コロナ禍での日本一時帰国体験記
コロナ•ウイルスの変異株が世界各地で猛威を振るっている中、ドイツでは国外はもちろん国内旅行も控えるように言われている。しかし止むを得ぬ事情があって、私は日本に一時帰国した。そして、コロナ禍ならではの特別な体験をした。
コロナの感染状況に合わせて、各国の入国条件は日毎に変わると言ってよいほどだ。そのため、ここに記したことは2021年4月1日にベルリン・ブランデンブルク空港を発ち、アムステルダムの空港を経由して関西国際空港に4月2日に到着し、4月19日にその逆のルートを通ってベルリンに帰国した、日本国籍を持つ私の個人的体験であることを、最初に断っておく。
今や誰もが気軽に海外旅行に出かけられる時代で、気をつけなければならないのは、旅券の有効期限ぐらいだろう。ところがコロナ禍での旅には、注意すべきことが沢山あった。そもそも私がドイツから日本に入国でき、ドイツに帰国できるか調べる必要があった。航空券を購入しようとしていた3月上旬、日本はすでにドイツを新型コロナ•ウイルス変異株流行国に指定していたからだ。日本の法務省や厚生労働省のホームページを調べると、「特段の事情」がない外国人の上陸は拒否するそうだが、日本国籍を持っている者は、3日間の強制的な待機はあるが、入国できることが分かった。また、在ドイツ日本大使館の情報によると、ドイツの長期滞在許可を持っている者に対してドイツは入国制限を行っておらず、おまけに日本はコロナ危険国とみなされていないので、ドイツ帰国時には隔離も必要ないことが分かった。
厚生労働省の「水際対策の抜本強化に関するQ&A」によると、日本に入国するには、PCR検査によるコロナ陰性証明の取得も必要だった。検査は出発国を発つ72時間以内に、日本が有効と認めた方法で行われなければならないと、Q&Aの後ろの方の注釈に書かれていた。それまでPCR検査にいくつも種類があるとことを知らなかったが、日本が認めている方法というのは鼻咽頭ぬぐい液か唾液を使った検査だということが、Q&Aの ページから探して行くとやっと判明した。そして、証明には陰性か陽性かという結果だけでなく、検体採取や結果が判明した日時が、少なくとも英語で記されてなければならないとも書かれていた。またQ&Aには、入国時には「誓約書」と「健康アンケート」の提出も必要だと書かれていたが、その内容を読むと記入は機内でもできそうなので、印刷だけして航空券や旅券と一緒にしておいた。
出国前72時間以内という条件を満たすように、3月30日の午前10時過ぎ、生まれて初めてPCR検査を受けた。ベルリン市内にはあちらこちらに民間の検査所があり、予約は前日に簡単に取れた。しかし、もし人の移動が多い時期であれば、もう少し早めに予約しておいたほうが安心だろう。 当日中に結果が出るというサービスで、値段は79.99ユーロ(約1万400円)。この時期ドイツは復活祭の休暇の直前で、連邦政府や感染症の専門家たちが旅行を控えるよう盛んに市民に呼びかていたが、検査所には、これから出かける旅行の話で盛り上がっている人たちが少なからずいた。私も国外に出かけるので偉そうなことは言えないが、休暇をじっと家で過ごすことができないドイツの人達の性分も、感染がなかなか収束しないことと関係があるのではないかと思わずにはいられなかった。 PCR検査の結果は当日中に出るとの約束通り、検査を受けて9時間後の3 月30日の19時半に、ネットでダウンロードすることができた。少しドキドキしたが、結果は陰性だった。
