ようやく成立した第4次メルケル政権

永井 潤子 / 2018年3月18日

3月14日、水曜日の午前9時からドイツ連邦議会では、連邦首相選出の選挙が行われ、アンゲラ・メルケル氏(63歳)が4度目の連邦首相に選ばれた。これを受けてメルケル首相を含む16人の閣僚たちは、大統領府でシュタインマイヤー連邦大統領の任命を受け、その後さらに連邦議会での宣誓式に臨んだ。昨年9月24日の連邦議会選挙から171日目にして、ようやく新政権が成立したのだ。政権の樹立にこれだけ長い時間を必要としたのは、1949年のドイツ連邦共和国設立以来初めてのことである。連邦議会と連邦大統領にとって注目すべき日となったこの日の様子を、メディアの論調も含めてお伝えする。

この日の朝、連邦議会に姿をあらわしたメルケル首相は、黒のズボンに白いジャケットというスッキリした服装だった。いつもはカラフルな上着が多いのだが、この日はとてもシックでモダン、爽やかな印象を与えた。議場の上の来賓席には、メルケル首相の89歳の母親、ヘルリンド・カスナーさんのほか、夫のヨアヒム・ザウアー教授など関係者がずらりと並んでいた。ザウアー教授が夫人の連邦首相選出の場に姿を見せたのは今回が初めてのため、ジャーナリストたちの関心をひいていた。これまでの3回は参加しなかったザウアー氏が今回首相選出の場に立ち会ったのは、「これが最後のチャンスだからだろう」とか「困難が予想される夫人を励ます気持ちからだろう」といったさまざまな憶測を呼んだ。

来賓席には新政権の閣僚に就任することが決まっているが、連邦議会の議員ではない5人も座っていた。財務相に就任予定のオーラフ・ショルツ氏(これまでのハンブルク市長)と内相に就任するホルスト・ゼーホーファー氏(これまでのバイエルン州首相)、それに家庭・女性・青年相に抜擢された東部ドイツ出身の39歳の女性、フランチスカ・ギファイ氏ら5人で、彼らは来賓席から議員の投票を見守った。また、メルケル首相の後継者とも見られるキリスト教民主同盟の新幹事長、アネグレート・クランプ=カレンバウアー氏(前ザールラント州首相)の姿も見られた。

一時間足らずでヴォルフガング・ショイブレ連邦議会議長が投票結果を発表したが、賛成票は364票、反対票は315票だった。第1回の投票で必要な過半数は355票だったから、それよりわずか9票多いだけだった。それでも過半数には達したので、2回目の投票は避けられた。しかし、大連立政権を組むキリスト教民主同盟(CDU)とバイエルン州を基盤とするその姉妹政党、キリスト教社会同盟(CSU)、それにドイツ社会民主党(SPD)の連邦議会議員は合わせて399人、そのうち、35人がメルケル首相の続投に賛成票を投じなかったことが注目された。ショイブレ連邦議会議長は投票結果を発表した後、メルケル新首相に対し、「大きな課題を遂行するための力と成功、そして神の祝福を心から願う」とお祝いの言葉を述べた。メルケル首相自身はその後「賛成票は予想以上に少なかったが、選出されたことを単純に嬉しく思う」と淡々と語っていた。

この投票結果について翌3月15日の南ドイツ新聞は次のように論評している。「メルケル首相に対する賛成票がいくらか少なかったことは、非常な驚きではなかったし、大きな不幸でもなかった。むしろ、正常なことといえる。新しい大連立に疑問を持つ議員が多かったことの反映であり、ここ数カ月にわたる激しい議論からある程度予想できる結果であった。ようやく新しい政権が発足することになったが、この新政権はいずれにしてもメルケル以後に向けた過渡的な政権である。2005年以来3度目の大連立は、これで十分なはずである」。

今回の連邦議会での首相選出選挙では、これまでにないハプニングが起こった。ショイブレ連邦議会議長は、今回初めて連邦議会進出を果たした右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」所属の連邦議会議員、ペートゥル・ビストロン氏に対して議院規則に違反したとして1000ユーロ(約13万円)の反則金を払うよう申し渡した。同議員は「反対」と記した自分の投票用紙を写真に撮り、ツイッターで拡散したといい、秘密投票を原則とする議院規則に違反した罪が問われた。また、傍聴席にいた一人が「メルケルは去れ!」と書かれた横断幕を突然広げたが、この人物もAfD 所属の地方議員だった。AfDが連邦議会に議席を占めることになった事実を浮き彫りにする事件だった。

これまでになかったことがもう一つあった。大統領府のあるベルビュー宮殿で閣僚の任命式が行われた際、男性9人、女性7人の全閣僚に辞令を手渡したシュタインマイヤー大統領が、新政権に対し、異例の厳しい注文をつけたのだ。

新政権は失われた国民の信頼を取り戻さなければならない。そのためには古い政権の焼き直しでは十分ではない。新しい政権は、新しい政治のやり方で真価を発揮しなければならないならない。新政権は、世界の大きな政治についてだけではなく、国内の日常的な問題について国民の声に耳を傾け、彼らの悩みを注意深く見つめていかなければならない。これからの数年間は、民主主義が守られるかどうかの試練の時となる。

