原発事故3年、変化するドイツ人の日本観
東日本大震災から3年を迎えた今年3月11日、ドイツのメディアは特に福島原発事故後の日本の現状について大きく取り上げた。なかでも私の心に突き刺さったのは、ケルンに本拠を置くラジオ局、ドイチュラントフンクの解説だった。 全国を聴取エリアとするドイツで唯一の同局は、報道を中心とするレベルの高い番組で知られ、ラジオはこの局しか聞かないという人もかなり多 い。日が経つにつれてこの局の3月11日の解説がさらに重みを増して私の胸に迫ってくるようになった。
「終わりのない大惨事」というタイトルのニュース解説を同局のユルゲン・ハーネフェルト記者は次のような言葉で始めている。「どうしてこんな過ちを犯すことができたのだろうか。日本は高水準の技術を持つ国だと我々は 考えてきたのではなかったか? 創造力豊かな技術者と 信頼できる労働者の国、時間をきちんと守り、清潔で正確な仕事をする人たちの国だと考えてきた。こうした見方は早まった判断だという ことを我々は3年前に知ることになった。環太平洋火山帯に属する国である日本では、地震、津波、火山の噴火はしばしば起こる。そうした国で海岸沿いに原子力発電所をつくること自体、驚くべきリスクを冒すことを意味する。さらにこの原発では、津波を防ぐための措置も不十分だったといい、不注意のそしりを免れない。 しかも、この危険な原発を稼働させる東電は、法律で義務づけられている原子炉整備・保守の条件すら守っていなかったという。これは許すことのできない無責任さだと言わざるを得ない」。
同記者の解説には次のような説明が続く。「このことは日本の民主主義の大きな影の面、つまり、政治と経済、メディアと産業界の利益が密接に絡み合っていることから説明できる。この透明性のない利権の結託は、日本では“原子力ムラ”と呼ばれている。 このムラには、フクシマの被災者の東電や国に対する訴えを却下する検事たちも住んでいるようだ。そしてその村長は首相であることがますますはっきりしてきた。福島原発事故の人間的悲劇にも心動かされず、原子力業界と密接に結びついた安倍晋三は、原発輸出商人として世界を旅する。彼のメッセージは洗剤の広告のようにシンプルだ。『フクシマはコントロールされている』という彼の発言も『日本の原発は世界一安全だ』というグロテスクな主張も、ともにプロパガンダのための嘘である。彼はまた、日本の戦争責任に疑問を投げかけ、この問題で近隣諸国や同盟国と悶着を起こしているのと同一人物である」。
「ハーネフェルト記者のこうした指摘はもっともだ」と思う反面、外国人ジャーナリストからこれほど否定的な言葉を改めて突きつけられると、やはり日本人としてのプライド が疼く。
「ナショナリストを自認する安倍首相は、日本を新たに強い大国にすることを目指しているが、それは多くの場所で悪夢のような記憶を呼び起こしている。新しい強さのなかには平和憲法の改定、防衛力の強化、原爆製造のオプションも含まれる。日本の原子力発電所で生産されたプルトニウムはヨーロッパなどに貯蔵されているが、それはすでにかなりの数の原爆を製造できる量に達している。フクシマの大惨事からまったく何も学ぼうとしない日本政府。日本が本当に新しい大国の栄光を得たいと願うなら、安倍首相とは違う道を歩むべきではないだろうか」。
最後の一節は日本の一般市民に向けられた言葉でもあると受け取ることができるが、この言葉に私は社会民主党のブラント元西独首相らが昔よく主張していた「闘う民主主義」という言葉を思い出した。 最も民主的だといわれたワイマール憲法のもとでの民主主義体制がナチの独裁体制にやすやすと変わってしまった歴史的経験をふまえた警告の言葉で、「議会制民主主義は形骸化する恐れがある。真の民主主義を勝ち取るためには市民一人一人が絶えず闘っていかなければならない」というほどの意味だと私は受け取っていた。
日本に対する考え方が変わったというのは、ドイチュラントフンクの解説者だけではない。私は1972年から1999年までドイチェ・ヴェレ(ドイツの公共国際放送)で日本語放送の記者を務めていたのだが、4月初め、当時の職場で知り合った親友の誕生日を祝う会に呼ばれた。その席にはドイツの東西南北から彼女の親しい人たち30人ほどが集まっていた。そのドイツ人たちからも「なぜあれほどの過酷な原発事故を起こした日本が、原発を再稼働させようとしているのか」と説明を求められた。なかには「原発事故後の日本の対応はまったく理解できない。以来日本に対する見方が変わった」と率直に言う人や「大量の放射能汚染水が海に流れているのは国際的な犯罪ではないか。それなのに日本政府はその責任を意識していない」と批判する人もいた。
私は「日本人の大多数、特に原発事故の被害にあった人たちや女性たちは脱原発を心から願っているのだが、そういう国民の声が原発推進派の政府や経済最優先の産業界の方針に影響を与えることができないのだ」などと説明を試みたが、彼らを納得させるような説明はできなかった。結局「日本の民主主義は機能していない」という印象を持たれてしまったようだ。政府が国民の大多数の意志を無視して重要な決定をしてしまう時、主権者であるはずの国民はどうしたらそれを阻止できるのか、一応民主主義国であると考えられてきた日本でも有効で強力な手段がないことに今さらのように気付かされる。
メルケル首相が福島原発事故の後ドイツでの脱原発を決めた時「ドイ ツと同じような技術大国の日本ですら事故を防げないことが分かって衝撃を受けたから」と説明していたが、この3年間で彼女の日本に対する考え方も変わったのではないかと憂慮する。
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