ドイツの原子炉さらに3基稼動停止、グンドレミンゲン村の様子
2011年3月の福島第一原発での過酷事故の直後、当時のドイツのメルケル政権は、段階的な脱原発を決定し、その行程表に従って当時17基あった原子炉の稼働停止を着々と進めてきた。昨年暮れには、北ドイツ、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州のブロックドルフ、ニーダーザクセン州のグローンデ、それに南ドイツ、バイエルン州のグンドレミンゲンの3基の原子炉が稼働を停止した。最も新しく、最後に残った3基(北ドイツの1基と南ドイツの2基)も、今年年末までに稼働を停止する予定で、それとともにドイツの原子力エネルギー利用の時代は終わりを告げることになる。今回は稼働停止した3基の一つ、グンドレミンゲン原発についてお伝えしたい。
昨年の大晦日、原子炉C機が稼働を停止した南ドイツのグンドレミンゲン原発は、そもそもドイツで最初に造られた商業用大規模原発で、A機は1966年12月に稼働を開始しており、一時はドイツ最大の原子力発電所だったという。しかし、A機(ネット発電力237MW)は1977年1月13日の夜に大きな事故を起こして廃炉に追い込まれた。この事故は、ドイツの原発で起きた最初で最後の大きな事故だという。厳しい寒さによる高圧送電線の事故をきっかけに、その後の対応ミスが重なって、原子炉内の緊急冷却装置内に大量の水が流れ込み、放射性物質を含む熱湯が溢れ出るという大事故となったのだが、それ以来ドイツではこれほどの大規模な事故は起こっていない。また、1984年3月に完成したB機(ネット発電力1288MW)は2017年の大晦日に、脱原発の行程表に従って稼働を停止している。そして1984年10月に稼働を開始したC機 (ネット発電力1288MW) が今回、37年5ヶ月5日後に、その活動を停止し、同原発の50年以上の歴史は幕を閉じることになった。C機はB機と同じように過酷事故を起こした福島の原発と同じ沸騰水型原子炉で、安全性に問題があったため、原発反対派はC機もB機のように早期稼動停止を要求してきたが、結局行程表通りの停止となった。
バイエルン州の州都、ミュンヘンの北西約110キロ、ドナウ川沿いのグンドレミンゲン村は、人口1300人ほどの小さな村だが、この原発は半世紀以上にわたって莫大な量の電力を州都ミュンヘンなど南ドイツ一帯に提供してきたわけで、関係者や地元の人たちは、その活動に終止符が打たれたことに悲喜こもごも、さまざまな反応を示している。実は私の知人の一人が、この原発の近くの町に住んでおり、この1、2年の間、折に触れて地元の新聞記事などを送ってくれたため、私自身もこの原発の活動停止には特別の感慨があった。
「稼働停止のプロセスは、技術的には特別なものではありません。定期点検の時に原子炉を止めるのと同じです。まず当日午後、12時間の間に発電出力を徐々に落としていきます。それからタービンを止めます。それと同時に発電機が系統から切り離されます。そのおよそ30分後に圧力容器の中に制御棒を入れて、核分裂連鎖反応を停止させるのです。外から見ると、冷却塔から蒸気が出なくなります」。このように稼働停止のプロセスを簡単に説明したのは、グンドレミンゲン原発の技術担当責任者ハイコ・リンゲル氏だ。実際にはもっと複雑だと思うが、こうしたプロセスが終わって最終的に停止されたのは、大晦日の20時過ぎだったという。
大晦日の15時には、稼働停止を歓迎する原発反対派の市民たちが、正門前に集まって早々と停止を祝ったが、その中には32年来、毎週日曜日の15時にグンドレミンゲン原発前で抗議デモを続け、原発の危険性を訴えてきた「反原発ヴォルフ(狼)」こと、トーマス・ヴォルフ氏の姿も見られた。チェルノブイリの事故の後、原発の危険性を実感したというヴォルフ氏は、稼働停止によって危険がなくなるわけではないとして、これからも原発に隣接して設けられている核のゴミの中間処理場の前で、仲間と一緒に毎月1度日曜日に抗議デモを続けるという。一方、原子力維持賛成派のグループは、人数は少ないながら、午前11時から稼働停止に反対するデモを行なった。賛成派は、気候温暖化防止のためには、二酸化炭素を出さない原子力エネルギーが必要で、脱原発の決定は間違いだったと主張する。
「最終的に稼働が停止された日は、私たちにとっては喜びの日です。自然保護同盟は、40年以上もグンドレミンゲン原発に反対してきたのですから」と語ったのは、「バイエルン自然保護同盟(BN)」と「ドイツ環境・自然保護同盟(BUND)」の名誉会長であるフーベルト・ヴァイガー氏だ。同氏は、何十年にもわたり原発反対運動に関わってきた多くの人たちに対し、「脱原発の決定は福島の事故がきっかけになりましたが、あなた方の幅広い反原発のデモがなければ、実現しませんでした。皆さんの息の長い抗議運動は報われました」と感謝の言葉を述べた。
BNの地元代表、アレキサンダー・オークケ氏は「ドイツの脱原発は、チェルノブイリやフクシマの破滅的な事故の後ようやく実現の段階になりました。しかし、これで満足して何もしないというのは、気候変動に直面している折、致命的な結果をもたらします。今後は我々市民の一人一人が節エネに努めるとともに再生可能エネルギーの増加に努力しなければなりません。特にバイエルン州での再生可能エネルギーの促進が必要です」と強調した。
