どこが違う? 日本とドイツ
7月21日(日)は日本では参議院の選挙が行われる。ベルリンにいる私たち魔女はすでに在外投票を大使館で済ませた。個人的な理由で公示の翌日に投票しなければならなかったため、選挙についての勉強不足が否めない不安な投票であった。投票した直後、日本のいろんな地域の女性地方議員と一緒にベルリンを見て回る機会が与えられ、「目からうろこ」の体験をすることができた。ここでその一部始終を書くことはできないが、いくつか印象に残ったことを書き留めておこう。
今回の旅行では、ドイツにおける女性と政治、エネルギー転換、政治教育がテーマとなっていた。緑の党の女性政策担当者、「エネルギーの安全供給に関する倫理委員会」の委員、配電網を市民の手に取り戻そうという市民運動の指導者、公共建物のエネルギー削減を実践するベルリン市と民間が出資する会社、ベルリン州政府政務次官、ベルリン州政治教育センター、バルニム郡エネルギー地域事務局、女性起業支援センターなど、5日間のプログラムはかなりハードなスケジュールとなった。
以下、いくつかの重要なポイントを復習しておきたい。これは議員の方々だけではなく、このサイトの読者にも伝えておきたいからである(もちろん自分自身の記憶のためにも)。
1.日本の「原子力の平和利用」vsドイツの「反核」
はっきりとしておきたいことは、ドイツの脱原発が福島の原発事故が直接のきっかけではなく、もっと長い歴史を背景にしていることである。第二次世界大戦後の冷戦の時代、東西に分断されていたドイツは東西陣営の前線となる可能性があった。アメリカが中距離核ミサイルを西ドイツに配備しようとしたことに対して、「ノーモア・ヒロシマ」の声が反核の大きなうねりとなった。最終的には東西の緊張緩和により、核兵器は撤去されたが、この反核運動をになった市民たちから緑の党が生まれたのである。ドイツでは、反核=反原発という図式が根底にあることを改めて思い知らされた。「原発=原子力の平和利用」という標語のもとに、2回も原爆を投下されたにもかかわらず原発を推進してきた日本と、「ヨーロッパの安全を脅かす核兵器配備への反対」から反原発の運動が拡大していったドイツとの間には根本的な違いがある。
2.「原子力は経済成長に必要か」vs「原子力は未来に責任を負えるか」
「原子力発電は倫理という側面から見て将来を担えるエネルギー源かどうか、これが『エネルギーの安全供給に関する倫理委員会』での決定打とも言える議論だった」と同委員会の元委員であったベルリン自由大学のミランダ・シュラーズ教授は語った。この委員会には原発推進者もいたが、どのような未来を子どもたちに残すのか、人間の倫理に反しないのかという点での討議の結果、同委員会は連邦政府に対して脱原発のエネルギー転換を答申したという。これを聞いて、国として脱原発を決定したことの重さがずっしりと伝わってきた。「脱原発を決めないことには、再生可能エネルギーについての話もできない」というシュラーズ教授の言葉が印象的だった。国が方針として打ち出したからこそ、遅々とした歩みであろうと、様々な困難や障害が待ち受けていようとも脱原発という国家の方針に沿って、社会全般が努力を続けているというのがドイツの現状である。だからこそ、ドイツの脱原発が失敗であったかのように早々と決めつける日本のマスメディアの報道を批判的に見ることが必要であろう。
3.日本の「追悼」vsドイツの「警告」
ベルリンではどこを歩いてもナチの犯罪をあばく記念碑やシンボルに行きあたる。例えばブランデンブルグ門横の「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」のような大きなものから、約10センチ四方の真鍮でできた「つまずきの石」のような小さなものまであり、多様な「記憶の文化」を見ることができる。この「つまずきの石」はナチによって殺害された人たちを忘れないために、彼らの住んでいた家の前の歩道に埋め込まれている。これらの記念碑は記憶にとどまらず、一歩進んで「警告」の意味合いを持つようになっている。日本では戦争犠牲者への追悼は行われているが、そこに「警告」の発想はあるだろうか。「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」の地下にある情報センター入口には、「それは起こった。だからもう一度起こる可能性がある」と記されている。だからこそナチの犯罪の犠牲者を悼むだけではなく、このような過ちが起きる可能性を阻止するために、「警告の碑」が至る所に設置されているのだ。
もっともっと多くのことが頭に残っているが、同じ敗戦国である日本とドイツの間の相違点として鮮明になったことを私なりに以上の3点に要約してみた。日本とドイツは違った国であり、それぞれが独立した主権国家として国の方針を選んでいる。しかし、その方針を選ぶのは選挙権を持つ国民である。かつてヒトラーの台頭を許したのは当時の国民だったことを伝えることが、ドイツが現代史と取組む根底にあることがよく理解できたのも今回の収穫であった。「あの時の選挙で日本の方針が変わってしまった」と将来に禍根を残すことのないように、選挙権を持つ一人としてその責任の重さを改めて認識した。
本当にそう思います。「警告」も忘れてはいけないですね。
今回の選挙の行方が本当に気がかりです。
少ない投票率で国の将来が決まってしまう事だけは避けたいと思うのですが。
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Sachieさま
ありがとうございます。私の家の前に埋め込まれた「つまずきの石」は、アウシュヴィッツがどこか遠いところで起きたのではなく、身近に起きたことを思い起こさせてくれます。過去と未来をつなぐ現在に生きている私たちは、次の世代に何を残すのか、投票を通じて意思表示をする権利を持っています。今回の選挙の結果が気になりますね。
鋭い指摘に、大いに共感いたします。
過去の記事ではありません。
今の日本に最も必要で、欠けているものです。
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