日本を見つめるまなざし 〜地下鉄での会話より〜

みーこ / 2012年12月30日

先日ベルリンで、日本人の友人と地下鉄に乗っていたときのこと。目の前のドイツ人女性が「あなたたち、日本人?」と話しかけてきた。いかにも親日派といった感じのこの女性と、私は楽しく会話を続けていたが、話があることに及んだ途端、会話はギクシャクとしたものになってしまった。

地下鉄の中で日本語で会話をする友人と私に、この女性はニコニコと微笑みかけてきた。西洋人の中には習慣的に、知らない人と目が合うと一瞬ニコッとする人がいるが、この女性の場合は明らかに、一瞬ではなくニコニコと視線をこっちに送り続けていた。話しかけるチャンスを狙っているかのようでもあった。友人との会話がふと途切れ、私が女性と目を合わせた途端に、女性が話しかけてきた。「ねえ、あなたたち、日本人よね? 私も少し日本語を勉強したことがあるの。だから、あなたたちがしゃべってるのを聞いて『あ、日本人だ!』ってわかったのよ。ほら、日本語って『ソウデスネ』とか『ソウデスカ』とかよく言うでしょう?」と、嬉しそうに話しかけてきたこの女性、見たところ50代くらいだろうか。いかにも人が良さそうだ。

間もなく、友人の降りる駅に着き、私とこの女性は二人きりで話すことになった。(私がドイツ語が下手なことを女性が見て取り、ここで会話は英語に切り替わった。)女性は、日本語学習のこと、日本旅行のこと、日本の友人のことなどを楽しそうに話し、「あなたはどこの出身? 東京かしら?」と聞いてきた。東京は私の故郷ではないが、首都圏には長く住んでいた。今もたくさんの友人がいる。私にとって大切な場所だ。私がそう言うと、女性の顔がふと曇り、「東京は今、大変な状況なのよね。住むのも大変で……。最近事故があったでしょう? ほら、あの事故、覚えてるかしら?」と言い出した。東京が大変? 事故? 東日本大震災のことだろうか? でも「最近」の「東京」の出来事……?

ドイツでは、福島の原発事故のことが大きく報道された。津波被害のことよりも原発事故のことのほうが、断然報道が多かったように思う。だから、「東日本大震災=フクシマの事故=日本全体壊滅」といったイメージを抱いている人もいるようだ。この女性もそういう発想の人なのだろうか? 私は彼女が「フクシマ」や「原発」や「放射能」といったキーワードを出すのを待った。しかし、私が戸惑っているのを見て取ったのだろう。女性は無理に笑顔を作るようにして、「でも日本人は頑張ってるのよね。ここで生きていくって決めて、心を強く持って。偉いわ。尊敬する」と言った。

いったい彼女は何の話をしているのだろう? 「いっそこちらからキーワードを出してみよう」と考え、私は「あの、フクシマの話ですか?」と聞いてみた。すると、「そう。原発事故で放射能が降下したのよね」との答えが返ってきた。今まで気を使って「フクシマ」や「原発」という言葉を使わないようにしてきたが、私のほうからその言葉を使ったので、女性はほっとしているように見える。しかし、このドイツ人女性は、福島と東京の位置関係や距離を正確に把握しているのだろうか? そもそもこの人は、日本の原発事故と被害についてどの程度の知識があるのだろう? 彼女の話しぶりだと東京じゅう放射能まみれのように聞こえる。確かに、東京にもいくつか放射能ホットスポットができたという報道を目にしたが、そこまでひどいわけではなかろう……。

「あの、福島と東京は、ちょっと距離があるんですけど。位置関係わかります?」と私が尋ねると、女性は慌てたように言った。「そうね、そうよ。もちろん、福島と東京は違うわ。遠いのよね。わかってる。それに、逃げようにも行く場所がないよね。私も日本人の友だちに『日本は危ないから、ドイツにおいで。うちに泊まればいいわ』って言ったの。でも、ずっとここで暮らせるわけじゃないしね。『私たちはずっと日本で暮らす』って言われちゃった。その気持ちもわかるの。私だって、あんな事故が起こったら、どこに逃げたらいいかわからない。だから頑張ってって言ったの……」。女性は早口で一人で話し続けた。私が「福島と東京は違う」と言ったもので、何か釈明しなければならないと思ったのかもしれない。あるいは、日本人である私の気持ちを傷つけたと思っているのだろうか? そもそもこの人は、話をどういう方向に持っていきたいのだろうか? 「東京は危ないから逃げろ」と言いたいのか? それとも「震災に負けず頑張れ」と励ましてくれているのか?

