ベルリン市議会に進出した若者の政党、「海賊党」
オレンジ色のTシャツに同色のつなぎのズボンをはいた2メートルを超える大男が、ベルリン市議会の建物に入ろうとして警備員にストップされた。10月27日朝のことで、この日は9月18日の選挙後初のベルリン市議会が開かれることになっていた。ごみ収集の清掃員のような格好をしたこの大男、実は今回の選挙で初めて市議会進出を果たした「海賊党」の議員、39歳のゲアヴァルト・クラウス=ブルンナー氏だった。オレンジ色は「海賊党」のシンボル色。
問題になったのは彼が「海賊党」の旗を持っていたのと頭にPLOのアラファト元議長のような布をかぶっていたため。押し問答の末、旗の持ち込みは禁じられ、頭の布はとらなくてもいいことになった。「旗を持って行っていいかどうか、よく知らなかった。だけど最初の日ぐらい大目に見てくれると思ったんだ」と新議員はぼやく。
“コンピュータおたく”の若者を中心とする泡沫政党と考えられていた「海賊党」が、ドイツの首都ベルリン市(州に相当する)議会選挙で議席獲得に必要な5%をラクラクと超えて8.9 %の票を獲得、15人の議員を議会に送り込んだことは、ドイツの政界にセンセーションを巻き起こした。ドイツの州レベルの議会で「海賊党」が議席を獲得したのはこれが初めてだったし、得票率の高さも驚きに値した。ちなみに、連邦段階でメルケル首相の連立パートナーである自由民主党はこの選挙で惨敗、得票率がわずか1.8%で、5%条項に阻まれてベルリン市議会から姿を消した。「海賊党」の名前は船を襲う海賊にちなんだものではなく、本や資料あるいは動画などを許可なくコピーしたものを海賊版というところから名づけられたという。「海賊党」の本家本元はスエーデンだが、ドイツの「海賊党」がベルリンで結成されたのは2006年9月のことで、2009年の連邦議会選挙では2%の票を獲得したに過ぎなかった。ベルリン市の党員は選挙時点で1200人あまり、今回の予想外の大成功に一番驚いたのは、当の候補者たちだった。海賊党のベルリン市議会議員の候補者リストに載っていた15人全員が当選してしまっただけでなく、そのうちの3人は区議会議員の候補者リストにも重複して載っていたから、区議会議員の方に欠員が出来るという結果にもなった。15人のほとんどが、これからの5年間議員生活を送ることになるとは思ってもみなかったという。
ベルリンでの躍進の後、マスメディアには「海賊党」に関する報道が溢れ、テレビのトークショーにも新議員の若者が登場するようになったが、そういうものを見ても私にはなかなか全体像が掴めなかった。主張に矛盾があったり、人によって言うことが違ったりするからだが、最近ではそういうところが画一性や強制を嫌うこの党の特色の一つなのだと思えてきた。もともと無断コピーの合法化要求から産まれたこの政党の中心的な主張は、インターネットなど新しい情報メディアを自由に駆使して「透明な(ガラス張りの)政治」を目指し、誰もが「社会への参加」のチャンスを得られるようにすることで、「海賊党」の活動を通じて政治をこれまでとは違った現代的なものに変えて行くのだという。具体的には党大会や議員団の会議などはすべてオープンにし、その模様はネットを通じて同時中継され、さらにその情報を得た人の意見がフィードバックシステムによって“即”議論に反映させられるという。実際に「海賊党」の党員が集まるところにはノートブックとコードが不可欠で、最初の市議会の様子もネットで、議員たちの“つぶやき”とともに公開された。
オープンな情報を通じての直接民主主義の強化という基本路線は受け入れられるにしても、同党の選挙綱領にはあぜんとさせられることも多い。選挙綱領には例えば、近距離公共交通料金の無料化が要求として掲げられ、「ただ乗りは罰せられるべきではない」などと書かれている。短期目標としてドイツ全国での最低賃金制の導入が要求されているが、中期目標として、ドイツに暮らす市民全員に無条件で、つまり働いている人にも働いていない人にも基本的な収入が支払われるべきだと書かれている。その財源をどうするかという点についてはまったく触れられていない。ベルリン市議会議員のトップ候補だった(当選後、議員団代表に選ばれた)アンドレアス・バウム氏は33歳のエレクトロニクス専門家だが、テレビ番組の中で「ベルリン市がどれだけ莫大な赤字を抱えているか知っているのか」と聞かれて、まったく答えられなかった。そのことは「海賊党」がいかに現実離れした政党かを人々に印象づけたが、本人はあまり深刻には受け取っていないようで、「視聴者の中にはそんな数字を正確に知らない人も多く、自分たちと同じような若者が政治を目指していると受け取った人もいるに違いない」などと新聞とのインタビューで答えていた。
