。
関連サイト:
あさこハウスについての動画
Pingback: ウクライナ東部の戦闘で原発が危ない | みどりの1kWh