スーパーの魚売り場での嫌な思い
近所のスーパーの魚売り場で順番を待っていると、前のお客さんと売り子さんの会話が聞こえてきた。「このお魚、あの危ない所でとれたものじゃないわよね?」「危ない?ああ……もちろん当店では、汚染地域でとれる魚は置いていませんよ」……なんともいやーな気持ちがするのだった。福島第1原発で溜まった汚染水が大量に海へ流れ出ていることを東電が認めたというニュースは、当然ドイツにも伝わっている。私は実はこの後もあと2回、福島に絡んで複雑な思いをした。
ある日偶然、しばらく見かけなかったギリシア人の仕事仲間にばったり会った。私の顔を見た彼の一言目は、「家族は大丈夫か?」だった。突如のことで何のことを言っているのかよく分からないが、一瞬おいて、ああそうかと分かる。50歳を過ぎたくらいの彼は、ドイツに住みながらギリシアの国営テレビのレポーターを務めていた。それがちょうど福島の事故が起きたころに、ギリシアが国家破綻寸前だったため、急に給料が振り込まれなくなり、「カタストローフェ(惨事)!カタストローフェ!」と頭を抱え込んでいた。それなのに私を見ると、「大変なことになったな。家族は無事か?日本の国民がかわいそうで仕方ないよ」と言う。私が「まあでも、私の家族は家を失ったわけでもないし、逃げなきゃいけなかったわけでもないんだから……あなたの方こそ、急に収入がなくなって困っているんじゃないの?」と言うと、「確かに金も職もないのは本当に困るけど、僕の健康に別状はないんだから」と、真顔で私と他の日本人の心配をしてくれるのだった。
そしてその後、これまたしばらく会わなかったある女性に会うと、彼女の一言目も「ほんとうにひどいことになったわね。気の毒に!」だった。何のことを言っているのかは、今度はさすがにすぐ分かった。それで、冒頭で記したスーパーの魚売り場での経験を語ると、「起こったことを少しでも自分のせいだと思ったり、自分を小さくしたりしたらだめよ、あなた」と言う。これは私にとって意味不明であった。だから「それはどういうこと?」と聞いてみた。するとこう言う。「私の祖母はユダヤ人でナチス時代に強制終了所へ運ばれて、そこで死んだでしょ。それを言うとね、大抵の人は“引いちゃう”のよ。私に距離を置くようになる。多分無意識にね。私に対して何て言ったら良いか分からないからよ。でもそれは私のせいじゃない。あなたの場合もそれと一緒よ」。う〜ん、分かったような、分からないような……。彼女は完全に犠牲者、私は日本人だから、どちらかというと加害者側にいるのではないかと思うのだが、彼女は私も犠牲者だと思ってくれているらしい。
8月28日の南ドイツ新聞には、東京特派員であるクリストファー•ナイトハート氏による解説が掲載されていた。見出しは「責任感なし」。この解説では、放射能で汚染された水が太平洋に流れ込んでいるのにも関わらず、「東電には危機感がないことを原子力規制委員長の田中俊一氏が批判しているが、それ(東電に危機感がないこと)には誰も驚かない、東電は事故が起きる前にさえも多くのルールを破り、報告書を改ざんしてきており、それは事故後も変わっていないとする。もし国が事故収束に向けて介入してもこれまでの態度はあまり変わらないだろう、安倍首相は原発再稼働を目指し、原発技術を海外へ売りこんでさえいる」と指摘する。
そして、原発汚染水貯蔵タンク付近の放射線測定値が、東電が1週間前に発表したものの18倍(毎時1800ミリシーベルト)の高さだったことが判明した後の9月2日、同紙は「制御というフィクション」という見出しの記事を掲載した。そして、「事故収束と福島第1原発の廃炉についてのコンセプトは、どんどんサイエンスフィクションのような感じがしてきた」、「安倍首相率いる政府は、国の助けが入れば、東電は(福島の)廃墟を制御できるようになるというフィクションにしがみついている」と書き、「東電は溶けた炉心を米国のスリーマイル島原発事故の際のように処理すると言っているものの、その炉心がどのような状態にあるのかさえ分かっていない、そして福島第1原発周辺地区での除染のやり方も不十分である」と伝えている。
同紙はさらに9月3日、第2面を大きく使い、「日本の役所は事故のあった福島原発を制御できていると断言するが、それは願望でしかない」と批判。実際には、原子炉の中で何が起こっているかさえも分からず、冷却タンクの漏れがどのくらい危険なのか、どうやって汚染水を止めることができるのか、結局は海へ流すことになるのかなど、多くの疑問に答えが出されることなく、(疑問は)どんどん増えて行くと指摘する。この記事で興味深いのは、東電に今までも協力を申し入れていたドイツ人の原子力専門家が、「あの大量の水をどうするつもりなのかについて、いかに情報が少ないかは信じがたい」と東電を批判し、もう一人のドイツ人専門家は、近いうちに福島原発を訪れる予定にしていたのを、東電による汚染水への対応を見て怖くなり、キャンセルしたことが書かれていることだ。
冒頭の魚売り場の話に戻ると、前のお客さんと売り子さんの会話を聞いて、私は嫌な感じを覚えたと書いたが、それは「ああ、でも海ってつながっているからなあ……日本の沖合でとらなくても、魚が汚染されてないという保証はないよなあ」と、なんだか申し訳なくなったからだ。この変な罪悪感が、きっと嫌だったのだと思う。