「慰安婦」を知るための映画月間に参加して
この11月、ベルリンの中心部にあるフンボルト大学で、ある映画月間が開催された。「Women’s Bodies as Battlefield」と題し、いわゆる「慰安婦」をテーマに取り上げたドキュメンタリー作品6本が、毎週水曜夜、全5回にわたって上映された。それぞれ韓国、中国、フィリピン、インドネシア、台湾の元「慰安婦」を取材している。第二次世界大戦中、アジア各国で日本軍の「従軍慰安婦」制度の犠牲となった女性がいかに多かったか、彼女たちのその後の生活がいかに困難なものだったかを知る機会となった。
映画月間のパンフレット。写真は、上映作品「わたしたちは美しかったから」より。
主催は「コリア協議会」と「ベルリン女の会」で、それぞれベルリンで活動する韓国と日本のグループである。上映されたのは、「ナヌムの家Ⅱ」(韓国/1997年)、「太陽がほしい」(日本/2015年)、「忘れられた性奴隷 - フィリピンの『慰安婦』たち」(ドイツ/2015年)、「パパック・ハウスの物語」(インドネシア/2011-17年)、「わたしたちが美しかったから」(オランダ/2010年)、「葦の歌 - 隠された50年間の秘密」(台湾/2015年)の6本である。会場が大学の講義室だったこともあり、わたしと同じような20代や30代の参加者も多く見られた。毎回の上映後のディスカッションの時間には、映画監督やこの分野に精通する専門家に、熱心に質問するベルリンの若者たちの姿も目立った。
「太陽がほしい」上映後、監督を迎えてのディスカッションの様子。 ©YAJIMA Tsukasa
なかでも個人的に印象に残っているのは、日本在住の中国人監督・班忠義氏の「太陽がほしい」だ。本作では、撮影チームが中国西部に住む元「慰安婦」の女性たちを訪ねている。彼女たちが「慰安婦」だったということ以前に、その貧しい生活を見てまず大きなショックを受けた。戦時中、そして戦後の悲しい記憶を語る女性たちの姿は、悲劇そのものだった。日本政府からの謝罪や賠償があることはおろか、中国政府からも見捨てられたと言っても過言ではない。決して清潔とはいえない洞窟のような家に住み、まともな医療を受けることもできず、撮影チームはそういった女性たちの支援活動も行っていた。
5回の上映会を通じて、各国の元「慰安婦」の女性たちが置かれている状況に、大きな違いがあることも明確になった。たとえば、韓国や台湾には自国の政府や民間団体の支援があるが、中国やインドネシアにはない。上映された「わたしたちは美しかったから」で取材しているのも、インドネシア人ではなくオランダ人グループである。そもそも個人の悲しみは比べられるものではないが、バックアップがあるかないかで、女性たちの表情の険しさにもずいぶんと違いがあるように見えた。
映画月間が終わり、わたしのなかで強く疑問に思ったことがひとつある。それは、なぜ日本軍によって傷つけられた女性たちを、被害者側の国もしくは他国のひとびとが率先して支援しなければならないのか、ということだ。日本では、女性たちを支援するという以前に、歴史を塗り替えようと躍起になる人さえいるのが現状だ。最終日に上映された「葦の歌」のなかで、ひとりの台湾人女性が日本政府に対して日本語でこのように語るシーンがあった。「お金はいらない。謝ってもらえればいい」。彼女たちが心から望んでいるのは、日本が真実を認めるということなのだ。戦後から72年、チャンスはいくらでもあったはずなのに、被害にあった女性たちのほとんどは、もうすでに亡くなっている。過去の過ちを認めること、真実を後世に伝えることは、彼女たちのためにできるせめてもの態度だと思う。このような映画月間が開かれたことも、そういったアクションのひとつになったと信じたい。
*作品情報
「ナヌムの家Ⅱ/The MurmuringⅡ – Habitual Sadness」韓国/1997年
「太陽がほしい/Give Me the Sun」日本/2015年
「忘れられた性奴隷 - フィリピンの『慰安婦』たち/Forgotten Sex Slaves – Comfort Women in the Philippines 」ドイツ/2015年
「パパック・ハウスの物語/The Story of Papak Building」インドネシア/2011-17年
「わたしたちが美しかったから/Because You Were Beautiful」オランダ/2010年
「葦の歌 - 隠された50年間の秘密/Song of the Reed. A Secret Buried for 50 Years」台湾/2015年
*写真提供
YAJIMA Tsukasa / http://www.tsukasa-yajima.com/