ドイツでも増えている、ウクライナからの避難民

池永 記代美 / 2022年4月10日

2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻してからすでに1ヶ月以上が経った。欧米諸国などからの再度の停戦の呼びかけを無視し、ロシア軍はウクライナ各地で砲撃やミサイルなどによる攻撃を続けている。ベルリンに住んでいると、この戦争が近くで行われていると、ひしひしと感じる。毎日のように、ウクライナから多くの避難民が来ているからだ。

目的地はどこなのか。ベルリン中央駅で一休みするウクライナからの避難民。小さな子供を連れた女性がとても多い。

国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) によると、ウクライナから国外に避難した人の数は4月8日現在443万6604人で、これはウクライナの人口の1割以上に当たる。2015年から2016年にかけて、シリアやアフガニスタンなどから多くの難民が欧州連合(EU) に来たが、その数は年に130万人ほどだった。今回の戦争では 1ヶ月半ですでに約395万人の避難民がEUに来ており、受け入れ側のEUにとっても事態がより深刻であることがよくわかる。ウクライナを脱出した人のうち、約250万人が隣国ポーランドに避難したのだが、ポーランドを通過してドイツに来た人も、把握できているだけで約30万人に達している。彼らの主な到着口になっているのが、ベルリン中央駅だ。

首相府や連邦議会の建物のすぐ近く、まさにベルリンの中央にあるベルリン中央駅。

ウクライナ語、ロシア語、ドイツ語、英語でか説明が書いてあるポスターが、駅の構内あちこちに貼ってあった。

2006年に完成したベルリン中央駅は、長距離列車だけでなく通勤や通学に使う近郊列車も乗り入れているため、いつも賑わっている。3月の上旬から何度か駅を訪ねてみたが、地下2階、地上3階のこの大きな駅が、まるでウクライナからの避難民の受け入れ施設のようになっていた。この時期、ベルリン中央駅には日に8本あるポーランドからの列車がウクライナからの避難民を運んで来ていたが、駅のあちこちに青と黄色のウクライナの国旗の色を使ったポスターが貼ってあり、構内のどこに行けばどんなサービスが受けられるかが、分かるようになっていた。電車を乗り継いでドイツの他の地方に向かう人のために、ドイツ鉄道は仮設窓口をいくつも設けていたし、地下1階のフロアには衣服コーナー、衛生品コーナー、食料品コーナー、子供が遊ぶコーナーなどが設けられていた。まだ寒い時期だったので温かいスープの炊き出しもあり、そこには座って食事ができるように、ビアガーデンで使う簡易テーブルと椅子がいくつも設置されていた。

「戦える年齢の男性はウクライナから出られないので、避難民には女性と子供、老人が多い」と聞いていたが、その通りだった。子供を抱いた上に大きな荷物を持って移動が大変そうな母親や、杖や歩行器を利用している老人を少なからず見かけた。そうした避難民の世話をしたり、いろいろなコーナーで物資を配ったりして活躍していたのが、オレンジや黄色の蛍光色のヴェストを着たボランティアの人たちだった。実はこの“仮設受け入れ施設”は、民間団体とボランティアが自主的に作ったものだという。ボランティアの受付に行くと、誰でもいつでも、支援活動に加われると言われた。ボランティアを申し出ると、テープにマジックで名前と話せる言語を書いてくれ、それをヴェストに貼ることになっている。食料を配っているある男性ボランティアに話を聞くと、元難民のクルド人で、「今度は自分が他の難民の役に立ちたいから、空いている時間はここに来ている」とのことだった。

ボランティアは必ず最初にブリーフィングを受ける。新しく来た人がすぐ加われる様に、ブリーフィングは30分に1度行われているという。

ドイツから1000キロも離れていないウクライナで戦争が起きているということもあり、避難民のために何かしたいというドイツ市民は非常に多い。一番簡単な方法は、お金や物の寄付だが、中には避難民を自宅に受け入れるという人たちもいる。部屋を提供したいという市民と、住む場所を探している難民の仲介をするサイトもすぐ立ち上がった。

今回のウクライナからの避難民とシリア内戦による2015年前後の “難民危機”では、欧州各国にとってその規模が異なるが、その反応も当時とはかなり違う。顕著なのは ポーランドとハンガリーだ。この2カ国は、前回の危機ではEU が決めた加盟国間での難民受け入れ分配策に強固に反対した。ハンガリーに至っては難民が入れないよう、セルビアとの国境にフェンスを設けたほどだった。ところが今回は両国の政府も市民社会も、ウクライナからの避難民を暖かく迎えている。ウクライナは東方正教会の信者が多く、宗派が異なるとはいえ同じキリスト教徒であるため、受け入れ側は違和感をあまり感じないのだろう。それに以前からロシアの脅威を訴えていたポーランドには、「明日は我が身」という危機感もあるようだ。 また、言語も似ていて共通の文化を持つポーランドでは、戦争が勃発する前からすでに140万人ほどのウクライナ人が働いていて、市民レベルの接点がたくさんあったことも、今回の対応につながったと思われる。

チェコからの列車にもウクライナからの避難民が乗っていることがある。助けが必要な人は声をかける様に、ボランティア(この日は緑のヴェストを着ていた)がウクライナ語で呼びかけていた。

