メルケル時代の終わりの始まり

永井 潤子 / 2018年11月4日

10月30日、ドイツ中の新聞が一面トップにメルケル首相の大きな写真を載せた。ほとんどが前日のベルリンでの記者会見の写真を載せた中で、首都ベルリンの新聞「ベルリーナー・ツァイトゥング」は、彼女がキリスト教民主同盟(CDU)の党首に就任した直後の2001年の写真と前日の写真の二つを並べて掲載した。同じくベルリンで発行されている新聞「ターゲス・シュピーゲル」は、彼女が連邦青年女性相に就任した1991年の写真のみを載せたが、キャプションには「アンゲラ・メルケルは30年近く我々と共にあった」と書かれていた。前日の10月29日、メルケル首相は18年間務めたCDUの党首を辞任すると発表したのだった。ドイツ各紙のさまざまな論調をご紹介する。

メルケル首相のこの決定の直接のきっかけになったのは、10月14日のバイエルン州議会選挙で、姉妹政党であるキリスト教社会同盟(CSU)が得票を大幅に減らしたこと、および10月28日に行われたヘッセン州議会選挙で、CDUが歴史的な不振に見舞われたことだった。ヘッセン州選挙の翌29日、ベルリンの党本部で行なった記者会見の冒頭で、メルケル首相は、10月に行われた二つの州議会選挙の結果を分析し、二つの州で与党の保守政党が有権者の支持を大幅に失ったのは、連邦段階での政治に対する国民の不信感が大きく影響したとして、「新たな一章を始める時が来た」と述べた。それに続いてCDU の党首を辞任することを含む4つのことを明らかにしたのだった。もともと「連邦首相は所属政党の党首を兼任するべきだ」というのがメルケル首相の持論だったが、その彼女の原則に反して、今年12月にハンブルクで開かれるCDUの党大会で党首に立候補しないこと、ただし、連邦首相の地位には任期満了の2021年までとどまる用意があること、しかし、その後は連邦首相に立候補する意思はない、それだけではなく連邦議会議員にも立候補しないし、全ての政治活動から身を引くと、その決意を淡々と明らかにしたのだった。

アンゲラ•メルケル連邦首相兼CDU 党首

「2018年10月29日は、我が国にとって歴史的な日だった」と書いたのは、ルール地方のビーレフェルトで発行されている新聞「ヴェストファーレン・ブラット」だ。

アンゲラ・メルケルは自分の党に対し、「メルケル後の時代」の扉を自ら開いた。CDUがそれから何を生み出すか、未知数だし、それについての彼女の影響力は非常に限られている。記者会見で彼女が少しホットしたように見えたのは、そのためかもしれない。これに対して、連邦共和国は今後も不安定な時代を経験すると覚悟しなければならない。何れにしても我々は今、時代の転換期を迎えている。

「メルケル首相は他の政治家ができないことをやり遂げた」と評価したのは、「ベルリーナー・ツァイトゥング」である。

政治家にとって威厳を保って辞任することは難しい。メルケル首相に対する批判は最近では聞き逃すことができないほどになっていたし、国民政党としてのCDUの未来も危うくなってきていた。まさにその時期が来ていたと言えるかもしれない。そして党首は辞任しても連邦首相の地位に留まるという彼女の計画が、思惑通りに行くかどうかもわからない。しかし、メルケル首相は辞任の最初の一歩を彼女自身で決め、毅然としてその決定を発表した。そのこと自体高く評価できる。

ニーダーザクセン州の州都ハノーヴァーで発行されている新聞「ハノーヴェリッシェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング」も、「アンゲラ・メルケルが政治からの引退を2段階で行うと発表したのは、これまでに例のないスタイルだ」と好意的な社説を載せた。

選挙結果の分析では冷静、その話し方は威厳に満ちていながら、同時に少しばかりユーモアも含まれているというのが、これまでのメルケル首相に対する一般的な見方だった。しかし、今後は、次のように変わるだろう。すなわち、現実的に考えて、実際にできることのみに関心があり、できる限り安定した指示を出そうと試みた政治家、そして権力欲に取り憑かれた男性たち、傍若無人の独裁者や自己愛に満ちた大統領などが支配する世界の政治の舞台で、国や世界に貢献することに関心のあった女性政治家として今後は評価されるだろう。

CDU党本部の建物 ©️www.bilder.cdu.de

南西ドイツ、バーデン・ヴュルテンベルク州のロイトリンゲンで発行されている新聞「ロイトリンガー・ゲネラル=アンツァイガー」は、「在任期間18年のCDU党首には、交代が必要だった」と強調している。

メルケル首相はCDUに大きな貢献をした。コール前首相の政治献金問題で壊滅的な打撃を受けたこの党を再建し、党員たちに再び自信を取り戻させた功績は大きい。彼女はこの政党を現代的なものにしたが、同時に党を支配もした。最後にはCDU は、メルケル首相の首相選出団体に成り下がってしまった。

一方、南ドイツのレーゲンスブルクで発行されている新聞「ミッテルバイエリッシェ・ツァイトゥング」は、メルケル首相の決定は遅すぎたと批判している。

長い間、非常に長い間、ドイツの政治の時計は停止したままだった。こう書くと、奇妙に響くかもしれない。確かに最近のドイツは、めまぐるしい変化に直面している。例えば、難民問題やその結果としての右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭と同党の連邦議会への進出、二大国民政党の崩壊、大連立内の政党間の争いなどなど。しかし、メルケル首相はこうした大変動にも関わらず、「私たちは成し遂げられる」「これまでと同じように」などと繰り返すばかりで、奇妙な静けさがこの国を支配していた。こういう状態の中でメルケル首相は正しいことを行った。彼女は党首を辞任すると宣言し、後進のために道を開けた。彼女が止まった時計を再び動かしたのだ。やっと!