連邦大統領が新しい政府に対して、このような警告の言葉を述べたのは異例のことである。もともと、このシュタインマーヤー大統領の熱心な働きかけがなかったら、今回の大連立政権は誕生していなかった。メルケル首相は昨年9月の連邦議会の選挙の後、自由民主党(FDP)と緑の党との連立を組もうとしたが、長い交渉の後11月にFDPが連立交渉からの離脱を表明したため、この試みは失敗した。一方、選挙で得票率を減らしたSPDは選挙後直ちに野に下ることを宣言していたため、残された道はCDU・CSUによる少数政権か選挙のやり直ししか道がないと一般には考えられていた。その時に介入したのがシュタインマイヤー大統領だった。大統領は二大政党には国民大多数の委託を受けて安定した政権を樹立する義務があるとして、特にSPDの当時のマルティン・シュルツ党首に翻意を促した。シュルツ党首はその意を受けて方向転換したが、SPDの一般党員の中にはメルケル政権に参加することに反対の意見が強く、そのために三度目の大連立に参加することを決めるまでに時間がかかったし、全党員の郵便投票では党員の三分の一が最後まで反対の姿勢を崩さなかった。

シュタインマイヤー大統領の強力な働きかけは、「ドイツ連邦共和国の大統領は日本の天皇と同じように象徴的な力しか持たない」と考えていた人たちを、もしかしたら驚かせるかもしれない。しかし、これは決してシュタインマイヤー大統領個人の越権行為ではなく、憲法である連邦基本法に基づいての行動だった。「選挙のやり直しをしたら、さらに混迷が深まる」と見た大統領は、選挙後連邦憲法裁判所の長官と協議して、連邦基本法の63条に基づく大統領の権限を行使したのだった。

ドイツの国際公共放送ドイチェ・ヴェレのクリストフ・シュトラック記者は「新政府は失われたた信頼を取り戻さなければならない」という見出しの解説の中で次のように論じている。「ドイツ国内の貧困や社会の格差・断絶の問題、難民やヨーロッパの問題など内外の重要課題が山積する中、ようやく全面的に機能することのできる新政権が樹立されたのは、喜ばしいことである。何ヶ月にもわたる議論を通じて、ドイツの政治システムがこれらの困難な課題に対応する準備ができていることが確認された」。また、同記者は「今回の大連立政権樹立にあたって、連邦大統領が象徴的な存在以上のものであることも明らかになった」と指摘している。

フランクフルトで発行されている全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」では、ベルトルト・コーラー記者が「メルケル現象」という記事の中で「メルケル首相の特殊性」を分析している。「旧西ドイツの男性政治家が支配的な統一後のドイツで、旧東ドイツ出身の女性がこれまで12年間も連邦首相の地位にあったことは驚きに値する。メルケル首相はこれからも連邦首相の地位に留まることになったが、それは彼女が多くのドイツ人に対して、『彼女に国政を任せておけば安心だ』という感情を抱かせることができたからである。ジャーナリストたちはメルケル首相にヴィジョンや新しいプロジェクトを要求するが、彼女の成功の理由はそういうところにあるのではない。難民問題が発生した2015年秋までは、メルケル首相はすべての危機を乗り越えてきた。だが、その時代にも終わりが近づいてきた。1年前までは連邦大統領も東ドイツ出身のガウク大統領だったが、今後、東部ドイツ出身者が首相や大統領に就任する可能性はなさそうだ」。

新しい連立政権の基盤が不安定だとする見方が多い中で、ここベルリンの日刊新聞「ターゲスシュピーゲル」は「それでは良い政治を行ってください」という見出しの記事の中で、ポジティブな論を展開している。

新政権に期待するポジティブな点がいくつもある。新政権は連立協定の中で少なくとも3つの点、年金を引き上げ、教育を改革し、高齢者の介護に力を入れることをうたった。新政権が樹立されるまでの170日間あまり、暫定政権によって政治は続けられ、政治も経済もマイナスの影響は少なかった。その間の政治的な議論は激しかったが、ドイツ連邦議会と連邦政府は今後も中道で、バランスのとれた道を目指し、尊厳に満ちた姿勢を崩すことはないだろうという感触を抱くことができた。ようやく新政権が樹立されたが、安定を目指す新政権がまさに適切な時期に誕生した。

メルケル首相は就任後のテレビインタビューで、「新政権は177ページにのぼる連立協定に基づく政策を忠実に実行していく」と述べたが、「国民の悩みや苦しみに寄り添った政策によって、右翼ポピュリズム政党AfDに抗議票を入れた有権者の支持を取り戻し、できたら次期連邦議会にAfDが席を占めないようにしたい」と強調していたのが印象に残った。

AfDは特に東部地域で勢力を伸ばしたが、ドレスデンで発行されている新聞「ゼクスィッシェ・ツァイトゥング」は「メルケル首相のドイツおよびヨーロッパにおける名声に陰りが見えてきたのは事実だが、少なくとも彼女の政策はある程度予測できるし、誠実に職務を遂行すること、地味で、もったいぶらない性格であることは間違いない。こういう風に書き連ねると、すべて退屈に響くが、不安定な世界を見回すと、このような特徴は評価できないものではない」と指摘している。

ドイツ西部のコブレンツで発行されている新聞「ライン・ツァイトゥング」は、次のように予測している。「大連立を組んだCDU・CSUとSPDが本当に国民の信頼を取り戻せるかどうかは、次の各州議会選挙で明らかになるだろう。最初のテストは今年秋に行われるバイエルン州議会選挙とヘッセン州議会選挙である。そして来年2019年にはヨーロッパ議会選挙と東部3州の州議会選挙が控えている。新政権をになう3党は、それまでに国民が日常的に抱える問題の解決に成果をあげなくてはならない」。

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