EUの将来に貢献する二人のドイツ人女性 ー 欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長とドイツのメルケル首相

永井 潤子 / 2020年6月7日

©️European Union 2020 Source: EP/ Daina LE LARDIC

欧州連合(EU)は5月27日、コロナ危機で大きなダメージを受ける加盟各国の経済復興基金として7500億ユーロ(約90兆円)にのぼる大規模な基金の創設を提案した。この案は、実現すれば欧州の財政統合にも繋がる歴史的な第一歩とみなされている。EUの復興基金案は、5月18日にフランスのマクロン大統領とドイツのメルケル首相が合意した「EU復興基金設立のための共同提案」の方針をほぼ取り入れた内容だった。独仏両国は歴史的にヨーロッパ統合の推進役となってきたが、今回独仏両国がようやくマクロン大統領の考えに沿った共同提案で合意できたのは、メルケル首相が180度の方向転換をし、これまで反対し続けてきたEU共通債務を認めたことで、はじめて可能になった。

「巨大な危機は、ヨーロッパにとって巨大なチャンスでもあります。EUは今、加盟各国が力を合わせてともに大きな飛躍を遂げるか、あるいは各国がそれぞれ個別の道を辿り、富める国と貧しい国に分裂する道を選ぶかの岐路に立っています」。5月27日、ブリュッセルの欧州議会で、EUの画期的な復興基金について説明したフォン・デア・ライエン欧州委員長はこのように強調して、欧州議員に基金創設を支持するよう求めた。同委員長は、この案はコロナ危機対策であると同時にEUの未来を構築するもので、そのために「次世代のEU」と名付けられていることも説明した。特に地球温暖化防止策、デジタル化の推進、地域振興策などに重点が置かれる。

この復興基金が画期的なのは、EUが設立以来初めて、巨額の資金を調達するために共同で借金をすることを認めたことだ。EUは7500億ユーロの債権を発行して、市場からお金を調達する。そのうち3分の2に当たる5000億ユーロ分は、イタリアやスぺインなどコロナ被害の特に大きい南欧諸国などに補助金として与える。これは独仏共同提案と同じで、この補助金は返済の必要がない。しかし、欧州委員会は、この他に3分の1相当の2500億ユーロの融資枠を設けた。こちらは、融資条件は有利だが、返済の義務を伴う。これには、返済の必要がない補助金を”大判振る舞い”することに強く反対する国々が賛成しやすいようにという欧州委員会の考えが透けて見える。このEU復興基金案によると、コロナの被害が特に大きかったイタリアには、返済不要の補助金818 億ユーロを含め、1727億ユーロが、スペインには1400億ユーロ(うち補助金は773億ユーロ)が、ポーランドには638 億ユーロ(うち補助金は 377億ユーロ)が割り当てられるが、ドイツ対する補助金は288億ユーロに過ぎないという。イタリアやスペインなどは、もちろんこの案に大賛成である。

EUとしてコロナ危機を乗り越えられるかフォン•デア•ライエン欧州委員長の力量が問われている©️European Union 2020 Source: EP / Daina LE LARDIC

EU加盟各国は、コロナ危機の影響で甚大な被害を被った国に対する連帯の必要性という総論では一致していても、各論となると、それぞれの利害、意見は対立する。イタリアやスペインなどへの無償の補助金に反対するいわゆる「倹約4カ国」のオランダ、オーストリア、デンマーク、スェーデンは早速、「すべての援助は返済の義務のある融資の形で行うべきだ」と反対の意思を表明した。またドイツ連邦議会では、右翼ポピュリズム政党「ドイツのための選択肢(AfD)」以外の与野党は、原則的にこの復興基金案に賛成しているが、AfDの共同党首であるモイテン欧州議会議員は、南欧諸国への補助金をドイツが負担することに、強く反対した。

EUの復興基金草案は分厚いもので、複雑な内容を全部紹介することは不可能だが、各国が補助金を受け取れる条件として、国内の経済改革の努力が見られるかどうか、あるいは民主的制度が維持されているかどうかもチェックされるという。後者はハンガリーやポーランドの現政権の強権的な動きを排除する有効な手段ではないかと私には思える。世界経済がアメリカと中国の対立の影響を受けつつあるなか、ヨーロッパ各国がそれぞれの国の利害を超えて、ヨーロッパ企業を世界的な規模に育成するという計画も含まれているようである。

