安倍談話についてのドイツメディアの反応

永井 潤子 / 2015年8月30日

戦後70年の安倍談話に、戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話で使われた4つのキーワード、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という言葉が盛り込まれるかどうか、国際的に注目された。 8月14日に発表された安倍談話には確かに4つのキーワードの全てが盛り込まれたが、「痛切な反省」や「心からのおわび」は前の首相たちの談話からの引用で、「植民地支配」も19世紀の西欧諸国のアジアへの支配を批判的に述べる文脈で使われたに過ぎなかった。侵略という言葉に至っては「事変、侵略、戦争」と羅列しただけで、具体的な日本の責任について直接には触れなかった。

安倍談話は日本語と同時に英文でも発表された。今回の安倍談話は戦後50年の村山談話の2倍以上の長さがありながら、日本語版で主語として使われたのは、「我が国は」「日本は」「私たちは」といった言葉のみで、首相自身の責任を示す私という言葉はついに1度も使われなかった。これに対し、日本政府が公式に発表した英語版にはIという主語が2度使われているほか、my heartやmy feeling、 myself という言葉も散見される。外国の人の耳に心地よく響くような工夫がされているという印象を受けるが、それでもドイツのメディアの反応は厳しいものだった。

「新たな謝罪のない“心からの反省 “ 」「終止符を打ちたがっている安倍」「誤りはするが、過去の出来事は忘れたい安倍首相」などなど、こうした見出しからもドイツのメディアの批判的な反応がうかがえる。ドイツの報道週刊誌「デア・シュピーゲル」のオンライン版は第一報の見出し、「計り知れないほどの苦しみを与えたことを認めた日本の首相」を、のちに「適切な見出しではなかった」という説明付きで「直接の謝罪を避けた安倍首相」に訂正して、謝罪した。

ドイツの代表的な全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」は、8月15日、「謝罪、しかし、不信感は残る」という見出しの東京特派員、パトリック・ヴェルター記者の記事を掲載した。

 安倍首相は間接的な表現で、「日本は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものである」と述べはしたが、首相自身は、はっきり謝罪はしなかった。 安倍談話は西洋諸国の植民地政策を非難する歴史的解釈と日露戦争での日本の勝利が植民地化で苦しむアジアの諸国民に希望を与えた、という言葉で始まっている。こうした解釈は日本の国家主義者たちの主張に沿ったもので、外国では不信感を持って受け取られる。日本の戦争の過去を、アジア諸国への侵略とは認めず、西欧の植民地主義からアジアを防衛する為だったというのが、日本の国家主義者たちの主張である。安倍首相は植民地主義に対する一般的な批判は述べたが、韓国の植民地化に対する日本の具体的な責任には触れず、日本軍「従軍慰安婦」問題についてもはっきりと言及しなかった。

 このように書いたヴェルター記者は、「安倍談話には被害にあった中国や韓国その他の国々の不快感を和らげるようなキーワードがたくさん使われていたにもかかわらず、これらの言葉も彼らの気持ちを鎮めるにはいたらなかった」として中国や韓国の「謝罪の気持ちがこれまでの談話より薄められていた」とか「日本は自らの過去と、もっと真剣に取り組むべきだ」といった批判を伝えている。

ミュンヘンで発行されている全国紙「南ドイツ新聞」は「半分の謝罪」という見出しのクリストフ・ナイトハート記者の記事を載せた。この記事には「曖昧な談話で批判される安倍首相だが、それでもほんの少しだけ動いた」というサブタイトルがついている。ナイトハート記者は、韓国の朴大統領が、安倍談話で「従軍慰安婦」の問題が間接的にしか触れられなかったことに不満を表明し、「安倍談話には望むべきことがあまりにもたくさんある」と語ったことなどを紹介した。 同記者は1995年、日本の国会が戦後50年の村山談話を承認した時、若い国会議員だった安倍氏が採決を拒否した事実も指摘しているが、同時に「安倍首相は今回、間接的な言い方ながら中国や韓国との争いをこれ以上激化させないだけのことは談話に盛り込んだ」と若干評価している。