いずれにしても党員には、コンピュータの専門家やIT関係の職業についている人、コンピュータとともに育ってきた若い世代、なかでも男性が圧倒的に多い。女性の党員が極めて少ないというのもこの党の特徴だ。ベルリンの15人の新議員のうち、女性はたった一人、19歳の大学生、ズザンネ・グラーフ氏(初の市議会では最年少議員として最高齢議員を補佐して議員の名前を読み上げたり、議長選挙の投票用紙を配ったりする役割を果たした)。「海賊党は“ポスト・ジェンダー”の党である(つまり性別問題を克服した現代的な党である)」と名乗っており、党員が男性であるか、女性であるかをまったく問題にしない。その結果、女性の党員が何人いるかという統計もないという。女性問題を討議しようとした女性党員が、男性たちから時代錯誤だと激しく攻撃され、いたたまれずにやめて行ったとも聞く。同党で唯一の女性市会議員であるグラーフ氏は、しかし、女性の割当制(クオータ制)には反対の意向を明らかにしている。
私たちの関心事であるエネルギー政策について選挙綱領には、段階的な脱原発を決めたドイツ連邦議会の2011年6月30日の決定を支持し、代替エネルギー利用を促進して、出来るだけ早い時期の脱原発実現に努力すると書かれている。連邦議会が承認したドイツ政府案は2022年までにすべての原発から撤退することをうたっているが、「海賊党」ベルリン支部は毎年1基ずつ原子炉を廃炉にして遅くとも2020までに脱原発を実現させることを目指すという。もっとも、脱原発についての力の入れ方は,各支部で違うようで、12月初めに南西部のオッフェンバッハで開かれる全国党大会では脱原発・エネルギー政策が重要テーマの一つとして討議され、2013年の連邦議会選挙に臨む方針が決定されるという。
先のベルリン市議会選挙で「海賊党」に一票を投じた理由を聞いた公共放送などのアンケート調査によると、「既成政党に対する不信感、抗議の意志から投票した」という人が39%、「新風を期待して」というのが27%、「オープンで正直、腐敗していないから」という答えが12%だった。しかし、「党綱領と自分の考えが一致したから」と答えた人は11%に過ぎなかった。「海賊党」に票が流れたのは緑の党や社会民主党からのものが多く、また同党は初めて参政権を行使した人の票やこれまで棄権してきた層の票も集めたという。その「海賊党」はベルリンでの成功の後入党希望者が殺到し、全国の党員数は選挙当時の1万2000人から1カ月あまりの間に1万6000人以上にふくれあがったという。週刊誌「シュテルン(Stern)」などのアンケート調査によると、連邦議会選挙で「海賊党」に投票するという人は、直後に8%だったのが、その後10%以上に増えたという。この人気が2年後の連邦議会選挙まで続くかどうか、党活動の今後の方向とともに注目される。
もう一度話を選挙後初のベルリン市議会に戻そう。この日「海賊党」の議員たちは割り当てられた席に不満だった。これまで自由民主党の議員が座っていた最右翼の席を割り当てられたのだが、彼らの考えでは、緑の党と左翼党の間ぐらいが適当ということらしい。「海賊党」の新議員たちはこの初議会で議会運営規則の変更を求めてふたつの提案をした。小会派にも他の会派と同党の権利を認めるよう求めたのと「海賊党」からも副議長を選出させたいと願い出たのだが、ふたつとも議員の3分の2の賛成を得られなかった。ヴォーヴェライト市長はそんな新議員たちの動きをおおいに面白がっていたというから、少なくとも市議会に新風を吹き込んだことだけは確かなようだ。
なお、クラウス= ブルンナー議員が頭に被っている布が、その後論議を呼んだ。ドイツユダヤ人評議会の元会長が「あのパレスティナの布の背後には反ユダヤ主義の思想が隠されている」と批判したためだが、電気工である同議員は「この布は1995年にハイファの電気工事に出かけた際、宿泊先の家族からもらったもので、イスラエルとパレスティナの紛争が解決するまでは誰がなんと言おうと被り続ける」と息まいていた。さらにこの批判の後クラウス=ブルンナー議員は、ユダヤ人のシンボル、ダヴィデの星も付けて登院したと伝えられる。誤解のないように付け加えておくが、労働者の“制服”と称してつなぎのズボンをはいているのは、彼一人だけ、「海賊党」の新議員の服装はまちまちで、党の理論家と見なされている27歳のIT専門家、クリストファー・ラウアー氏などは上質の3つ揃えの背広姿で初登院した。
クラウス=ブルンナー氏の写真は以下の記事でもご覧になれます。
「ターゲスシュピーゲル (Der Tagesspiegel」
海賊党、何か面白そうだな〜と思いつつ、その実態がいまいちつかめて
いませんでした。
この記事、とても参考になりました。
若者たちの政党を面白がっていたとは、ヴォーヴェライト市長は
なかなか懐が深いですね。
ドイツは、若者が政治に対して率直に意思表示をしているのが
好もしいと思います。
日本も、原発事故以降、デモに参加する若者が増えて来ているようですが、
この動きが続いて行くといいなあと思います。