ドイツのクリスマスと日本のお正月

永井 潤子 / 2012年1月1日

今年もクリスマスは我が家に親しい人を招き、メクレンブルク 風の鴨の丸焼きをして、静かに、しかし楽しく過ごした。クリスマスのご馳走に鴨の丸焼きをするようになって、もう30年ほどになる。きっかけは、一人暮らしで寂しい日本人の友達をクリスマスに我が家に呼ぶようになったことで、最初の集まりでこのご馳走が好評だったため、その後も毎年繰り返している。このメクレンブルク風鴨の丸焼きは、ケルン時代に親しくなった旧東ドイツ・シュヴェリーン(Schwerin, 統一後はメクレンブルク・フォアポンメルン州の州都)出身の女友達に教わったもので、前の晩から干しプラムと干しぶどう、細かく切ったリンゴをコニャックに漬けておき、それを当日、塩こしょうした鴨の胴体に詰めてオーブンで焼くだけ。しかし、鴨のうまみに干しプラムや干しぶどうなどの自然の甘みが加わって、何ともいえずおいしく、今ではこれを食べないとクリスマスが来たような気がしなくなってしまった。

ドイツのクリスマスは、ちょうど日本のお正月のように家族揃って静かに過ごすのが普通だ。普段は別れ別れに暮らしている家族たちも1年に1度集まって、一緒にクリスマスを祝い、生きていることを喜びあう。クリスチャンは教会に行って神や生と死などの問題について考え、教会に行かない人も自分自身の“越し方行く末 “について考えをめぐらせ、世界の平和や社会のあり方などにも思いを馳せて静かに過ごす。もっとも、個性の強いドイツ人のなかには、せっかく家族が集まりながら、理想とは裏腹に最後は家族同士の喧嘩になることが多いとも聞くが、、。いずれにしてもドイツのクリスマスは、どんちゃん騒ぎのクリスマスパーティーとは無縁な、静かで瞑想的な時なのである。

クリスマスの休日はドイツでは、12月24日のクリスマスイブの午後から26日のクリスマスの2日目まで(フランスはたしか25日まで)2日半におよぶ。その間はデパート、スーパーはもとより、ほとんどの商店やレストランが閉まってしまう。そのため家族のいない一人暮らしの者は、いつにも増して孤独感を味わうことになる。クリスマスに家族と遠く離れて寂しい日本人の友達を我が家に呼ぶようになったのは、自分自身の体験から来ている。親しくなったドイツ人の友達のなかには、クリスマスに実家に招待してくれる人もいる。しかし、私自身は、家族同士が祝う席に異端者の自分がいるのはどうも居心地が悪いと感じてしまうのだった。それなら同じような立場の日本人の仲間とくつろいだ時を過ごしたいと思ったのが、我が家の鴨の丸焼き付きクリスマスの歴史のはじまりである。大家族の家庭では鴨よりも大きなガチョウの丸焼きをすることが多いが、七面鳥はあまり使われない。鹿やキジ、ウサギなどの野生動物も、しばしばクリスマスのご馳走のテーブルに乗る。

こうしたドイツのクリスマス、それに4週間前から開かれるクリスマス市やさまざまなコンサート、バザーなどの催しが行なわれるクリスマス前の雰囲気はとても気に入っているのだが、これに反してドイツのお正月は何ともあっけない。こちらでは新しい年を迎える瞬間が大事なので、大晦日の夕方から友人、知人などが集まってにぎやかなパーティーを開き、その瞬間を待つ。大晦日の伝統的なご馳走としては鯉料理が有名である。新しい年を迎えるその瞬間になると、花火をあげ、シャンペンで乾杯し、誰彼となくキスをし、大晦日に付き物の揚げパンを食べ、明け方までダンスをするなどして、にぎやかに過ごす。中にジャムが入っている揚げパンは普通ベルリーナーと呼ばれるが、ここベルリンではそうは言わず、単にプファンクーヘン(揚げパン)である。