ドイツ東北部、メクレンブルク・フォアポンメルン州の州都シュヴェリンで発行されている新聞「シュヴェリーナー・フォルクスツァイトゥング」も、メルケル党首の決定は遅すぎたと次のように書いている。

党首辞任の時はとっくの昔に来ていたが、メルケル首相もCDUも、交代の人材に関する不安からか、決定をためらっていたように思われる。そのためらいの時期はあまりにも長すぎた。最近の州議会選挙の結果に対する不満はもとよりだが、最近では党員たちが党首の意向に従わない状況が生まれていた。党首辞任を自ら発表したことでメルケル首相は、1998年のコール前首相の解任劇のような状況を経験することは免れた。しかし、彼女に対し、連邦首相の地位も早いうちに後継者に譲る決定をするよう助言するのが、賢明だと言えるだろう。

メルケル首相の今回の決定によって、右翼ポピュリズム政党AfDの勢力を弱めることができるのではないかと期待するのは、大衆新聞の「ビルト」だ。

CDUの党首としての18年、連邦首相としての13年の後、メルケル首相は後進に道を譲る扉を開けた。それによって彼女は有権者に、「メルケルやめろ!」と叫んだり、CDUへの抗議票としてAfDに一票を投じたりする必要はもはやなくなったというシグナルを発したのである。彼女の決定は正しく、また緊急に必要なことだった。その決定を下したことは尊敬に値する。欲求不満からAfDに投票した全ての有権者に対するメルケル首相のメッセージは、「極右に背を向けて、中道に戻りなさい」ということである。

なお、CDUの次期党首の候補者としてすでに三人の名前が挙がっている。一人はメルケル首相に近いアネグレート・クランプ=カレンバウアー幹事長(女性、前ザールラント州首相、56歳、今年2月から現職)、メルケル首相の批判派ながら第4次メルケル政権で保健相として入閣した38歳のイエンス・シュパーン氏、それにメルケル首相の党首辞任の発表直後に名乗りをあげた元連邦議会CDU・CSU議員団団長のフリードリッヒ・メルツ氏(62歳)の三人である。メルツ氏は2000年から2002年までCDU・CSUの議員団団長を務めたが、メルケル首相との確執から2009年政界を離れ、金融界、経済界に身を置いていたが、今回CDU の改革のため政界に戻ると発表した。

候補者の一人アネグレート•クランプ=カレンバウアー 幹事長©️CDU/Tobias Koch

後継者に関連して辛口の論評を載せているのは、バイエルン州のパッサウで発行されている新聞「パッサウアー・ノイエ・プレッセ」である。

メルケル首相は今やパラシュートの開き綱を引いたが、これは彼女にとって高いものにつくだろう。メルケル首相はCDUを、彼女に対するこわばった関係から解き放した。これからのメルケル首相の課題は、党首交代をスムーズに行うようにすることになるが、彼女は皮肉な後継者に対面している。もし、メルケル首相の信頼が厚いクランプ=カレンバウアー幹事長ではなく、ライバルのフリードリッヒ・メルツが新党首になることになれば、党内の革命は完全なものになるだろう。そうなると、メルケル首相にとっては厳しい結果になるが、CDUの新出発にとっては、それも障害にはならないだろう。

フランクフルトで発行されている全国新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」の社説も、後継者の選択に向けられている。

メルケルは今回の決定によって、伝統あるドイツの2つの国民政党が、無力感と絶望で凍りつく恐れのあった政治状況を大きく動かした。CDUはまさに活気を取り戻した。メルケル首相が党首を辞任すると発表した直後に早くも複数の候補者が名乗り出ているが、候補者三人のうち誰がCDUを明るい未来に導いてくれるだろうか?メルケルが後継党首を推薦しなかったのは賢明であった。もし、推薦したら、それは党にとって重荷になったことだろう。メルケル党首の18年間の後、CDUは気質も個性も政治的経験も異なる複数の候補者の中から党首を選ぶことになったが、党首選出にあたっては、「この候補者は首相になることができる人物かどうか」という基準でも選ばなければならない。こうした基準は以前にも増して重要になってくる。というのも、この(難しい)時代にドイツの連邦首相を出すべき政党はCDU以外にないと思われるからである。

バイエルン州の州都ミュンヘンで発行されている全国新聞「南ドイツ新聞」も、ドイツの今後を予想する。ヘリベルト・プラントゥル編集主幹の社説は次のように始まっている。

このようにメルケル首相がぼやかしたり、本心を隠したりしないで話したのは珍しい。今回は明快で、正直な発言だった。これは非常に注目すべき賢明な引退宣言だった。そのため、この発言を聞いた人は、メルケル首相が党首を辞任した後、次の連邦議会の選挙のある2021年まで本当に連邦首相の地位にとどまると信じかねない。しかし、そうではない、メルケル首相はそうは言っていない。彼女は連邦首相の地位に2021年までとどまる用意があると言ったに過ぎない。これは繊細で熟慮された別れの挨拶の最初の部分だったのだ。何れにしても「メルケル時代の終わり」を意味する。

メルケルの党首辞任でCDU は改革を余儀なくせざるを得なくなったが、それはまた姉妹政党のCSUや連立相手のSPDをも切羽詰まった状況に陥れる。しかし、それはドイツの政治に新しいダイナミズムをもたらすだろう。メルケルが退陣するなら、他党の政治家も退陣せざるを得なくなる。つまり、これほど多くの新しいスタートがなされるのは、ドイツの政治上長い間なかったことである。

 

 

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