「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」のベルリンでのスタンディング・デモ
8月14日の午後4時半、ドイツ統一の象徴であり、今ではベルリン観光の最大スポットとなっているブランデンブルク門前のパリ広場に、年配のアジア人女性たちの大きな写真をかかげたり、プラカードや横断幕を持ったりする人たち、70人あまりが三々五々集まってきた。多くの人が色とりどりのバラや百合の花、あるいは野の花など、思い思いの花を手にしていた。これらの花は戦時下の性暴力の犠牲となって筆舌に尽くしがたい苦しみを味わったこれら写真の女性たちにささげられた。女性たちの多くは、加害者の謝罪も正当な公的補償も名誉回復も得られないまま既に亡くなっている。この日は、今年はじめて国際的に行われた「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」で、ベルリンでもその一環として国際的なスタンディング・デモが行われたのだった。
1991年8月14日、韓国人女性、キム・ハクスン(金学順)さんが初めて日本軍元「慰安婦」であると名乗りをあげ、多くの証言を行った。彼女の勇気ある発言によって「慰安婦」制度の存在と実態が世間に知られるようになった。キム・ハクスンさんの勇気ある行為を記念して8月14日を「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」とすることが、昨年12月台北で開かれた「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」で決定された。そして今年8月11日には東京で「日本軍『慰安婦』メモリアルデーを国連記念日に!」という国際シンポジウムも開かれている。こうした動きのなかで今年8月14日、第1回のメモリアルデーの国際行動が行われたのだ。
ベルリンのスタンディング・デモの主催者はベルリン在住日本人女性たちの組織「女の会」、創立30年の小さな会だが、この20年あまり日本軍の性暴力の犠牲となった元「慰安婦」の女性たちへの支援活動に取り組んできた。ブランデンブルク門前のスタンディング・デモには、ドイツ人賛同者の他、加害国日本と多くの被害者を出した韓国の男女がともに参加し、問題の早期解決を訴えて静かに立ち続けた。日韓の若者たちの参加も目立った。「慰安婦」問題に対するドイツ社会での関心の高さは、橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は当時必要だった」という発言や安倍政権の歴史認識に対する批判がドイツでも大きく伝えられたことと無関係ではないようだ。ドイツの女性団体の代表たちは、「慰安婦」制度の被害者に対する事実を明確なやり方で公式に認め謝罪することを求めてきた国連諸機関の勧告を、日本政府が長年無視し続けてきたことに怒りを表明していた。彼女たちは国連、特に女性差別撤廃委員会でドイツ・ロビーとして活動している。
ブランデンブルク門前のパリ広場は世界中の観光客が集まるところで、こうした観光客の関心もかなり高く、プラカードや横断幕に書かれた文章を読み、スタンディング・デモの参加者に話を聞く人たちも少なくなかった。「多くの被害女性たちのために正義を!」「真実を認め犠牲者に謝罪と公的補償を!」「アジア太平洋戦争(1931−1945)での性暴力の犠牲者に対して日本は政治的な責任をとれ!」プラカードや横断幕にはこうした要求が書かれていた。
女性たちの写真の下に書かれた一人一人の悲痛な運命に熱心に読み入る人たちもいた。「抵抗運動が激しかったところで、特に女性に対する日本軍の残酷な行為が際立った。14歳の時に洞窟に連れ込まれ、数週間拷問、強姦されたあと意識を失い、川に投げ込まれたが、老人に救われた(中国の万愛花さん)」。「17歳のとき日本人警官に工場の仕事があるとだまされて南京に連れて行かれ、『慰安婦』にされた。毎日30人の兵士を相手にさせられ、苦痛の日々だった。戦後、中国軍に救われ故郷へ帰ることができた(北朝鮮の朴永心さん)」。「1942年4月13日、父親が彼女の目の前で日本兵に首をはねられた後兵士たちに連行され、慰安所に監禁された(フィリピンのトマサ・ディオソ・サリノグさん)」。とても読み続けられないほど悲惨なさまざまな運命が、そこには描かれていた。
