第3次メルケル政権誕生のいきさつとその特徴
今年の「仕事始め」の1月6日、「メルケル首相がスキーで転倒し、怪我した」というニュースが人々を驚かせた。第3次メルケル政権は選挙から約3ヶ月後の昨年12月17日に誕生したばかり、本格的な仕事を開始する矢先だった。これを機会に同政権誕生のいきさつを振り返り、新政権の特徴と課題についてお伝えする。
俗称ムッティ(お母ちゃん)と呼ばれるメルケル首相は、クリスマス休暇を過ごしていたスイスで、クロスカントリー中スピードが出ていない状況で転倒し、骨盤にひびが入る怪我をしたという。F1のシューマッハー選手のような重傷でなくて、なによりだったが、医師から少なくとも3週間の安静を命じられたという。首相はそれでも1月8日に行なわれた新年初の閣議には松葉杖をついて出席したが、ポーランド訪問などいくつかの日程は取りやめになった。新春早々の首相の怪我と執務制限は、新大連立政権の難しさを象徴する出来事だと見る向きもある。
昨年9月22日に行なわれた連邦議会選挙で、メルケル首相が率いる保守のキリスト教民主同盟とキリスト教社会同盟は勝利をおさめたものの、わずかの差で過半数を占めるにはいたらなかった。そのうえ、これまでの連立のパートナー自由民主党は惨敗、戦後初めて連邦議会への進出を阻まれたため、社会民主党との大連立を余儀なくされた。ライバルとして選挙戦を闘った国民政党同士が政策をすりあわせるのに時間がかかり、3党の間で連立協定の合意が生まれたのが、選挙後2ヶ月あまり後の11月27日だった。
普通はここで新政権の誕生となるのだが、今回はさらに異例のプロセスが加わった。ドイツの歴史上初めてのことだが、社会民主党のガブリエル党首がこの段階で、大連立に加わるかどうか、党指導部が交渉の結果まとめた連立協定に賛成するかしないか、社会民主党の一般党員(党員数、約47万4800人)の投票にかけることにしたのだ。全国の支部で投票が行われ、12月14日に開票された。一般党員の間では社会民主党は野党にとどまるべきだという意見が強いと見られていたのだが、予想外にも76%もの党員が大連立に賛成するという結果になった。底辺民主主義(Basesdemokratie)の手続きを踏んだガブリエル党首の試みは成功し、同党首の党内外での評価は高まった。
その後ようやく3党の閣僚人事が公式に発表され、12月17日、連邦議会で行われた首相選出選挙で、59歳のメルケル首相は賛成多数で3度目の連邦首相に選ばれた。同日第3次メルケル政権が誕生したが、メルケル首相にとって社会民主党との大連立は、2度目である。連邦首相と閣僚15人、あわせて16人のうち女性はこれまでと同じ6人で、半数には達しなかった。所属政党はキリスト教民主同盟が7人(うち女性はメルケル首相を含めて3人)、バイエルン州を基盤とするキリスト教社会同盟は3人(全員男性)、社会民主党が6人(女性は半数の3人)。
政務次官レベルでは女性の進出が目立った。まず首相府の3人の国務長官のうち2人が女性で、そのうちの1人、移民の統合問題担当はトルコ系(社会民主党)で、こうした地位に移民の背景を持つドイツ人がついたのは初めてである。また、各省あわせて30人の政務次官のうち、女性は13人、家庭・高齢者・女性・青少年省と労働・社会省は、大臣と2人の政務次官全員が女性で、保健省は男性大臣に2人の女性政務次官となっている。一方、財務省、法務省、内務省、経済協力省の4省は大臣も2人の政務次官も全員が男性だ。
今回の閣僚人事で最も注目されたのは、初の女性国防大臣の誕生である。これまで労働・社会相を務めたキリスト教民主同盟のフォン・デア・ライエン氏が、ドイツ連邦軍(総兵力、約25万人)を統括する省のトップに就任したのだ。現在55歳のフォン・デア・ライエン氏の本来の職業は医師で、7人の子供を産み、育てたことで知られている。小柄でほっそりした体つきでいつも微笑みを絶やさない同氏はしかし、大変精力的で意欲的、時には党の方針とは異なる独自の方針を打ち出し、保守陣営内に論議を巻き起こすことも稀ではなかった。メルケル首相との関係も微妙だと思われていたが、この国防相への抜擢で、メルケル首相の後継者としての地位を固めたと見られている。もっとも、国防省は問題が多い難しい省で、これまでの男性国防相のなかでも問題なく任期を全うした人は少ない。新国防相は就任後ただちにアフガニスタンのドイツ連邦軍部隊を訪問、クリスマスを異国で過ごす兵士たちを慰問し、ISAF(国際治安支援部隊)の指揮官と話し合った。子どもの頃ブリュッセルで学校に通い、アメリカ、イギリスの大学で学んだフォン・デア・ライエン氏はフランス語も英語も堪能だが、アフガニスタンからの連邦軍の撤退や連邦軍内部の改革が今後の課題となる。
