首都ベルリンに初の女性市長誕生

永井 潤子 / 2022年1月2日

ドイツの首都ベルリンは、市でありながら、ハンブルクやブレーメンと同じように州と同等の扱いを受け、ドイツ連邦共和国を構成する16州の一つである。そのベルリンで昨年12月21日、ドイツ連邦共和国の設立以来、初めての女性市長が誕生した。

ベルリン初の女性市長に選ばれたギファイ氏。市庁舎執務室のデスクにて。©️Senatskanzlei/Sven Darmer

州首相と同格のベルリン市長に選ばれたのは、社会民主党(SPD)の筆頭候補として9月26日に行われたベルリン市議会選挙の選挙戦を戦ったフランツィスカ・ギファイさん(43歳)である。彼女は、ポーランドとの国境沿いにある旧東ドイツのフランクフルト・アン・デア・オーダー近郊の小さな町ブリーゼンで生まれ、育っているので、東部ドイツ出身の初めてのベルリン市長ということにもなる。実はベルリンには第二次世界大戦後の混乱期に、同じくSPDに属した女性、ルイーゼ・シュレーダー氏が1947年から1948年まで短期間臨時に市長を務めたことがあるが、ギファイ氏は、1949年に成立したドイツ連邦共和国で、初めて選挙によって選ばれた女性のベルリン市長なのだ。

1978年5月3日、経理職の母親と自動車整備のマイスターの父親との間に生まれたギファイ氏は、1997年の冬学期からベルリン•フンボルト大学で教師を目指して英語とフランス語を専攻するが、声帯の病気で大きな声が出せなくなり、教師になる夢を断念する。その後、ベルリンにある行政と司法を専門とする単科大学に移り、2001年、行政学の学士となる。2003年から2005年までは、同単科大学の修士課程でヨーロッパの行政法を学び、その関連でブリュッセルの欧州連合(EU)のベルリン代表部などで働き、ヨーロッパでの経験を積んだ。2005年から2010年までは、ベルリン自由大学のオットー・ズール研究所で政治学を学び、博士論文を書くが、この論文の盗用問題が後に大きな波乱を巻き起こす。2007年にSPDの党員になり、翌2008年獣医のカールステン・ギファイ氏と結婚、12歳の息子がいる。

現在ドイツにはギファイ氏も含めて3人の女性州首相がいるが、全てSPDに所属している。選挙翌日、SPD党本部で取材に応じるギファイ氏。

フランツィスカ•ギファイ氏は、いつも朗らかで、率直、精力的で、人を引き付ける魅力があると言われている。政治家としては、小さな問題でも見つけるとすぐ、その実際的な解決を目指して努力する人だとも伝えられる。2015年から2018年まで彼女は、ベルリンの中でもアラブ系など移民の背景を持つ人が多く住む、特に問題の多いノイケルン地区の区長を務めた。その間、イスラム系の女生徒で泳げない子が多いのを見たギファイ氏は、彼女たちだけのための水泳コースを設け、泳げるようにしたという。イスラム系の女生徒で泳げない子が多かったのは、イスラム教徒の親が男子も参加する水泳の授業に水着の女の子を参加させなかったのが理由だったが、実際的な方法で解決したという。こうした外国人のドイツ社会への統合問題のほか、荒れていた学校に秩序を取り戻すなど多くの実績を上げたことが評価され、2018年3月、第4次メルケル政権(キリスト教民主・社会同盟/CDU・CSUとSPDの大連立政権)の家庭・高齢者・女性・青年相に抜擢された。連邦家庭相としては、幼稚園の質の向上を目指す“良い幼稚園法”を提案したり、“介護の集中アクション”などを実施したりし、介護施設で働く人の専門教育の場を2023年までに10%増やすことなども実現させた。また、ベルリン州が国際女性デーの3月8日を公式の祝日にした際、そのイニシアティブを強力に支援したとも伝えられる。

