心の晴れた一冊 『震災後-こんな時だけど、そろそろ未来の話をしようか』
友人から送られてきた本の『震災後』という題名を見て、「ああ、またか」と思いながら、その下に小さく恥ずかしげに印刷された『こんなときだけど、そろそろ未来の話をしようか』とあるサブタイトルを目の隅に入れて、「いや早いところ読んでしまおう、せっかく送ってくれたんだから」と読み始めたのが、福井敏晴さんのこの著書です。一気に読み終えた私は、正直言って目からウロコが落ちました。
『震災後』には、東京に住む野田一家の2011年3月11日以後の半年間が、一家の主、野田圭介の目を通して描かれています。
この小説は、野田圭介が息子の通っている中学校の校庭で、全校生徒、父兄、学校有志たちに呼びかけるところから始まる。そのきっかけは、息子の弘人が級友数人とフクシマ・ベビーという名称で広まってしまった、目が一つしかない、デフォルメされた新生児の画像をツィッターで拡散した犯人だからだ。彼らが未成年であること、主犯ではなかったことで、警察側はとりあえずことを収めた。学校中に噂が広まっているだろうと、PTA主催の臨時集会が開かれることになり、野田は当事者の父兄として講演者の中に強引に入れてもらうことに成功した。
野田は、「君たちの未来を奪ってしまった世代の一人として」と話し始める。「私が子どもの頃、未来はもっと無責任に世に溢れていました・・・(中略)私が君たちくらいの歳になった頃から、大人は明るい未来を口にしなくなりました」。
経済成長という神話に乗せられ、日本は(いや、世界中も)自国の借金をふくれ上げさせ、そのリスクを次世代に引き継がせることを承知しながら、原発を今再稼働させようとしている。それならば、自分たちはどうしたらよいのか、まず、問題を共有することが第一だ。
原発の代替となるエネルギーはなにか。風力、地熱などがあるが、これまでのところ有望なのは、やはり太陽光発電だろうか。しかし再生可能な自然エネルギーは、自然に左右される宿命的欠点があり、また莫大な土地が必要となる。我々は地球を離れて宇宙に目を向けなければならない。
太陽光発電衛星。スペース・ソーラー・パワーシステム(SSPS)。宇宙空間で集めた太陽光を電力に変え、マイクロ波のビームに変換して、地球に送信するシステムだ。
これが、福井晴敏氏の小説の副題、「こんな時だけど、そろそろ未来の話をしようか」だったのですね。実は、わたしの購読している、ベルリンの地方新聞にもSSPSについての記事が載っていました。あまりにSFっぽいので、このサイトに載せるのを躊躇していました。ベルリンの新聞には、SSPSはアメリカと日本で開発されていると書いてありました。詳しいことは、福井さんの本の中に出ています。
この著書には、地震の臨場感はもとより、気仙沼の被災地の老人たちと野田一家の交流、息子、弘人が落ち込んだ深い闇、主人公夫婦の苦しみなどが凝縮されています。
正直なことを申し上げましょう。日本から離れた地に住む私は、世界市民を称し、おこがましくも、外から日本を見ているからこそ、客観的に日本のいいところも、悪いところも見えるのだと思っています。ところがこの一年、日本がグサグサになってしまった。もう、悪いところがむき出されっぱなし!情報の渦巻きの中でバランスが取れなくなっている状態です。少なくともベルリンにいる私の回りの日本人は、私を含め大なり小なりノイローゼっぽくなっています。会えば口から唾を飛ばし、日本政府、東電、日本の主要メディアの批判です。そして、日本にいる友人知人たちの非政治性にも落胆させられています。私にはそう見えるのです。結局心身のバランスをとるには、わずかなことでも、何らかの行動をとるのが一番だと思い、私はこの緑の1kWhに参加しました。
もう一度『震災後』に戻ると、この本は、日本家庭いや日本の三世代の苦しみをみごとに描いています。敗戦後から今日までの日本を築き、現在の日本を支え、日本の未来を担う三世代です。実によく設定されているなぁと感心いたしました。強烈なのは、圭介の父、弘人の祖父のキャラクターです。このシニアから学ぶこと、大です。
私の心に風を送って下さった福井晴敏さんにお礼を申し上げると同時に、この本を貸してくれたシュトゥットガルトの友人にも「ありがとう」デス!