EUの復興基金創設案が成立するためには、加盟27カ国の承認が必要である。この復興基金創設案は6月19日に予定されているEU首脳会議で審議されることになっている。この基金は2021年 から27年までのEUの中期予算に組み込まれるため、EU首脳会議では、同時に2021年からの7年間のEU予算も決定しなければならない。何れにしても2021年実施予定のこの基金創設案には加盟27カ国のそれぞれの利害が絡まっているため、その利害を調整して妥協案を見つけるまでに時間がかかるとみられている。半年ごとの持ち回りの現在のEU議長国はクロアチアだが、妥協に至るのは、ドイツが議長国になる7月1日からの下半期になると予想される。議長国のメルケル首相の活躍が期待されることになる。メルケル首相が目標にしていることは、EU加盟27カ国間の合意を生み出し、EUの団結を取り戻して、EUを経済的にも政治的にも強化して、世界の中でヨーロッパ独自の存在を主張していきたいということであって、狭い意味でのドイツ個別の利益を守ることではない。困難な課題だが、メルケル首相の調停能力と粘り強さには、定評がある。

ヨーロッパでコロナ危機が始まった頃、死者が続出したイタリアに対し、ドイツが当初支援の手を差し伸べなかったこと、イタリアのコンテ首相らが希望した補助金中心の「コロナ・ボンド(基金)」の設立に、ドイツが強く反対したこと、独仏などが自国を優先して医療品の輸出をいっとき禁止したことなどによる失望が大きく、一時イタリア人の間で反ドイツ感情が高まった。後でドイツはイタリアやフランス、オランダの重症患者をドイツの病院に受け入れて治療したが、イタリア人の怒りをなだめるにはあまり役に立たなかったようだ。必死で助けを求めたイタリアのコンテ首相は EUの冷たい反応に失望して「未曾有の危機にEUが対応できないならば、EUはその存在意義を失う」と警告した。こうした体験からメルケル首相は、「異例の事態には、それにふさわしい異例の対策が必要だ」とこれまでの態度を変え、マクロン大統領が長年主張する財政統合へ向けての案に賛成する方向に舵を切ったとみられる。

コロナ対策が評価されドイツ国内で支持率が上がっているメルケル首相だが、EU全体への貢献も期待される©️Bundestag/Achim Melde

マクロン大統領はこれまで、EU の財政統合を強く主張してきた。同大統領は、2008年の金融危機やその後の欧州債務危機で苦しむ南欧諸国をドイツなど豊かな国々が積極的に財政支援してこなかったことがEUの亀裂を深め、ポピュリズム政党の台頭を招いたと考え、2017年に大統領に就任した直後から、メルケル首相に対して考えを変えるよう呼びかけてきた。メルケル首相がそのかたくなな態度を変え、一歩前に進み出した背景には、輸出大国ドイツの輸出の60%以上がEU域内市場向けであるという事実もある。つまりEU加盟各国の経済が悪化すれば、ドイツ経済への悪影響も免れられないという認識である。言い換えれば、EUの他の加盟国を助けることは、最終的には自国を助けることになるという計算でもある。そのほかにも、今回はメルケル首相が態度を変えるためのさまざまな条件が揃っていたと見られる。一つはコロナ危機での適切な対応が国内世論の支持を得て、メルケル首相に対する支持率が上がったこと、そのためメルケル首相は、自分の属するキリスト教民主同盟(CDU)内の「ドイツの税金が他国のために使われることに反対する」保守層に配慮する必要がなくなったこと、またドイツが長年の緊縮財政のおかげで、危機に際して大規模な行動に出られる財政基盤が整っていたこと、さらには、金融危機の際のドイツの財務相は厳しい財政規律を主張するCDUのショイブレ氏だったが、現在の財務相は社会民主党(SPD)のショルツ氏だということもある。ショルツ氏もこれまでは、赤字を出さない緊縮財政を目指してはきたが、コロナ危機にあたっては、これを契機にヨーロッパの財政統合を進めるべきだと主張している。

これまで約15年ドイツの連邦首相の地位にあったメルケル首相は、来年2021年の任期満了後は、一切の政治活動から引退すると宣言している。そのメルケル首相が、このEU復興基金について加盟各国の意見をまとめることに成功すれば、その最後の花道を飾るだけではない。メルケル首相はEUの将来に貢献したドイツの首相として歴史に残る存在になると思われる。普段は慎重派で、少しずつの改革あるいは進歩を目指す傾向のあるメルケル首相だが、いざとなると思い切った行動に出ることは、福島の原発事故の後180度方向転換して、ドイツの段階的な脱原発に踏み切ったという事実からも実証済みである。今回はEU委員長のフォン・デア・ライエン氏との二人三脚で、EU復興基金の創設に成功することを私は心から願っている。女性として初めてEU委員長に就任したフォン・デア・ライエン氏は、ドイツでの閣僚経験も豊かだが、父親がEUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体で働いていた時にEU本部のあるブリュッセルで生まれたという、生まれながらのヨーロッパ人である。英語やフランス語も流暢に話し、ヨーロッパのために貢献することに情熱をもやす。EUが岐路に立つとみなされる今、このような女性が欧州委員長の地位にあることも、私には天の配剤と思えてくる。

 

 

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