私の初夢:敗戦70周年に「平和憲法を祝う楽しいイベント」

永井 潤子 / 2015年1月4日

かつて壁のあった「壁公園」沿いの「光の境界線」

2014年11月のベルリンの壁崩壊25周年の記念行事は、壁崩壊の歴史を振り返るだけではなく、世界に向けてポジティブなメッセージを伝える明るく、楽しいものだった。ベルリンの壁崩壊は、世界史上唯一の平和裡に実現した革命だと評価されている。ベルリンの喜びあふれる雰囲気は、この日をベルリンで体験しようと世界各地からやってきた人々をも幸せな気分に巻き込んだ。感動した私は、日本からも世界の人々に希望を与えるポジティブな発信ができないかと夢見た。

年末、ドイツの2014年の「今年の言葉」に選ばれたのは「光の境界線(Lichtgrenze)」というもの。2014年11月9日の日曜日は東西両ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊してから25周年の記念すべき日だったが、この日を前にした金曜日、7日の夕方、かつてベルリンの壁があったところに約8000個の街灯のような明かりが灯された。これが「光の境界線」である。高さ2.5メートルのカーボン樹脂製の棒に取り付けられた直径60センチの大きな白い風船が約15キロメートルにわたって設置されたこの光のインスタレーションは、当時ベルリンを28年間にわたって東西に分断していた壁をまざまざと再現したが、その幻想的で美しい風景は人々を楽しませた。8000個の風船は、それぞれの棒の中に埋め込まれた高性能の電池を使い、LEDによって発光する仕組みになっていた。この「光の境界線」に沿って、「100の壁の歴史」という野外展示が行われ、壁を巡るドラマチックな人間ドラマや壁崩壊の経緯などが展示された。世界各地からの観光客を含む多くの人が壁に沿って歩く催しに参加した。

夜空に浮かび上がる「光の境界線」

夜空に浮かび上がる「光の境界線」

ベルリンの壁崩壊は、国際政治を含めたさまざまな要因が重なって実現したが、旧東ドイツ市民の自由を求めるデモや西側への脱出という独裁体制に反対する積極的な行動がなければ実現しなかった。だが、ベルリン州主催の壁の崩壊25周年の記念プロジェクトは、ドイツ人の喜びや誇りを示すだけでなく、同時に東西ヨーロッパを隔てていた鉄のカーテンの消滅を祝う行事でなければならず、「自由と平和共存の実現を近隣諸国の人たちとともに祝うお祝い」という点に配慮された。

記念行事のハイライトは、9日夜の「光の境界線」の消滅を告げるフィナーレだった。8000個の風船の一つ一つにその光を消して、夜空に飛ばす役割を担当するパートナーが選ばれた。パートナーにはベルリンの壁崩壊に貢献したゴルバチョフ元ソ連大統領や東ベルリン市民のほか、ベルリンに住む外国人の子供たち、それに風船につけるメッセージをプロジェクト担当者に送ってきた人たち、8000人が選ばれた。風船に付けられたメッセージには、壁の崩壊をめぐる個人的な思いや平和への願いがさまざまな表現で記されていた。「不安が壁を作り、勇気が壁を壊す」、「壁を築くより橋をかける方がいいという諺がある」というものや「西側に逃亡した私のおばあさんは、壁の崩壊後初めて長年会うことができなかった東の家族と再会することができた。同じ経験をしたすべての人々とともに壁の崩壊を心から喜ぶ」という女子高生のメッセージもあった。

ベルリン市長がまずドイツ統一の象徴となったブランデンブルク門前の風船の光を消すと、風船は夜空にまいあがり、他の風船もメッセージとともに次々に夜空に消えた。ブランデンブルク門前に設けられた舞台では、バレンボイム指揮のオーケストラによってヨーロッパの統合を象徴する曲、ベートーベンの「第9」の最終楽章が演奏され、シラーの作詞による「歓喜の歌」が人々を感動させた。

Lichtgrenze Dokumentation

「光の境界線」沿いの広場で壁のドキュメンタリー上映

この日の朝、壁記念センターで行われた中央記念式典でのメルケル首相の挨拶も印象に残った。メルケル首相は「11月9日という日は喜びの日ばかりではなく、同時に壁を超えて西側への逃亡を試みて犠牲になった人々や1938年のナチによるユダヤ人迫害の犠牲者たちを追悼する日でもある」と述べたが、特に次のような一節が私の心に響いた。「東ドイツ市民の勇気によってベルリンの壁が崩壊した事実が世界に伝えるメッセージは、どんなことでも良い方向に変えられるということである。現在世界の多くの場所に存在するさまざまな壁、独裁という壁、宗教の壁、イデオロギーの壁、敵意という壁もいつまでもそのまま存続するわけではない。変えられないものはなく、壁崩壊は、夢が叶うということを私たちに示した」。メルケル首相は「ヨーロッパ統合は、大きな幸せであり、大きな贈り物であった」と高く評価した後、今後も自由と人権擁護に努力するよう人々に呼びかけた。

朝日新聞バッシング最中の日本に一時帰国してベルリンに戻ったばかりの私は、このメルケル首相の短いけれど楽観的な言葉に少し勇気付けられた。絶望的な状況にある人間は時に楽観的な言葉を必要とする。

2014年新酒「憲法と人権」

ドイツは日本同様2015年に敗戦70年の節目の年を迎えるが、新しい年はまたドイツ統一から25周年という記念すべき年でもある。ドイツ統一の日である10月3日を中心にまた、さまざまな未来志向のプロジェクトが計画されると思うが、日本からも世界の人々に希望を与えるようなイベントができないものだろうか。国がダメなら市民の手で。日本、韓国、中国の若者多数を呼んで「アジアの平和をテーマにしたシンポジウム」を開くとか、国会議事堂前で「外国のロック歌手も招いて平和憲法を祝う大掛かりな楽しいイベント」などというのはどうだろうか。第2次世界大戦で内外に多くの犠牲者を出した日本人が戦争で唯一学んだことは、平和と近隣諸国との友好関係の重要性であったはずであり、それを象徴するのが、私たちが70年間守り続けてきた平和憲法ではなかったか。

 

One Response to 私の初夢:敗戦70周年に「平和憲法を祝う楽しいイベント」

  1. 永井清彦 says:

    愛読しています。
    『70年問題」の前哨戦で日本の良識派は『朝日」の自過失で惨敗。
    予断は許されませんが本戦でも勝ち目はなさそう、ドイツを見ては天を仰ぐことになるのだろう 、と覚悟しています。
    最晩年をそんな気分で迎えねばならぬことを残念に思っています。