この陰性証明は、4月1日、 ベルリン•ブランデンブルク空港でチェック•インする時にも提示を求められた。航空会社から何度もメールで警告を受けていたように、それがないとアムステルダム(オランダ)行きの飛行機に乗せてもらえないからだ。 航空会社の職員が陰性証明だけでなく、全ての乗客が目的地の求めるコロナ関係の書類を揃えているかも、細かく確認しているのには驚いた。日本に入国するには「誓約書」の他にQRコードが必要だと言われた。どのQRコードを意味しているのかわからなかったが、「健康アンケート」に記載されているQRコードを見せると、OKと言われた(この時求められたのが本当は、厚生労働省のオンライン質問表に回答した後、各自に発行されるQRコードだということが日本入国時にわかったが、入国時に検疫で取得すれば問題なかった)。
開港して半年も経たないベルリン•ブランデンブルク空港は、まだピカピカだったが人気がなく寂しげだった。免税店もカフェも閉まっているところが多く、座って搭乗時間が来るのを待つしかすることがなかった。乗り換えのアムステルデムのスキポール空港は、ベルリンの空港よりずっと規模が大きく飛行機の発着数も多いので人はそれなりにいたが、多くの店が閉まっているか、店頭での商品のやりとりしかできないようになっていた。 アムステルダムまでの便は、飛行機が小型だったこともあり、かなりの座席が埋まっていて、私の隣にも人が座っていたが、アムステルダムから関西国際空港までの便は、気の毒なほど空いていた。私の周辺の50ぐらいの座席には誰も座っておらず、乗客の誰もが隣の空いている座席に足を伸ばして横になることができた。機内では飲食時以外、FFP2マスクの着用が義務付けられていて、長時間マスクをすることに慣れていない私には苦痛だった。その反面、接触を少しでも避けるため、食事を配る以外の機内サービスはなく、いつもより落ち着いて映画を見たり眠ったりできたのは有難かった。
予定通りの4月2日朝8時過ぎ、飛行機は関西国際空港に到着した。ここから先は子供の遠足のように、検疫官の後をついて空港内のあちこちに設けられた幾つもの仮設窓口を順々に訪ねることになった。最初の窓口で、過去14日間の滞在先を尋ねられ、旅券をスキャンされた。次に漏斗(じょうご)のような物を手渡され、コロナ抗原検査用の唾液を採取するように言われた。唾液がよく出るよう、採取用ブースに梅干しとレモンの写真が貼ってあったのは愉快だったが、外国の人には梅干しの意味はわからないだろうと思った。この後は、採取した唾液の提出、再び過去14日間の滞在国のチェック、熱などコロナ感染の症状がないかなどの質問に口頭で回答、「誓約書」の内容の確認と提出、接触確認アプリと位置情報確認アプリのインストール(自分でできなければ係員が助けてくれる)、この二つのアプリが機能するかチェック、メールアドレスの提出、そのアドレスにメールが本当に届くかテスト、厚生労働省の健康アンケートにオンラインで回答など、合わせて9つか10の窓口を回ったことになる。気がつくと、せっかく機内で記入した「健康アンケート」はどこにも提出しないで手に持ったままで、その代わりに「入国される皆さまへのご協力のお願い」、「日本に入国する皆さまへ。必要なアプリのインストールについて」、「日本に入国する皆さまへ。入国後のアプリの利用について」、「入国後14日間の健康状態の確認について」など、たくさんの書類を新たに受け取っていた。その後、待合室に変身した搭乗ロビーで、抗原検査の結果を待つよう指示された。
検査結果が出たのは11時ごろで、それほど待たされなかった。陰性の人だけ順番に番号が呼ばれたのだが、まるで入学試験の合格発表のようだった。私の後ろに座っていた女性は、空港での検査は陰性だったが、出国時に用意していたPCR検査陰性証明に、検体採取の日時が記入されていなかったため無効とみなされ、3日間でなく6日間、強制待機をしなければならないと話していた。この検査で陰性の結果が出た人たちは空港の職員に誘導され、荷物をピックアップしに行った。その便の乗客の荷物はまとめて置いてあり、空港の職員が見張ってくれていた。自分のトランクを取り税関を通過した後、検疫が指定した宿泊施設である空港内のホテルに、バスで移送された。
