ドイツ、「国家水素戦略」を決定
ドイツ政府はこのほど、半年以上前から予定されていた「国家水素戦略」を決定、発表した。水素は、消費の際に地球温暖化の原因となる二酸化炭素を排出せず、用途の幅が広く、運搬と貯蔵も比較的容易で、将来のエネルギー源として世界中の工業国から大きな期待が寄せられている。地球上に無限に存在し、枯渇の心配がないことも魅力的だ。国家水素戦略は、コロナ危機による景気の落ち込みの回復を目指すドイツ政府の景気対策・経済振興策の一環として6月初頭に発表され、70億ユーロ(約8400億円)という巨大な規模のものだ。
水素は、直接水素としてそのまま水素自動車の燃料として使うことができる。大量のエネルギーを消費する製鉄やセメント生産の際に石炭や天然ガスの代替にもなる。燃料電池に使えば電気自動車や電車を走らせたり、住宅の電力や暖房を供給したりすることができる。また、炭素と結合させて天然ガスの主成分であるメタンにすることも可能だし、二酸化炭素と合成して液体燃料を作ると、ガソリン、軽油、ジェット燃料などの化石燃料の代替になる。
水素は地球上に無限に存在する元素だが、いつも単体ではなく他の物質と結合して存在する。例えば、酸素と結合しているのが水だし、炭素と結合しているのがメタンだ 。従って、水素を利用するためには、水素を他の物質から分離して取り出さなければならない。現在、世界中の化学業界などで一般に使われている水素は、天然ガスや石油、石炭などの化石燃料を高温下で水蒸気と反応させるスティーム・リフォーミング(SMR、Steam Reforming)という技術を使って取り出したものだ。
化石燃料のリフォーミングの際には二酸化炭素が発生する。発生した二酸化炭素をそのまま空気中に逃してしまうというやり方で作られる水素は、最近「グレーの水素」と呼ばれるようになった。天然ガスを使って水素1トンを生産する際に発生する二酸化炭素の量は約10トンだという。この水素を使うと、地球温暖化を促進してしまう。そのため、二酸化炭素の放出を防ぐ方法が色々考えられている。
リフォーミング中に、発生する二酸化炭素を取り出して、それをどこかに貯蔵するというやり方で作られる水素は、「ブルーの水素」と呼ばれる。このように二酸化炭素を分離、回収して貯蔵する技術はCCS(Carbon Capture and Storage)という。環境への影響がやや少ないという意味でブルーという言葉が使われているのだが、取り出した二酸化炭素をどこに貯蔵するかが問題だ。現在は主に、石油や天然ガスなどを採掘した後の海底や地底の空間に埋めているが、これには場所的な限界がある。また、果たして二酸化炭素が永遠にそこに留まっているかどうかということにも疑問が残っている。さらに、地震で地割れなどが起きて二酸化炭素が再度地上に漏れてくる可能性もあるのではないかと心配される。そのため、この技術はドイツでは疑問視されており、過去に実験が中止された経緯がある。
水を電気分解すると水素と酸素が得られることは、科学者の間で100年以上も前から知られている。現在注目を集めているのは、この分解に使う電力を太陽光や風力で発電した再生可能電力に絞ると、水から水素を分離する際に二酸化炭素が一切発生しないという事実だ。こうして作られる水素は「緑の水素」と呼ばれる。環境に悪影響を一切与えないエネルギーとして脚光を浴び、現在大きく期待されているのがこの水素だ。 巨大な需要のある水素を多量に生産するだけの自然エネルギーをどうやって、どこで生産するかが最大の課題となっている。
この他、「トルコ石色の水素」というものもある。これはメタンを熱分解して得る水素のことで、分解の際に同時に発生するのはガス状の二酸化炭素ではなく、固形の炭素だ。熱分解を行う高熱炉のエネルギー源に再生可能電力を使い、固形炭素を建材などとして固形のままに維持できれば、地球に与える二酸化炭素の負担の少ない水素の作り方と言える。