第3次メルケル政権は、エネルギー転換の促進という重要課題を抱えている。その新政権のもう一つの特徴は、社会民主党の「スーパーミニスター」の誕生と言えるだろうか。3党の交渉の結果まとめられた大連立協定には、最低賃金制の導入など(導入時期が同盟側の要求で2017年と遅くなったことが批判されてはいるものの)、社会民主党の政策が大きく反映されたと見なされている。それにはガブリエル党首が貢献したと一般には理解されているが、そのガブリエル党首は連邦経済相兼副首相として入閣した。しかも、新しい経済省は、これまでの経済省とは同じものではない。エネルギー問題をめぐって組織改革が行われたのだ。これまで連邦環境省の管轄下にあった再生可能エネルギーの促進が経済省の管轄下に移り、正式名称も連邦経済・エネルギー省と変わった。これまでの連邦政府では、エネルギー問題の管轄が経済省と環境省にまたがっていたため、両省の利害が対立、再生可能エネルギー促進に関する問題の解決策が思うように進まないという弊害が見られた。そのため産業界とバランスをとりながらエネルギー転換を進めるための強力な拡大経済省がつくられたのだ。大きな権限を与えられたガブリエル新経済相は「スーパーミニスター」などともてはやされているが、非常に難しい課題を背負ったわけで、その責任は極めて重い。
また、連邦環境相にはこれまで財政問題が専門と見られてきた社会民主党の女性、ヘンドリックス氏が就任した。同省は再生可能エネルギーの管轄を失ったが、連邦運輸・建設省から都市計画・住宅建設の管轄を引き受けた。これはドイツで最も多量のエネルギーを消費する分野で、省エネの可能性も高い部門だ。この省の新名称は、連邦環境・自然保護・建設・原子炉安全省。エネルギー問題・環境保護関係の省は2つとも社会民主党の政治家の手にゆだねられたが、その事務次官には緑の党の党員や緑の党に近い環境保護派が任命されているのも注目される。そのため、「黒・赤大連立の中の赤・緑小連立」などとも揶揄されている。ドイツでは政党をシンボルカラーで表す。黒はキリスト教民主・キリスト教社会同盟、赤は社会民主党、緑は緑の党など。黒・赤・緑の協力は、エネルギー転換が与野党一致して解決すべき重要問題であることを示すものだとも言える。
メルケル首相は「新政権には3人の元・前環境相がいる(自分自身、ガブリエル経済相、アルトマイヤー首相府長官)」と語ったが、これはガブリエル経済相を牽制する言葉であると同時に第3次メルケル政権のエネルギー政策重視を強調する言葉であるとも受け取られている。
メルケル首相自身は特にヨーロッパ問題、ユーロの安定に力を入れる意向のようだが、そのために欠かせないのがショイブレ財務相の存在である。現在71歳のキリスト教民主同盟の政治家は、かつてはコール元首相の後継者と見られた敏腕政治家だが、コール元首相のスキャンダルに関連してキリスト教民主同盟の党首の地位をメルケル氏に譲らなければならなかった。1990年の選挙運動中に襲撃され、以来車椅子の身となったが、第1次メルケル政権のときは内相として、第2次政権では財務相として、メルケル首相を補佐してきた。今回もメルケル首相にとっては、ショイブレ財務省の留任が組閣の最大の関心事だったとも伝えられる。
新政権が誕生した時、首都ベルリンで発行されている新聞、ベルリーナー・ツァイトゥングは「メルケル時代の終わりの始まり」というタイトルの解説記事を載せた。この記事を書いたダニエラ・ファーテス記者は「去年の連邦議会選挙の勝利でメルケル首相のキャリアは頂点に達した」と見ている。同記者は、「ドイツはコール首相から自由にならなければならないと訴えて、コール首相の長期政権を終わらせるために大きな役割を果たしたのはメルケル氏自身だった」と指摘、「ドイツはメルケル首相から自由にならなければならないことを自ら悟るべきである」と今期で政界のトップであることに終止符を打つよう薦めている。
3期12年の任期が終わる時、メルケル首相は62歳、夫のザウアー氏は67歳であることを指摘して、「学者の夫とともに悠々自適の生活を送るため今期で政界から身を引くのではないか」と予想する論調もある。しかし、本当にそうだろうか。リスクを伴う大きな課題はライバルの政治家たちに任せている新政権の閣僚人事をじっと眺めていると、これまでライバルの男性政治家たちを格上げする形で排除してきたメルケル首相の深謀遠慮ぶりが思い出されてくるのだ。第3次メルケル政権の任期が終わる時、無傷で残れた政治家は黒・赤両陣営内でメルケル首相だけということもあり得ないことではないのではないか。いずれにせよ次の3年あまりの間にはドイツの政界にもいろいろなことが起こるはずで(連立協定で決まったことを早くも否定する閣僚も現れている)、興味津々、目が離せない。