ナイトハート記者は、日本では公式に首相が戦争中の過去について謝罪しても、有力政治家がすぐそれを否定したり、修正したりすることがしばしばあると述べ、今回も終戦記念日に3人の閣僚と66人の国会議員が大挙して靖国神社を参拝したことなども伝えている。同記者は「安倍談話はまさに正確であるべきところで曖昧な表現に終始した」という東京のテンプル大学・アジア研究所のジェフ・クリングストン所長の批判なども紹介している。

「後味の悪い戦争認識」という見出しの記事で歴史修正主義に踏み込んでいるのは、ドイツの経済新聞「ハンデルスブラット」のマルティン・ケーリング記者だ。「第二次世界大戦終結の日は、通常は国としての姿勢を明らかにする日であるが、慎重な言葉でバランスをとった安倍談話の後のアジアでは、むしろホッとした感情が支配している。安倍談話が先任者の村山談話を引きつぐ意志を明らかにしたことにより、アジアの犠牲国との心配された外交的“過酷事故“が避けられたからである」と書き出している。

 東アジアでは戦争中の歴史は今なお内政上、外交政策上の危険な発火点となり得る。特に日本では、ドイツと違って政治的指導層の間に歴史についての合意は生まれていない。安倍首相を中心とする強力なグループは、彼らの目から見て“自虐的“ と映る歴史観や戦争中の残虐行為への謝罪を修正しようと試みている。安倍談話の文言と談話以前の首相の態度は、後味の悪さを残した。内外の解説者たちは、今回の談話が、安倍首相の本当の考えをどの程度反映しているのか、問い始めている。実際、安倍首相がこうした形の談話を発表したのは、そうせざるを得なかったからである。

安倍首相は、歴史修正主義者たちが嫌悪する概念のキーワードを使いはした。だが、村山元首相、小泉元首相がだいたい1300字ほどの短い談話で重要な点に集中したのに対し、安倍首相は3000字にものぼる長い談話の中で、過去の責任より日本が現在の世界平和にいかに貢献しているかに重点をおいた。それ以上に彼は先任者の談話を引用しただけで、自らの謝罪は避けた。これによって安部首相の真の姿が見え隠れする。

 ドイツの公共国際放送「ドイチェ・ヴェレ」は安倍部談話や日本の歴史認識について何回も詳しく報道したが、特に印象に残ったのは、アジア担当、アレクサンダー・フロイト記者の「時は過ぎ去る。だが罪は消え去らない」という解説だった。

重要なキーワードの入った安倍談話は、一見日本の過去の罪を認めたように見えるが、この第一印象は間違っている。この談話は近隣諸国が長年待ち望んだ和解への道を示す偉大な談話ではなかった。安倍首相は多くの微妙な問題について、巧妙に表現を選びながら、曖昧な態度に終始した。不明確な表現からは信頼は生まれない。

安倍首相は、日本が多くの人たちに与えた苦悩について言及したが、同時に日本の犠牲者についても多くの言葉を費やし、日本が唯一の原爆の犠牲者であることも強調した。未来を目指すという安倍首相がそこから引き出した結論は、日本がアジアで経済的、軍事的に強力な国となり、アメリカとともに中国に対抗する上で重要な役割を果たすようにするということのようだが、彼の政策は日本人の多くの支持を得ていない。

安倍部首相はアジアの近隣諸国との和解の大きなチャンスを逃してしまったが、現在のアジアの雰囲気も和解には程遠い。ナショナリズムは日本だけでなく、中国や韓国でも強まっているからである。だが、そんな中でも日本が和解と信頼醸成への第一歩を踏み出さなければならない。なぜなら日本は歴史的な責任を負っているからである。今こそ口先だけの謝罪ではなく、行為で示さなければならない。時は過ぎ去るが、罪は消え去らない。

なお、ベルリンで発行されている全国新聞「ディー・ヴェルト」は、「北朝鮮が今年の8月15日をもって標準時を30分遅らせ、平壌時間とする」と伝えていた。同新聞によると、この標準時間はすでに1908年に朝鮮半島に導入されていたが、1910年朝鮮を併合した日本が、東京の標準時に変えたという。「日本と同じ標準時であることに、もはや耐えられない。戦後70年の記念日をもって日本に奪われた標準時を取り戻すことにした」と北朝鮮当局。南の韓国は日本と同じ標準時のままなので、南北朝鮮の板門店での会談に早速影響が出たということである。

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