日本の「脱原発決定」をドイツのメディアはどう伝えたか

永井 潤子 / 2012年9月23日

野田政権は、9月14日、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す新しいエネルギー政策「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。福島第1原発事故の後「脱原発」の世論が高まったのを受けて、これまでの原発政策を大きく転換させたものだ。しかし、「40年で廃炉の基準を厳格に守る」「原発の新増設はしない」とする一方で、「原子力規制委員会が安全を確認したもののみ再稼働させる」として、再稼働を認める方針も明記した。また、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの発電量を30年までに3倍にするとしながら、具体的な行程表は示されないなど、不十分で矛盾した点も見られる。それにもかかわらず世界第3位の原発大国、日本が脱原発宣言を行なったことは、国際社会に強い印象を与えたようだ。ドイツのメルケル首相は9月17日にベルリンで行なった内外記者との会見で「日本の脱原発の決定を歓迎する」と述べ、「再生可能なエネルギーの導入やエネルギーの効果的な利用、送電網建設などの問題で我々の経験を交換し、この分野で日本との協力を一層強化していく」考えを明らかにした。以下、日本政府の脱原発決定について9月15日のドイツの新聞論調をお伝えする。

「原子力時代の終わり」という見出しの記事を載せたのは、ベルリンの日刊新聞「ターゲスシュピーゲル」だ。「核エネルギーは、割にあわない。従って核エネルギーには、もはや大きな未来はない」。こう書きはじめたダグマー・デーマー記者(女性)は、「ドイツ、スイス、ベルギー、台湾などに続いて、いまや日本も原発からの撤退を宣言した。この宣言が次の総選挙後も生き延びることができれば、ふたつの経済大国、産業の発達した日独が、オルタナティブな再生可能エネルギーへの未来を目指して歩み始めたことになる。2009年に政権の座を追われた自由民主党がたとえ次の選挙で勝利を収め、この宣言を取り消したとしても、いったん解き放たれた精神は、元には戻らない」と述べて、この夏、市民の反原発のデモが東京に渦巻いたことを指摘する。同記者は、長年原発政策を推進してきた自由民主党が次の総選挙で、その原発推進政策のために決定的な敗北を喫することもあり得ないことではないとも予測する。

デーマー記者は、たまたま同じ日にフランスのオランド大統領が「ドイツとの国境に近いフェッセンハイム原発を2016年までに廃炉にする」と発表したことに触れ、原発大国フランスでも原発は割の合わないものになっているとして「次に静かに原発から撤退する国がフランスでないとは言い切れないのではないか」とまで書いている。

フランス・アルザス地方にあるフェッセンハイム原発は南西ドイツの“環境首都”フライブルクから30キロも離れていないところにある老朽原発で、長年ドイツの反原発派が廃炉を要求してきた。原発推進派のサルコジ前大統領に代わった社会党のオランド新大統領が、公約通り廃炉を決定したことが歓迎されている。

ドイツの新聞の多くが日本の野田政権の脱原発宣言とフランスの大統領のフェッセンハイム原発の廃炉決定とを並べて書いているが、ミュンヘンで発行されている全国新聞「南ドイツ新聞」もそのひとつ。同紙は1面に載せた「日本は原発から撤退する」という見出しの記事のなかでまず、日本の脱原発宣言とフランスの廃炉決定について、それぞれの内容を説明している。

その後11ページ目に「脱原発決定による選挙戦」という見出しの大きな記事を掲載し、この夏稼働している原発は2基だけだったのに、心配された電力不足は起こらなかったこと、政府が行なったアンケート調査の結果、意見を寄せた人の90%が脱原発を要求し、しかも80%の人が直ちに原発を廃止するよう求めたことなどをあげ、野田首相は心ならずも脱原発を求める国民の意志や党内の脱原発派の圧力に屈したのだと書いている。民主党の支持率は下がり、野田首相も不人気という現状では「野田政権にとって総選挙で有権者の支持を取り戻す唯一のチャンスは脱原発を宣言することだったのだ」と分析する。

原発ゼロを目指しながら、原発ゼロに向けた過程では原発を「重要電源」と位置づけたり、使用済み核燃料を再利用する核燃料政策を継続する方向を示したりしているため、脱原発派は政府の宣言を疑いの眼で見ていること、推進派の経団連の強い反発、さらにはプルトニウムを核兵器に転用することを望むタカ派の反応など双方の反響もこの記事は詳しく記している。この記事には大きな写真も載っているが、それはベルリンのストリート・アーティストが作成した芸術作品の写真で、黄色く塗られた板の画面に可愛らしい女の子と放射能防護服の男、ふぐのようなお魚一匹が描かれた絵で、画面にSushi from Fukushima(フクシマからの鮨)と英語で書かれているのには苦笑。

この記事を書いたのは東京特派員のクリストフ・ナイトハート記者だが、同記者はさらに「日本人の意見」というタイトルの解説でこう論評している。「野田首相は脱原発を望んではいない。野田首相が国民の圧力に屈して脱原発を宣言したのは、突然民主主義への忠誠を告白したのではなく、政治的に生き延びようとするひとつの試みに過ぎない。言わばこの宣言で総選挙戦の幕が切って落とされたことになるが、日本の政治家は公約にあまり縛られない。野田首相も原発推進派の産業界も原発事故に対する国民の怒りが静まるのをしばらく待てばいいと考えている。国民の怒りが静まった時には脱原発宣言を取り消せばいい、それまでしばらくの辛抱だと考えている節がある。だがそうだとしたら、それは見込み違いに終わるだろう。日本人は意見形成に時間がかかるが、いったん意見が確立すると、なかなかその意見を変えようとしない。その良い例が日本国憲法の戦争放棄を記した平和条項に関する意見である。歴代政府は何度も憲法改正をしようとしてきたが、国民の多くは聞く耳を持たなかった。日本人は第2次世界大戦から教訓を汲み取ったのだ。脱原発の国民的意志も、これと同じかも知れない」。

良くも悪くも大きく取り上げた「南ドイツ新聞」に比べ、フランクフルトで発行されている保守的な全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」(FAZ)の扱いは地味だった。「日本で脱原発が決定される」というタイトルの7ページ目の小さい記事では、事故後1年半経って発表された脱原発宣言について淡々と紹介し、世界第3の原発大国日本は、事故以前は電力需要に占める原発の割合を30%から50%に引き上げる計画だったため、2022年までにすべての原発をなくすドイツより、脱原発は日本にとってより大きな変革を意味すると指摘している。

FAZの短い解説の要旨は次の通りだ。「日本の現政権と将来の政権がこの脱原発宣言の実現を真剣に考えていると仮定したとしても、ここでは多くの点が不明である。というのも日本政府の宣言にはプラグマチックな要素が含まれているからである。例えば、一定の距離を置いて何度も、宣言通りの計画が維持できるかできないか、そのときの状況に応じて検討すると記され、政策を見直す可能性が明記されている。つまり、今回決定された40年廃炉の原則も、くつがえされて稼働期間が延長される可能性があるのだ。原発の新増設は、多分ありえないだろう。福島原発の過酷な事故の後では、日本国民に新増設を認めさせることは不可能に思われる」

野田首相が脱原発を宣言した4日後、早くも「原発ゼロ、日本政府は閣議決定せず」というニュースが伝わってきた。それを伝える朝日新聞には、「野田内閣方針、骨抜きの恐れ」「原発ゼロ戦略ぐらぐら、“もんじゅ廃炉“、批判受け後退」、「政府、説明ころころ変化」といった見出しの記事が掲載された。こうしたニュースを世界はどう受け止めただろうか。

 

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