ドイツで水素が非常に大切な将来のエネルギー資源と見なされる理由は、地球温暖化を防ぐために、二酸化炭素の排出量を欧州連合の取り決めに従い2030年までに1990年比でマイナス40%に、あるいはそれ以下に下げ、2050年までに生活や生産の際に欧州で発生する二酸化炭素をプラス・マイナス・ゼロにするという目標を達成するためだ。
発電の際に発生する二酸化炭素に関しては、再生可能電力の促進と、この夏休み前にも連邦議会と連邦参議院で決定される予定の、2038年までの石炭火力発電からの撤退で、ある程度までの削減の目処が立っている。また、二酸化炭素を大量に排出する鉄鋼、セメント、および化学業界などの工場で化石燃料の替わりに緑の水素が使用できると、大きな二酸化炭素の削減が可能になる。さらに、交通・運輸分野や建物の暖房などでも水素を使用することで化石燃料が回避できると、二酸化炭素削減の効果は大きい。
ドイツ政府は、今までに、水を電気分解して水素を得るための国内の35のパイロット的な電気分解装置プロジェクトに資金援助してきたが、これらを商業ベースに乗せることはできなかった。最大の原因は電気料金が高く、コストが掛かり過ぎたことにあった。そこで、今回の政府の水素戦略では、再生可能電力促進のために電気料金に上乗せされている賦課金を、水の電気分解に使う場合に限り、免除することが決まった。また、この戦略には、2030年までに合計で5ギガワット、2040年までには10ギガワットの 電気分解装置建設のための資金援助も含まれている。必要な再生可能電力は主に、北海沿岸の国々とも協力して、北海の洋上風力発電パークから得られるものを使い、2040年までに800テラワット時、2050年にはそれ以上の緑の水素を得ることが目標だという。ただし、ドイツの総合エネルギー需要は現在すでに3500テラワット時なので、この水素エネルギーだけでは需要を満たすことができないのは一目瞭然だ。
ドイツ政府は、根本的には緑の水素だけが持続可能だと考えている。そこで、欧州からあまり遠くはないが、強い太陽が燦々と照るアフリカなどで発電される再生可能電力を使って緑の水素を生産し、それをドイツに輸入するという構想もある。事実、そのような例の第一号とも言える、モロッコに3億ユーロ(約360億円)を掛けて 容量100メガワットの電気分解装置を建設するという協定が、今回の水素戦略決定の直後にモロッコ政府との間に結ばれている。しかし、ドイツの水素の需要は非常に大きいので、国家水素戦略では、まずは当面の地球温暖化を避けるためにも、二酸化炭素を直接空気中に排出しないことが第一だとして、ブルーの水素の導入も認めることにした。CCSで海底などに埋めた二酸化炭素は、後日、植林や新しく開発される技術を使って削除できるという理由づけだ。
ただ、ドイツではCCSが社会的にタブー視されているので、ブルーの水素を国内で生産する予定はないという。ということは、ブルーの水素を大量に輸入する必要があるわけで、今回の戦略でも水素の需要の80%を輸入に依存するということが書かれている。国内での緑の水素の生産は、どんなに頑張っても20%程度にしか達しないのだ。
シュルツェ連邦環境相は、緑の水素だけを輸入するという方針を貫こうとしたが、連立相手のキリスト教民主同盟やその姉妹党であるキリスト教社会同盟、さらには、自分の属する社会民主党の党内からの反対者の前に折れたと伝えられる。ドイツは、リフォーミングで発生する多量の二酸化炭素の責任を、結果的には他国になすりつけてしまうことになる。これは日本の方針とも同じだ。このように工業大国が水素への関心を高めているため、これから先10年以内には、国際規模で水素市場が活発化すると見込まれる。ドイツは今回の水素戦略で、そのための基礎を固めたようだ。
ドイツの「国家水素戦略」を知って、何とも言えない気持ちになった。私には、CCSが地球の温暖化対策として最高だとは考えにくい。政治家は、目先のことだけを念頭におき、将来に関しては目をつむっているようにも見受けられる。 コロナ危機に際して、私たちは今までは当たり前だと思っていたことを断念することを学んだ。今は、これまで通りの経済成長を追求するのではなく、新しく、地球の将来を考慮した経済について考える時が来ているように思う。