普段は気にも止めずに通り過ぎる検疫が、日本のコロナ水際対策ではまさに防波堤の役割を果たしていることを実感した。その際、気になったことが幾つかある。一つは、日本は廊下なども狭いので仕方ないのだが、ソーシャルディスタンスがきちんと取れない場合が度々あったことだ。例えば唾液採取のブースに行くためには、検疫官や他の乗客の間を通り抜けなければならなかったし、ブース自体も間隔なくずらっと並んでいた。それに、窓口での作業はもう少し効率よくできるのではないかとも思った。日本滞在中の住所や電話番号など、「誓約書」にも記入したことを、幾つもの窓口で何度も尋ねられたからだ。情報を管理するシステムを作って最初の窓口でコンピュータに入力すれば、その手間は省けるのではないだろうか?また、アプリは必ずインストールしなければならず、そのためにスマートフォンを持っていない人は、わざわざ購入したり、空港で借りたりしなければならないということも、納得できなかった。ドイツではコロナ警告アプリを使用するかどうかは自由意志に任されている。しかし日本では、入国したければ、アプリを使うことが条件になっている。アプリのインストールは手伝ってくれたが、このアプリの安全性や誰がどこでこの情報を管理しているのかなどの質問にはきちんと答えてもらえなかった。さらには、最後の陰性者の番号の呼び出しが、日本語でしかなされなかったことだ。オランダから来た便の乗客全員が日本語を理解するとは考えにくい。多分、呼び出しの後、ボードに番号を書き出すのだろうが、最初から日本語と英語でアナウンスすべきではないだろうか。
検疫が指定する3日間の強制的な待機は、到着した日は数えないので、私の場合は到着翌日の4月3日から始まり、3日目の4月5日に行うコロナ検査で陰性であれば終了することになっていた。それからは本来の滞在先に移動し、そこで残りの待機を行うのだ。この3日間の待機については、すでに待機を経験した人たちが、単調で栄養の偏ったお弁当しか出てこないなどとツィートで盛んに情報を発信していたので、ある程度の覚悟はしていた。それにベルリンでインスタントの味噌汁やスープ、はたまたカップヌードルを買い込んで持ち込んでいたので、食事のことはそれほど苦にならなかった。この待機生活について、私が日本に向かった4月1日、ドイツ第一公共放送ARDの東京特派員が、「窓も開かないホテルの部屋に閉じ込められ冷や飯を食べさせられる、それはまるで刑務所のようだ」と伝えたために、ドイツに住んでいる友人が心配してメールを書いて来たりもした。しかし私の宿泊した施設(ホテル日航)の部屋は清潔で、海の見える大きな窓があり、15センチほど傾けて新鮮な空気を入れることもできた。到着した空港によって、用意されている待機施設が異なり、部屋や食事はそれぞれの施設で随分異なるようだった。
食事や部屋のことより私にとって辛かったのは、部屋の外に出られない、閉じ込められているという感覚だった。廊下には24時間中、監視の人が座っていた。廊下に置かれたお弁当を取るときだけでなく、真夜中にこっそりドアを開けてみても、誰かが座っていた。また部屋の中ではせいぜいラジオ体操ぐらいしかできず、運動不足でお腹も減らず、せっかくのお弁当も2日目の夜ぐらいからは食べられなくなってしまった。決まったプログラムは、朝晩、支給された体温計で体温を図ることと、厚生労働省から11時ごろにメールで送られてくる健康チェックに回答することぐらいだった。この健康チェックは、届いてから3時間以内に返事をしないと、場合によっては氏名を公表するという“脅し文句”も書かれていたのには驚いた。インターネットは自由に使え、テレビもあったので、退屈することはなかった。