女性の話は、まだ続いた。「東京でも病気が増えてるんでしょう? 子どもたちの病気。ほら、ええっと……英語で何ていうかわからないんだけど……このへんの病気で……」と女性は言いながら、首筋のあたりを触った。「甲状腺癌?」と私が尋ねると、「そう、それ」と言って女性は目を伏せた。福島県で子どもの甲状腺癌が増えているという報道は私も読んだが、東京では増えてないのでは……。私が反応に困っていると、女性は居心地悪そうな顔をし、「ごめんなさい、私、英語はあまり得意じゃなくて、難しい話をすると疲れちゃうの。今日はずっと働いててその帰りだから、何だか疲れちゃって……。フランス語なら、大学時代にパリに留学していたことがあるから結構得意なんだけど……」と変な言い訳を始めた。ギクシャクしたムードが流れ、どうしたものかと私が思っていると、間もなくある駅に着き、女性は救われたような顔をし、「ここが私の降りる駅なの。じゃあね、サヨナラ!」と去って行った。

女性が降りたあと、私は一連の出来事を思い返しながら、複雑な思いに捉われた。あのドイツ人女性は、明らかに日本好きで、日本のことを案じてくれていた。私の反応を見ながら気を使って話すような優しい性格の持ち主だ。英語も上手だし、大学時代に留学していたという経歴からしても結構インテリなのだろう。しかし、その彼女でさえ(だからこそ?)、日本の放射能汚染について、かなり絶望的な見方をしている。彼女にはどう言うべきだったのだろうか? 認識の誤りを正す? 「福島と東京は離れていて、東京の汚染程度は大したことがない」「甲状腺癌も東京では増えていない」「福島では子どもの甲状腺癌が増えているという報道があったが、医師会は原発事故との関連性は低いと述べている」「日本政府は、福島の原発は冷温停止し収束したと言っている」とでも言えばよかった? しかし、私自身信じていないことを言うわけにはいかない。かと言って「そうそう、日本はもうダメだよね」などと言う気にもなれない。

すべてのドイツ人が、彼女のような見方をしているわけではないと思う。しかし、私と彼女がかわしたようなギクシャクした会話は、原発事故後、ドイツ中で、いや世界中でかわされてきただろう。日本人と外国人の間で。あるいは日本人どうしでも。日本国内に住む日本人でも、放射能汚染の危険性に対する認識は、人によって違うと聞く。ドイツに住む私は、周囲のヨーロッパ人と話をするたびに(私の周りにはドイツ以外の国籍を持つヨーロッパ出身者が多い)、相手の認識、自分の認識、日本政府の公式見解、日本の世論の差を推し量り、それらをどう埋めようか悩むことになる。「あれほどの事故を起こしながら、日本はどうして脱原発にシフトしないのか?」という友人の率直な問いかけにどう答えるべきか迷い、肩身が狭いと感じる。市民運動が盛んなドイツをうらやみ、市民運動家への偏見が根強い日本の現状を憂う。また、このウェブサイトのように、日本国外から脱原発情報を提供する試みが、避難すべきか残るべきか迷いながらも何とか生きていこうとする人々の勘に触るのではないかとも怖れる。「自分は地震も原発事故も起こっていない安全地帯にのうのうと住みながら、勝手なことを言いやがって」と思われていないだろうか?

いや、私のそんな個人的な怖れや肩身の狭さなどは、どうでもいいのだ。それより、このまま日本は世界から取り残されていくのではないかということが心配だ。日本を見つめる世界のまなざしと、日本人が自国を見つめるまなざしが、東日本大震災以来、どんどんずれていっているような気がしてならない。

さて、この地下鉄の出来事は、先日の衆議院選挙の3日ほど前に起こったことである。その後、選挙がおこなわれ、これまで原発を推進してきた自民党が多数をとり、曲がりなりにも脱原発のほうに舵を切りかけていた政策は白紙に戻ってしまった。選挙結果を伝えるドイツのメディアは、日本国民が選んだ結果をどう捉えればいいのか、解説に苦慮しているふうだった。地下鉄で会ったあの女性は、選挙の結果をどう見ただろうか? 困惑する彼女の顔が見えるようで、想像するとやるせない。

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