ユダヤ人のオリンピックがベルリンで開催

まる / 2015年8月16日
マカビゲームズを特集する ユーディッシェ・アルゲマイネ新聞

マカビゲームズを特集する
ユーディッシェ・アルゲマイネ新聞

第二次世界大戦終結70年の今年、ベルリンでは様々な記念行事が行われています。7月28日から8月5日までは、オリンピアスタジアムを会場に、ユダヤ人のオリンピック「ヨーロピアン・マカビゲームズ」が開催されました。この大会がドイツで行われたのは初めてのことで、かなりの注目を浴びていました。

「ヨーロピアン・マカビゲームズ」が初めて開かれたのは、1929年、プラハのことでした。古くから欧州各地ではユダヤ人差別があり、19世紀後期からは、各国のスポーツクラブやスポーツ大会から、ユダヤ人が除外されることが増えていました。そのためユダヤ人だけのスポーツ団体を作る動きがあったのです。それはシオニズム運動が隆盛を見る時期と重なっていました。第2回大会は1930年にアントワープで開かれましたが、その後第2次世界大戦とユダヤ人排斥のために30年間中断され、再び開催されたのは1959年、コペンハーゲンででした。

この大会の他に世界中のユダヤ人アスリートが集まる「マカビアーデ」というものがあり、こちらの方は初めて1932年にパレスチナで開かれています。第2回目は1935年にテルアビブで行われましたが、1938年に予定されていた第3回大会は、パレスチナ独立戦争(イスラエルにとってはパレスチナ・アラブ反乱)のために中止となり、その後は第二次世界大戦のために開かれず、再び開催されたのは1950年のこと(会場はテルアビブ近郊のラマト・ガン)でした。「ヨーロピアン・マカビゲームズ」は言ってみれば「欧州選手権」です。

1936年にベルリンで”普通”のオリンピックが開催されましたが、レニ・リーフェンシュタールの名画『民族の祭典』と『美の祭典』で見られるように、この大会がアドルフ・ヒトラーのプロパガンダに使われたことは有名です。この大会では、本来出場資格のあったユダヤ人選手たちがドイツチームから除外され、米国もヒトラーに妥協して、ユダヤ人選手をドイツへ送りませんでした。

「ヨーロピアン・マカビゲームズ」は前回、2011年にはウィーンを会場としましたが、これが元ナチス・ドイツ政権下、ホロコーストの加害者側の国で行う初めての大会でした。そしてマカビゲームズの主催者たちは「ホロコーストの生存者がまだいるのにとんでもない」という声があったにも関わらず、2015年の会場を、ナチスによるユダヤ人迫害の最もシンボル的な街、ベルリンを選んだのでした。

ドイツのヨアヒム・ガウク連邦大統領は、主催者のこの決定を知るとすぐに、名誉総裁となることを決め、開会式でも挨拶をしました。

ドイツ連邦内務相であるトーマス•デメジエール氏は、ベルリンで発行されている「ユーディッシェ・アルゲマイネ新聞」でのインタビューで、ベルリンがマカビゲームズの会場に選ばれたことについてこう語っています。

これはドイツに対する素晴らしいサインだと思います。マカビゲームズ2015年大会は、ユダヤ人スポーツ選手がオリンピアスタジアムで競技に参加することが普通のことだということを知らせるメッセージです。オリンピアスタジアムは、人種や宗教を理由にアスリートたちを除外し、勝者として認めない道具として使われた場所でした。この大会は、ユダヤ人の生活がドイツ社会の一部であり、同時に私たちの国を豊かにするものであることを示しています。100年以上前に、ドイツで初めてユダヤ人のスポーツクラブが創立されました。ドイツ・マカビ協会創立50周年、そしてイスラエルとドイツの外交関係が始まって50周年である今年、ベルリンが会場に選ばれました。それは私たちに対する素晴らしいサインですし、こういう大会をドイツで行うことができる時代が来たのです。

大会には36カ国(欧州やイスラエル、米国など)から約2000人の選手たちが参加しましたが、選手たちの多くは、ホロコーストで親戚や家族を亡くしています。中には、自分の祖父母が本来なら各国代表としてベルリン五輪大会に出場するはずだったのが、ユダヤ人であるために大会前に除外されて参加できなかったという人もいました。彼らにとっては、その屈辱の場所であるオリンピアスタジアムに足を踏み入れることは、”勝利”と感じられるのかもしれません。

そしてそれはドイツにとっても同じかもしれません。オリンピアスタジアム近くのヴァルドビューネで行われた開会式には、ドイツ選手団が黒•赤•金のドイツのシンボルカラーを身につけて、ドイツ連邦共和国の国旗を掲げて入場しました。ここまでできるようになるまでに、ドイツは謝罪と和解の努力をかなりしてきました。政治家たちがこの大会を”ドイツへのご褒美”として歓迎するのがよくわかります。

ヴァルドビューネ(Waldbühne)は日本語に訳すと「森の舞台」を意味し、牧歌的な感じがしますが、1936年にオープンした時には、「ディートリッヒ・エッカート野外劇場」という名前でした。ディートリッヒ・エッカートはナチス党の機関紙「フォルキッシャー・ベオバフター」の1代目編集長で、ヒトラーを「フューラー(総督)」と呼ぶのは、もともとこの人のアイデアだったといいます。

ベルリンのオリンピアスタジアムは現在、地元のサッカーチーム、ヘルタBSCベルリンのホームゲームの会場として使われている他、陸上の大会などにも使われています。毎日見学ツアーが行われており、個人でも見て回ることもできます。スタジアムの周辺の、オリンピックに縁のある建造物などについても、その歴史を説明するプレートが立てられているため、ナチス時代の歴史や建築に興味のある方には、時間をかけて散歩することをおすすめします。

オリンピアスタジアムの見学について

http://www.olympiastadion-berlin.de/en/stadium-visitor-centre/viewing-and-guided-tours.html

 

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