小さなグンドレミンゲン村は、これまで原発からの税収入で経済的に潤ってきた。トビアス・ビューラー村長(59歳)は「原発からの税収入がこれまでどれだけあって、それがこれからどれだけ減るかは、村の秘密です」として、具体的な数字は明らかにしないが、村の道路が整備されたり、文化センターなど現代的な公共施設が建てられたりして、村民の福祉のために使われてきた。また豊かな税収入は浪費したわけではなく、次の世代のことを考慮して州都ミュンヘンにいくつもの集合住宅を購入するなど、不動産に投資してきたという。2014年以来村長を務めるビューラー氏は、ドイツでの原子力時代は終わったと認識しているので、脱原発反対のデモに参加したことなどはないそうだ。村長としては、今後村の職場確保に努力することが最大の課題になるという。グンドレミンゲン原発の最盛期には、1000人ほどが働いていたというが、この原発を運営する「グンドレミンゲン原発運営会社」によると、現在の従業員数は540人で、今年年末には定年退職などで100人ほど少なくなるという。しかし、今後は解体作業に人員が必要なため、去年も新たに訓練生が採用されたことも明らかにしている。100人ほどが働く木材会社が、近くのディリンゲンの町からグンドレミンゲン村に移転することがすでに決まっているが、ビューラー村長は、できたら今後もエネルギー関連の企業の誘致を願っている。
グンドレミンゲン村の紋章は1970年に新しいものに変わったが、それは村に残るローマ時代の遺跡の上に原子力のシンボルマークがアレンジされたものだ。この紋章の行方が気になるが、「グンドレミンゲン原発の活動停止後も、この紋章を変える気持ちはありません。原発は、村の歴史とは切っても切れないものですから」とビューラー村長。
村の住民の中には毎日見慣れていた原発の冷却塔(高さ160メートル)から蒸気が上がるのが見られなくなるのは残念だと思う人や、原発の写真を集めて「good bye forever」というカレンダーを作って名残を惜しむ村の教会の元牧師さんなどもいる。しかし、多くの人が望むのは、原子炉の解体作業が安全に行われることだ。また、原発に隣接して設けられている核のゴミの中間貯蔵施設も心配の種だ。原子炉が稼働を停止し、核分裂反応が止まったからといって、すぐに解体作業が始められるわけではない。使用済み燃料棒は取り出された後、冷却槽で放射能が弱まるのを待つが、それには5年ほどかかる。そして冷却層から出された使用済み燃料棒はキャスクに入れられ、中間貯蔵施設に搬入される。その後で初めて原子炉や関連施設の複雑な解体作業が始まるのだが、それには15年から20年、あるいはそれ以上かかる見込みだ。最終的に原発の敷地が、どうなるのか、遊園地を作るなど、様々な案があるが、まだ決まってはいない。
原発の敷地内に設けられた中間貯蔵施設は2006年に操業を開始しており、キャスクの上限は192個だが、すでに多くのキャスクで埋まっているという。この中間貯蔵施設の使用許可は2046年までとなっているが、この使用許可は延長される可能性があるというのが大方の見方だ。というのは、高レベルの放射性廃棄物の最終貯蔵所はドイツではまだ決まっていないからだ。2017年に制定された法律で、2031年までに全国の中から科学的に最も適した場所を最終貯蔵地として選ぶ、そして2050年までに最終貯蔵所を完成させるという目標は決まっているが、その目標通りに事が進むかどうか疑問視する声が多い。「グンドレミンゲンの中間貯蔵施設は2080年まで存続しなければならないだろう」と予想する核のゴミ専門家ミヒャエル・ザイラー氏のような人もいる。最終貯蔵地を見つける作業に予想以上に時間がかかる上、最終貯蔵所が完成してもドイツ全土のキャスク運び込みにもかなりの時間が掛かると見るからだ。最終貯蔵所に高レベル廃棄物が搬入されても、そこに100万年貯蔵しなくてはならないなど、想像を絶するほどの時間がかかる。これら全ての作業に掛かる費用も、計算できないほどの額に上るのではないだろうか。何れにしてもグンドレミンゲン村や近郊の人たちは、今後も長期間放射性物質と共存していかなければならないのは確かだ。
なお、大晦日にC機が稼働を停止したグンドレミンゲン原発の冷却塔から1月4日、蒸気が噴出して騒ぎになったというが、同原発のスポークスマンは「これは冷却塔の清掃作業のためで、原子炉は停止している」と保証して、人々を安心させたという。
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グンドレミンゲンの水蒸気が見える場所に暮らしています、確かに停止したようです。日本にいる従兄などは「僕は水蒸気が見える所へは行かない!」という意見ですが、グンドレミンゲン周辺のサイクリングロードはとてもよく整備され、林や畑が広がり、ドナウ河もすぐ近く、自然を満喫しながら走れます。水蒸気が出なくなると、原発のそばを走ってることをつい、忘れて走るようになるかもしれません。