編集室からのお知らせ

編集室 / 2018年8月15日

2011年3月のフクシマの事故をきっかけに、このサイトは生まれた。私たちがサイトを正式にスタートさせたのは、2011年8月15日。技術さえあれば、人々の生活は幸せで豊かになるという技術至上主義は、フクシマによって打ち砕かれ、その衝撃は、第二の敗戦に匹敵するという気持ちからだった。フクシマの衝撃を受けて2011年6月に、早々と脱原発を決めたドイツの動きを、日本の人たちに伝えたいというのが私たちの思いだった。

それから丸7年。ドイツの脱原発の決意は揺らいでいない。2022年末までには最後の原発が停止され、脱原発が達成されることを、私たちは確信している。明日何が起きるか予測できない、不透明で不安定な時代のなかで、確実に目標に向かって何かが進んでいることを実感できるのは嬉しいことだ。段階的な脱原発が計画通り進むにつれ、 ドイツ社会の関心は、エネルギー転換という大プロジェクトの実現に移ってきている。

この7年の間に、いろいろな事情で仲間が加わり、去っていった。最後に残った「緑の魔女」は二人。掲載する記事の本数が減り、サイトの存在意義について悩むこともあった。けれどもやはり、脱原発を見届けるまで伴走し続けたいという気持ちから、少し形を変えて、このサイトを続けていくことにした。

「じゅん」こと永井潤子、「こちゃん」ことツェルディック・野尻紘子、そして新しく仲間に加わる池永記代美もジャーナリストで、いずれも実名で文章を書いてきた経験があることから、これからはこのサイトの記事も実名で書くことにした。本サイトの主題は今まで通り、脱原発やエネルギー転換だ。しかしそれらとは一見関係のないように見える、ドイツの政治や社会、生活についての記事がこれからもたびたび登場するだろう。それはそうしたテーマの中に、ドイツでなぜ脱原発やエネルギー転換が可能なのかを読み解く鍵がひそんでいると、私たちが思うからだ。

筆者一同

永井 潤子(ながい じゅんこ)

1934年3月、東京生まれ。1958年東京外国語大学、ドイツ学科国際関係コース卒業。1956年4月から1972年3月まで「ラジオ・タンパ(現ラジオ日経)」(東京)のプロデューサー。1972年5月から1999年3月まで、ドイツの公共国際放送「ドイチェ・ヴェレ」(当時の本社はケルン)日本語放送記者。2000年4月から2008年までNHK「ラジオ深夜便」、ワールドネットワークのベルリン・リポーター。『新首都ベルリンから―過去から学ぶドイツ』(東京・未来社)、その他を出版。2000年からベルリン在住。「みどりの1kWh – ドイツから風にのって」創設時からのメンバー。

私はもう満84歳、体力も“脳力“も落ちていますが、40年以上ドイツの政治を観察してきた者として、脱原発の実現を見届けたいという気持ちが強く働きます。「時代の証言者」になるまで、元気でいたいと願っています。

ツェルディック・野尻 紘子(ツェルディック のじり ひろこ )

高校時代に父の仕事の関係で渡独。アビトゥア(独大学入学資格)を取得後、ベルリン工科大学で建築の勉強を始めるが、父の転勤に伴い帰国。国際キリスト教大学で美術史を専攻、卒業後再渡独、ベルリンの国立美術館に勤務。一男、一女の誕生で退職。育児の傍ら文化出版局の雑誌「すてきなお母さん」にシリーズなどを執筆。

ベルリン自由大学で哲学博士号取得。日本経済新聞社の記者として執筆。退職後、「日経」や「AERA」、「婦人の友」などの雑誌に執筆。ドイツ滞在、合計約55年。2011年に「みどりの1kWh – ドイツから風にのって」を仲間らと立ち上げ、現在に至る。

ドイツが脱原発の方針を覆すとは思わないし、ドイツは再生可能電力の促進でも成功している。しかし今、全世界が直面している最大の難題は、進む地球温暖化だ。この問題に関して、ドイツにはしなくてはならない課題がたくさん残されている。ドイツがそれらの課題にどう挑戦していくか、これかも見守りたい。

池永 記代美(いけなが きよみ)

東西ドイツ統一直前の1990年8月から、ベルリン在住。日本では経済学を学び、その後、広告雑誌の編集部に勤務。ベルリンに移住してからは社会学を学び、現在はフリーのリサーチャー。月刊誌「ねっとわーく 京都」にベルリンからのレポートを10年間連載。

「空をこえてラララ星のかなた」という歌のメロディーが頭にこびりついている「鉄腕アトム」世代です。今から思うと恐ろしいことですが、単純に、“アトムの力”を信じていました。もうすぐ人生の半分を、ドイツで過ごしたことになります。

ドイツ生活が長くなるにつれ、ドイツ贔屓と思われがちですが、ドイツの良いところも、良くないところも、色眼鏡をかけず観察し、伝えていきたいと思います。

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