避難民への対応の違いは、EU全体にも当てはまる。そもそもEUは、EU加盟を望むウクライナに対して、加入の前提として国内の改革を進める見返りに、ウクライナ人はビザ無しでEUに入国し、90日まで滞在を認めるいというルールを2017年に導入していた。このようにウクライナ人が中東やアフリカの国の人々より有利なステータスをすでに持っていたこともあり、EUはこの度ウクライナの避難民に対して「一時保護規則」を適用したのだ。この規則は、1990年代のユーゴスラビア内戦時のように大量の難民が発生した時のために、EUが2001年に作った規則で、今回、EU加盟国全ての同意の下、初めて発動された。この規則に基づき、ウクライナでの長期滞在権をもつ第三国人も含めてウクライナからの避難民には難民申請が免除され、誰でもEUに入国できるだけでなく、EU圏内を自由に移動してよいことになった。EUでの滞在は最高3年まで認められ、住むことになる地区の役所に登録すれば社会保障や教育•医療サービスを受けることができ、滞在許可を取得すれば、労働許可も得られることになった。

ウクライナのワクチン接種率は35%と低い。駅構内で抗原検査が受けられる。ボランティアも陰性であることを事前に確認することになっている。

中東やアフリカから来た人々のような“普通”の難民には、 居住地を選ぶ自由や移動の自由はなく、労働許可も一定の期間を経ないと下りない。その上、難民申請の結果が出るまで何年も待たされた挙句、それが却下されれば強制送還されることもあるのだから大きな違いだ。こうした難民の出身国による待遇の違いは差別だという声が難民支援団体などから上っている。しかし、ウクライナからの避難民も難民申請が課されれば難民局の仕事が膨大に増え、他の難民も審査に時間がかかるなどその弊害を受けることになったはずだと言う。難民問題の専門家でEuropean Stability Inistative代表のゲラルト•クナウス氏は、今回EUがウクライナからの避難民に対して寛容な「一時保護規則」を適用したのは、難民政策上の進歩で画期的なことだと評価した。

ドイツに来たウクライナ避難民は約30万人が把握されていると書いたが、ポーランドとドイツの国境では入国コントロールはないため入国者数は不明で、実際はもっと多くのウクライナ人がドイツに来ていると思われる。その多くが、ドイツに約14万人住んでいるウクライナ人の家族や友人を頼って、自力でドイツ国内を移動しているのだ。そこでドイツは、ウクライナからの避難民はパスポートを見せれば、無料で鉄道やバスを利用できると決めた。イタリアやスペインなどにも、国内にウクライナ・コミュニティーがあり、まずはプライベートのレベルで避難民の受け入れが行われているようだ。

しかし戦争が激しくなったり長引いたりすれば、国民の約4分の1にあたる1千万人のウクライナ人が国外に避難するという予測がある。それだけの規模の避難民の受け入れを個人の善意に任せるのは 不可能だし、家族や知人を頼れない避難民もたくさんいるはずだ。そこでクナウス氏は、EUが主導して、現在避難民受け入れで過剰に負担のかかっているポーランドやモルドバから、積極的に受け入れると表明している国に避難民を輸送するシステムを早急に作るべきだと主張している。急がなければいけないのは、現在受け入れを行っている国の社会が疲弊すれば、排外ムードが生まれる危険性があり、それが欧州全体に広まってからでは、手遅れだからだ。その一方で、 戦争が終われば一刻でも早くウクライナに戻れるように、ウクライナにできるだけ近い場所で避難生活を送ることを希望している人が多いのも事実だ。今後、彼らがそれ以上移動することを望まないなら、 負担の多くかかかっているウライナ隣接諸国にEUが資金や物資、そして人的支援を強化していくことが必要になるだろう。

駅前広場には、ベルリン市の仮設収容施設もできた。その前にあるのは、いろいろな言葉で「歓迎」と書かれたベルリンのトレードマークの熊の置物。

慢性的人手不足のドイツには、ウクライナの避難民が近いうちに労働力として活躍してくれることを期待する声もある。教育水準が高く、職業上の資格を持っている人が多いと予測されているからだ。しかしまずは宿泊場所を提供して、彼らが安心して生活できるようにすることが喫緊の課題だ。それに戦争や家族が離れ離れになったことで受けた彼らの心の傷のケアも必要だ。実際に仕事を探すにあたっては、ドイツ語をどれだけ習得しているか、また、ウクライナで取得した資格がドイツでどこまで認められるかという問題が出てくる。ウクライナで弁護士だった女性の職探しの様子をテレビのニュースで見たが、法律の異なるドイツで、彼女が弁護士として働くことはまず不可能だ。それに比べて、医療関係者や技術者などはウクライナでの資格がそのまま認められる可能性が高い。避難民には子供も多く、彼らが幼稚園や学校でドイツ語を習得するための特別なクラスを設けるなど、行政も前回の“難民危機”の経験を生かして対応している。すでに2万人の子供たちが、ウェルカム・クラスに通いドイツ語のなどの勉強を始めたそうだ。

ウクライナの悲惨な状況が毎日テレビで流れている。戦禍を逃れてきた人たちにとって、ウクライナに残っている家族や友人の安否が気になって仕方ないだろうし、自分の住んでいた街が破壊されるのを見るのも辛いだろう。早く戦争が終わり、家族が一緒に安心して好きな場所で生活できるようになることを祈るばかりだ。それまで、避難民の人たちに安全と安心を提供するのが、受け入れ国の政治と市民の務めである。

 

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