ドイツ統一後のベルリンでは、かつての分断の象徴、今では統一のシンボルとなったブランデンブルク門前での大晦日の野外パーティーが人気を集め、ドイツ国内はもとより海外からもこのパーティーに参加しようと大勢の人が集まってくる。去年は大雪の中の野外パーティーに延べ100万人が参加したというから驚いてしまう。各国のテレビはその模様を実況中継するが、新しい年を迎えた瞬間に夜空に打ち上げられる花火のすばらしさは、やはり一見の価値がある。いずれにしても大晦日から元日の朝にかけて大騒ぎするので、元旦はドイツ人の多くが寝正月である。ドイツのお正月はそれでおしまいだから、毎年、日本のお正月の雰囲気がとても懐かしくなる。

ドイツではクリスマスには連邦大統領が、そして大晦日・元日には連邦首相がテレビ、ラジオを通じて国民に挨拶することになっているが、今年のヴルフ大統領のクリスマスの挨拶は特に注目を集めた。ドイツの大統領は政治的に大きな権限を持つアメリカやフランスの大統領とは違って、象徴的な国家元首に過ぎないが、それだけに国民の尊敬を集める道徳的な存在でなければならない。だが、ヴルフ大統領は今、ニーダーザクセン州首相時代に家を購入した際の融資をめぐって、マスメディアの批判を浴びている。そのさなかのクリスマスの挨拶だったため、大統領が挨拶の中でこの問題に触れるかどうか注目されたのだが、結局何も触れられなかった。ヴルフ大統領の挨拶は最近明らかになったネオナチの犯罪への警告が中心で、ドイツ社会には外国人排斥や人種差別を受け入れる余地はまったくないと強調し、宗教や人種、文化の違いを乗り越えて融和を目指し、寛大な社会を築くよう国民に呼びかけるものだった。マスメディアのなかには大統領の辞任を要求する声も強くあり、新しい年にどのような展開を見せるか注目される。

一方、メルケル首相が大晦日の夜にテレビ・ラジオを通じて行なった新年の挨拶は、ヨーロッパとその通貨、ユーロが中心テーマだったが、冒頭で日本の未曾有の災害について触れたのが印象に残った。メルケル首相は、去りゆく年を振り返って“アラブの春”と並んで日本の大地震と津波、原発事故の壊滅的な影響をあげ、「2011年は疑いもなく深刻な変動、変革の年であった。ヨーロッパにとっても同様で、各国の財政危機問題では息つく暇もなかった」という言葉で、今年の新年の挨拶を始めたのである。しかし、メルケル首相が強調したのは、東西ヨーロッパが平和のうちに統合され、平和と自由、人権擁護という価値観に基づく社会が誕生したのは、歴史の大きな贈り物であったことを忘れてはならないという点で、ユーロの効用、10年前に共通通貨、ユーロのお札を手にした時の喜びも思い起こしている。メルケル首相は、ユーロの安定を維持するために全力を尽くすことを強調する一方で、その対策が成功を収めるには、ヨーロッパ各国が過去の失敗から学ぶ必要があるとも指摘している。

新しい年は2011年より間違いなく厳しい年になると見ているメルケル首相だが、ドイツがそれでも比較的良い状態に置かれているのは、ドイツで生活するすべての人の勤勉と努力のおかげであると感謝の言葉を述べ、国民を勇気づけることも忘れてはいない。首相の挨拶はさらに次のように続く。経済は成功しなければならないし、金融も危機に耐えられるものでなければならない。しかし、我々の生き方は環境に合ったものでなければならない。エネルギー政策のコンセプトをいち早く変更した(注:脱原発のスピードを速めた)のは、そのためである。我々は次の世代の重荷になってはならず、環境の負担になってもいけない。こう述べたメルケル首相は、100人以上の専門家と将来の問題を考えるための討議をはじめたことを明らかにし、2月以降は国民の誰もがインターネットで議論に参加できるようにするので、どんどん参加して有意義な提案をして欲しいという希望を述べた。メルケル首相の新年の挨拶は詩人ハインリッヒ・ハイネの次の言葉、「ドイツとは我々自身のことである」で終わっている。

 

 

 

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