福島の子どもたちへのベルリンの支援活動

永井 潤子 / 2018年5月27日

チェリストのアンドレイ・イオニーツァ氏

ハインリヒ・ハイネの詩、「麗しき5月」の名にたがわず、ベルリンは今素晴らしい季節を迎えている。白や濃淡の紫のライラック、紅白のマロニエの花は咲き終わったものの、街中の広大な公園、ティーアガルテンには色とりどりのシャクナゲが咲き誇り、白いハンカチの木も見頃を迎えている。そのティーアガルテンにほど近い聖マタイ教会に先日の夜、美しいチェロの音が響いた。東北大震災直後から被災地の子どもへの支援活動を続けているNPO「希望」(Freundeskreis KIBOU)のチャリティーコンサートでのことで、今回はこのグループの活動を紹介する。

5月17日のコンサートで情熱的な演奏を披露したのは、ルーマニア出身の24歳のアンドレイ・イオニーツァさん、2015年のチャイコフスキー国際音楽コンクール・チェロ部門で優勝した若きチェリストである。アンドレイさんがこの「希望」のコンサートで初めて演奏したのは20歳の時、この時はいかにも初々しい感じだった。チャイコフスキーコンクールの優勝後は世界的なオーケストラとの共演やソロリサイタルのチャンスも増えるなど経験を積んだため、3回目の今回は、堂々たる演奏ぶりだった。同じくチャイコフスキーピアノ伴奏部門での優勝者であり、以前からの伴奏者である園田奈緒子さんとの息もピッタリ合っていた。彼は去年東京の浜離宮ホールでリサイタルを開いたので、日本のクラシック音楽ファンの方もご存知かもしれない。ベルリン芸術大学で学ぶために19歳の時にブカレストからベルリンにやってきたこの天才チェリストの成長ぶりを、「希望」の主催者である声楽家の柏木博子さんは、ずっと見守り、支援してきた。

柏木博子さんは、東京芸術大学・声楽科の大学院卒業直後の1969年5月、医師である夫の茂生氏に付き添って初めてドイツのボンに来たのだが、その後1970年からデュッセルドルフのラインオペラを皮切りに、ドイツ各地のオペラ劇場でメゾソプラノ歌手として20年以上にわたって大活躍した(初めは子育てをしながら、苦労して)。レパートリーは30以上と幅広く、お得意のロッシーニの「セビリアの理髪師」のロジーナ役は200回以上も各地のオペラ劇場で歌ったという。オペラ歌手としての生活については、柏木博子著『私のオペラ人生、ドイツオペラ界のまんなかで』(朝日出版社)の中に詳しく書かれているが、今日の主題はそのことではない。

柏木博子さんは2006年茂生氏の転職に伴って、ヴッパータールからドイツ統一後の首都ベルリンに移ってきた。その柏木さんの目に映ったのは、「ベルリンには世界中からクラシック音楽の若い才能ある人たちが大勢集まってきているが、彼ら、彼女たちに発表の場が少ない」という事実だった。そこで手始めに日本人の若い優秀な音楽家たちに公の場での演奏機会を与えてあげたいと思い、2011年の4月から4回のコンサートを企画した。東北大震災が起こったのは、その1回目のコンサートが開かれる直前の3月11日だった。この4回のコンサートは有料のものだったが、柏木さんは音楽家たちへのギャラを除く売上の全てにポケットマネーを添えた額を、ベルリン独日協会を通じて被災者支援金として送ったという。

その後津波で孤児になった子どもたちのことが気になっていたところ、仙台に津波孤児のためにSOS-Kinderdorfをモデルにした「子どもの村」の建設計画があることを知った。一人でその支援活動を始めようとしていたところ、ドイツ人や日本人の友人たちの協力が得られ、2012年7月にNPO「希望」が設立された。以来昨年のクリスマスまでに21回の無料のコンサートを開いて募金を募り、「子どもの村東北」プロジェクトを支援してきた。「希望」としての第1回のコンサートには、フルートの松田恵美子さんとコーミシェ・オーパー・オーケストラのソロ・コントラバス奏者の青江宏明さん、ベルリンフィルのヴィオラ奏者、マルティン・フォン・デア・ナーマーさんが出演し、昨年3月の20回目の記念コンサートの時には、ベルリンフィルの若手メンバー6人が協力してくれた。音楽家は全員無料出演である。

柏木博子さんが掲げる「希望」の目的は、東北大震災で被害を受けた子どもたちの支援とベルリン在住の各国の若い音楽家たちの支援の二つである。この二つを目標に開かれたこれまでの21回のコンサートでは、毎回優秀な若い音楽家たちが、レベルの高い、新鮮な演奏でクラシックファンを楽しませてくれた。柏木博子さんはオペラ歌手として、音楽家としての経験を生かして、特徴のある独自のコンサートを企画していきたいという夢も持っている。「子供の村東北」への支援は、建物の建設が終わり、仙台市の助成金も出るようになったので、前回で終え、今後は福島の子どもたちのための「Fukushima Kids Support Project」を支援することになった。その最初のコンサートを飾ったのが、アンドレイ・イオニーツァさんのチェロコンサートだったのだ。

コンサートを開くには、無料で出演してくれる音楽家との交渉や演奏曲目の決定から、当日配るドイツ語のプログラムや挨拶文の作成、さらにはPR、宣伝に至るまで様々な仕事をこなさなければならない。そういう仕事を陰で支えているのは、父親同様医師としてスイスで活躍する一人娘の真紀さんと夫の茂生氏だ。ドイツで生まれ育った真紀さんは、ドイツ語のプログラム作成には欠かせないし、コンサート当日には必ずスイスから飛んできて手伝ってくれるという。茂生氏の交友関係の広さも、特に発足当時は貴重だった。最近では支援者の層も広がり、協力してくれる友人、知人も増えたが、時には「困難に直面して、大変だ」と思うこともあるという。それにも関わらず、こうした活動を続けるその原動力は何なのだろうか。柏木さんからは次のような答えが帰ってきた。「私はこれまで大勢の人から恩恵を被って来ました。ドイツのオペラ界で歌うことができたのも、多くの人の助けがあったからです。これまでの私の人生では、教えを受けた音楽家の先輩やオペラの関係者をはじめ、多くの人から恩恵を受けるばかりでしたが、今度は私がその恩を返す立場、give and takeのgiveの立場になったと思っています。中学高校とミッションスクールに通ったことも影響しているかもしれません。オペラ歌手時代もユニセフのガラコンサートで歌うことが多かったので、その延長線でもあります」。

最近の柏木さんは、被災地の子どもたちと直接関わる活動を支援したいという気持ちが強くなっていたといい、その気持ちに合った新しい支援先を紹介したのは、ベルリンに住むフリージャーナリストの福本まさお氏だった。福本氏は、これまでも福島の子供たちの支援グループとコンタクトがあり、これからの支援先「Fukushima Kids Support Project」は、福島の子どもたちが放射能を気にせず、自然の中でのびのびと遊ぶための保養計画が中心で、毎年約200人の子供がこのプロジェクトによって自然を楽しんでいるという。

 

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