しかし、2010年に書いた博士論文「 ヨーロッパの市民への道、市民が参加する社会への欧州委員会の政策」の盗用が10年近く経った後に問題視され、そのため2021年5月に連邦家庭相を辞任した。2回にわたる論文審査委員会で一旦は、博士号の維持が認められたが、再度の長引く審査に、本人は博士号を辞退すると発表したが、結局27カ所に盗用があったとされて、博士号を剥奪された。本人自身は、「意識的に盗用したわけではない。博士号があるかないかは、自分の政治家としての活動と関係ない」と見ていたが、社会的な圧力は高まるばかりで、辞任に追い込まれたのだ。常識的に考えると、政治家としては致命的な失敗で、政治生命の終わりを意味しかねないところだった。しかし、既に9月のベルリンの市議会選挙でのSPDの筆頭候補に指名されていた同氏は、ひるむことなく野心的な目標に向かって努力した。また、ベルリン市民の多くも、ベルリン市が抱える多くの問題を解決する人として、彼女に希望を託したようである。彼女が市長に選出された翌日、12月22日のベルリンの新聞のほとんどは、「やり遂げた! 」といった見出しで、彼女の当選を祝福している。

当初ベルリンでは緑の党の人気が高く、SPDの勝利は望み薄とみられていたが、連邦段階でのオーラフ・ショルツ氏(現連邦首相)の人気の高まりに助けられたこともあって、連邦議会選挙と同じ9月26日に行われたベルリン市議会の選挙で、SPD は21.4%を獲得し、第1党となった。ギファイ氏は当初新連邦政権と同じく、緑の党と自由民主党(FDP)とのいわゆる信号連立を望んだが、結局うまくいかず、2016年以来続いてきた緑の党と左翼党との3党連立交渉を続け、150ページにわたる連立協定をまとめた。12月21日の朝、3党の代表がこの連立協定に調印した後、ベルリン市議会での市長選出選挙が行われたのだ。

市長選出選挙で、ギファイ氏は、実際に投票した139人の議員のうち84人の支持を得た。連立を組むSPD、緑の党、左翼党の議員は、この日89人が投票に参加していたから、連立3党の陣営からも彼女を支持しなかった議員が5人いたことになる。全体としては、反対票が52票、2票が棄権、1票が無効という結果だった。ギファイ氏が市長に選ばれた後、市長と連立3党による市の政権の“閣僚”の宣誓式が行われたが、この政権は女性閣僚が7人、男性閣僚が4人という女性優勢の政権であることも注目を集めた。前任のミヒャエル・ミュラー市長(SPD)のもとでも女性閣僚の方が多かったが、女性6人対男性5人で、それほど目立たなかった。また、新しい閣僚は40代が5人、50代が4人、60代初めが2人という若い内閣でもある。新政権の中に無所属の閣僚が1人いる。経済・エネルギー・企業担当のシュテファン・シュヴァルツ氏 (56歳) だ。彼自身同族企業の経営者だ。ベルリンの経済関係者が新政権を好意的に見ているのも、彼が経済担当になったことと関係しているのかも知れない。

圧倒的に女性の方が多いベルリン市の新内閣。©️Senatskanzlei/Sven Darmer

ベルリンの新政権は、特に住宅政策に力を入れることを明らかにしている。年間、少なくとも2万戸の住宅を建て、住宅難解消と家賃の値上り防止に尽力する事が連立協定で強調されている。選挙の行なわれた9月26日、ベルリンでは同時に「利益を追求する不動産会社の住宅を没収するかどうか」という住民投票が行われた。この住民投票をめぐっては、連立3党の間で意見の相違がある。投票結果は賛成票の方が多かったが、左翼党はこの住民投票を支持し、 緑の党内では意見が分かれ、SPDのギファイ市長は反対の意思表明をしている。このため3党は連立協定で新政権樹立後100日間の間にこの問題に関する専門委員会を設け、専門委員会がその後解決をめぐる提案を行う事が決められている。意地悪い見方をするメディアの中には、3ヶ月ほどで、この3党連立は崩壊するだろうという見方をするものが少数ながらあるようだが、それは主として住宅政策を巡る3党間の意見の相違を問題にしているようだ。しかし、ベルリンのオールタナティブな全国新聞「ディ・ターゲスツァイトゥング (die taz) 」は「ギファイ新市長は連邦首相になる能力をもつ政治家だ」などという見出しの記事を書いて、ベルリンの新政権に期待している。

公共交通網の拡充や市民サービスの改善など、その他の様々な約束を実現できるかどうかも、市民の信頼をつなぎとめる鍵になるだろう。ベルリンに住む一市民として、私も女性の多いベルリン市の政治家たちの成功を祈りたい。

 

 

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