待機3日目のPCR検査のための唾液は、その日の朝採取し、7時半までに廊下に置くように言われていた。結果が出るのは13時から15時の間で、もし陰性なら、19時までに部屋を出ることになっていた。陰性であると確信していたので、今回の一時帰国の目的地である実家に向かうためのハイヤーを17時に予約した。公共交通機関での移動は禁止されているため、 自分でレンタカーを運転するか、誰かに迎えにきてもらうか、認定された会社のハイヤーを頼むしか移動の方法はないからだ。 15時をすぎても連絡はなく、またドキドキしてきたが、15時半ごろ、陰性という結果を電話で受け取り、ホッとした。 ハイヤーに乗って実家に着くと、もう夕食の時間になっていた。ハイヤーの料金は2万5000円と高かったが、この3日間の宿泊料と食費、そして検査の費用は全て国の負担だった。国によっては、入国時の隔離期間の滞在費など自己負担というところもあり、帰りたくても帰れないという話も聞いていたので、これは有難いことだったが、そこには日本という国が水際作戦にどれだけ力を入れているかが、現れているように感じた。
合計2週間の待機が義務付けられていたため、日本で自由に行動できたのは4月17日と18日の2日間で、19日はもうドイツに帰国する日だった。その2日間のうちの1日は、ドイツ帰国時に必要なPCR 検査を受けるため、大阪に出かけた。ドイツは日本をその時点でもコロナ危険国とみなしていなかったが、ドイツ政府は航空機で外国からドイツに入国する人は全て、入国48時間以内に行ったコロナ陰性証明を提示しなければならないという規則を作り、それが3月30日零時に導入されたからだ(この検査は、PCR検査でも抗原検査でも良いのだが、往路同様オランダに一度入国するためには、出発72時間以内に行ったPCR検査が必要だったので、私は両方を兼ねるPCR検査を行うことにした)。政府の警告を無視して外国に出かける人がいるため、旅行への敷居を高くするのと、ウイルスがさらに国内に持ち込まれるのを防ぐための措置だ。帰国便の接続が悪かったため、日本出国からドイツ入国まで17時間もかかることがわかっていた私は、出発前日の4月18日に検査を受けるしかなかった。
ところが運悪くその日は日曜日で、PCR検査を受けられる検査所、しかも当日中に英語でも証明を出してくれるところがなかなか見つからなかった。家族や友人もインターネットで探してくれた。保健所や普通の病院は、「症状がなければ検査できない」の一点張り。空港にある病院に尋ねたらと言われて問い合わせたが、週末は閉まっているとの返事で、何のために空港にあるのかと八つ当たりしたくなった。ベルリンだけでなく、ドイツでは各地にたくさんの検査所があるので、日本でもそうだと思っていたが、全く事情が違ったのだ。海外に行く人がいることを余り想定していないからか、それともPCR検査への理解や評価が低いからかー。それだけにやっと大阪に検査をしてくれる診療所を見つけ、予約が取れた時は、ホッとした。しかし検査とは別に証明の発行に追加料金を取られ、合計2万8000円もしたのには驚いた。ベルリンと違って、検査結果がなかなか出なかったのにもイライラした。結果が出たのは何と当日の夜11時40分頃。確かに“当日中”だったのだが、もし結果が間に合わなければ、帰国便の変更が必要で、そうすれば再度PCR検査をしなければならないと、最悪の事態を想像して気を揉んだ。ジェットコースターに乗っているような体験で興奮したため、その夜はほとんど眠ることができず、翌19日の朝6時過ぎ、帰路につくため関西国際空港に向かった。
ベルリンの空港と同様、関西国際空港でのチェック•インでも、PCR検査の陰性証明を見せねばならかった。私がドイツに到着する19日22時は、日本時間では20日の5時で、私がPCR検査を受けたのは18日の14時だから、検査はドイツ入国48時間以内に行われていると、職員は間違いのないよう紙にボールペンでメモを取りながら確認していた。チェック•インを終え、これでドイツに帰れると私は一安心した。そこで改めて周囲を見回すと、空港は閑散としていて、いつもは長い行列ができているセキュリティ•チェックも、出国手続きも待ち時間はゼロだった。アムステルダムに向かう機内の乗客も、全員で30人に満たなかったのではないだろうか。