この日の行動はブランデンブルク門前の静かなスタンディング・デモだけではなかった。今回「女の会」は国際メモリアルデーにあたって日本大使館を通じて安倍総理に公開質問状を出すことを決め、賛同団体を募ったところ短期間のうちに23もの賛同団体、それにドイツ連邦議会議員や緑の党の元欧州議会議員を含む個人3人が賛同者として協力の意思を表明したという(賛同団体はその後26に増えた)。賛同団体のなかには、ドイツの女性権利擁護団体、女性に対する相談・支援活動を行う組織、キリスト教会関係の組織、アムネスティ・インターナショナル・ドイツ支部などの人権擁護団体、ドイツ社会で日本軍性暴力の被害者支援を在独の韓国人団体と協力し続けてきたキリスト教会のドイツ東アジアミッション、ノイエンガンメ強制収容所記念館、在独韓国人組織の5団体など、一部を挙げるだけでもその幅広さが目立つ。この日午後3時、ドイツ東アジアミッション(Deutsche Ostasienmission)のパウル・シュナイス(Paul Schneiss)名誉会長、ドイツの女性組織の連合体であるドイツ・フラウエン・リング(Deutscher Frauenring e.V)の国際活動委員会委員長、マリオン・ベーカ―(Marion Böker)氏、女の会を代表して梶村道子氏と池永記代美氏の4人が日本大使館を訪れ、安倍総理に対する7つの質問からなる公開質問状(Offener Brief an Premierminister Abe、公開質問状日本語訳)を大使館の花田政務担当参事官に手渡した。
出席者の話によると、その席では女の会の代表がなぜ質問状を渡すのかを説明した後シュナイス氏が、ドイツ社会の構成員として日本政府の対応に対する見方を述べた。同氏は「被害女性たちにアジア女性基金を受け取らないと言わせているのは、この基金が女性の気持に添ったものではないからである。お金ではない、重要なのは被害者の感情である」と強調した。続いてベーカーさんも「政治家の個人的なお詫びの手紙や見舞金ではなく、国が、被害者を被害者として公式に認めること、これが被害者にとって最大の被害の回復であり、救いなのだ」と家族の例をあげて説明した。ベーカーさんの父親はハンブルク出身のユダヤ人で、ナチ時代まだ子どもだった父親は家族でただ一人生き残った。「ドイツ国家が被害を公式に認めたこと、これが唯一彼自身の存在を確認する基となり、周囲の差別をはねのけ困難な戦後を生き抜く力になった。多くの被害者がそうであったが、それがなければ父親は自らつぶれてしまっただろう。彼は幸いにもドイツの補償金を比較的早く得られた」。ベーカーさんはこのように国による被害の認定と個人的補償の重要さを強調した。これに対して大使館側は「安倍政権も河野談話を踏襲する。被害者のために民間のアジア女性基金を実施するなど努力してきた。法的には二国間協定で決着している」という公式見解を繰り返すだけだったという。
最後にベーカーさんは「日本は国連で現在の戦時性暴力の廃絶に努力していくと言っている。そうであれば、自らの影を飛び越えて、まず日本軍性奴隷制がもたらした犯罪とその結果について解決のためのイニシアティブを取るべきだ。国連の場でそれをやったらどうか。そこに被害12カ国を招請し、解決に向けた協議をすべきだ」と提案した。参事官側からは「質問状への回答は約束できない」との示唆があったが、「賛同団体は皆回答を待っています。回答がないならば、各団体が今度は個別に回答を求める書簡を送ります」と答えて会談は終わったという。大使館側との会談は予定の30分を超えて1時間になったということである。
こうした話し合いの報告からも日本政府のこれまでの公式見解が女性に対する国際的な人権感覚と大きくかけ離れていることが見て取れる。被害女性が高齢を迎え、次々に亡くなっている今、日本政府が緊急に何らかの政治的決断を下して解決への道を示さないと日本は国際的に孤立してしまうという憂慮の念がわき起こる。国際社会の見方が厳しくなっているのを肌で感じる外国に住む日本人としては特に、我が国の政府に対して「国家としてのモラルを維持し、女性たちの生存中に適切な対応をして欲しい」と心から願わずにはいられない。
なお、在独韓国人団体コレア・フェアバント(Korea Verband)は、現在、86歳の韓国人元「慰安婦」イ・オクスン(李玉仙)さんをドイツに招き、ドイツの人権団体と協力して各地で「彼女の証言を聞く会」を開いている。ベルリンでは9月3日19時から、ベルリン工科大学(Technische Universität Berlin)本館で、元「慰安婦」の女性たちに密着して写真をとり続けてきた報道写真家、矢嶋宰氏との対談が予定されている。