アムステルダムの空港に着くと、機体を出て搭乗橋渡りターミナルビルに入った所で、検疫官が数人待ち構えていた。しかし、PCR検査の陰性証明を確認するだけで、他には何も聞かれず、旅券の確認もなかった。コロナがそれほど蔓延していない日本からの便だったからなのか、どの便でもそうなのかは判断できない。ともかく少し肩透かしを食らった感じがしたが、ベルリン•ブランデンブルク空港に到着した時は、驚いたことに全く何のチェックもなかった。検疫官も空港の職員もいなくて、各自荷物をピックアップして空港を去っていった。つまり帰路でのコロナに関するチェックは、関西国際空港でのチェック•イン時の陰性証明の確認だけだったことになる。あの時、職員が真剣にチェックしていたのも頷ける。 ベルリンでは待機の義務がなかったため、到着の翌日から買い物に出かけたり、仕事をしたり、普通の生活をすぐ始めることができた。私の滞在中に日本ではコロナ•ウイルス変異株が蔓延し始め、第4波の訪ずれと大騒ぎが始まっていたが、帰国時にも、日本がコロナ危険地に指定してされていなかったことが幸いした。
この様に今回の 一時帰国はいつもと随分異なるものだったが、日本での強制的な待機は異様な経験として記憶に残りそうだ。日本以外にもこの様なコロナ水際作戦をとっている国はあるが、ドイツでは考えられないことだ。 ドイツではコロナ危険地から入国した人に対しても、あくまでも自主隔離が義務付けられているだけで、それは個人への信頼 の上に成り立っている。現在ドイツでは国内の感染状況の悪い地域に対して、22時から5時までの外出禁止令が出ているが、それでさえも移動の自由を保証している基本権を侵害しているという意見があるほどだ。到着した時の空港の検査で、陰性だった人を3日間も部屋に閉じ込めてしまうという日本の規則は、ちょっと行き過ぎた措置ではないだろうか。接触確認アプリと位置情報確認アプリをインストールしなければ入国できないという規則も、同じ様に個人の自由を侵害することにならないのだろうか?ところで、ここまでしてコロナの抑制に努めている日本が、オリンピック•パラリンピックを開くことに固執するのは、理解に苦しむ。これだけ世界中でコロナが猛威を振るっている中、世界各地から選手や関係者を招き入れて、本当に“安全安心”なオリンピック•パラリンピックを開催できると考えているのだろうか。欧米に比べてコロナ蔓延を抑えてきた日本、今までの成功を台無しにしない様、国民の健康を守ることを最優先にして欲しいと思う。
後記
日本のメディアの報道によると、日本は4月19日から水際対策をさらに強化し、日本入国時に必要なPCR 検査の証明に不備があったとして、日本人2人の入国を認めなかったそうだ。1人はアメリカから成田国際空港に到着した女性で、証明書に1ヶ月前の日付が記入されていたそうだ。もう1人は、オランダから関西国際空港に到着した男性で、日本では有効と認められていない検体を使った検査を受けていたという。この男性は、私と同じ様にアムステルダムのスキポール空港から関西国際空港に飛んだはずで、とても他人事とは思えなかった。2人とも、出発国に送還されたそうだが、オランダも入国者には出発72時間以内に行ったPCR検査の陰性証明の提示を求めている。この男性は、オランダに入国できたのだろうか?送還してその人物を移動させれば、本人や周囲の乗客を感染の危険に晒すことにもなる。到着した日本の空港の検疫で検査をし、その後検疫が指定した宿舎で待機させることはできなかったのだろうか?それにこんな強硬手段に出る前に、 厚生労働省は日本に入国するために何が必要か説明するホームページの内容を、もっとわかり易く書き直すべきではないだろうか。日本が日本人を入国させないという出来事に衝撃を受けながら、こんなことを考えた。